故 瀧口政満さんの作品は、風、愛、祈りといった目では捉えられない物が形になって現れているようです。

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阿寒コタンにある瀧口さんのお店にもお邪魔しました。 
 
奥様がいらしたので一言だけお悔やみを。 
以前は2階も一部公開されていたので階段へ近づくと「今は2階はやってないんですよ」と奥様。 

少しして息子さんが現れました。 

宿泊先は阿寒コタン出身の友人宅と答えていたので、奥様が息子さんに「◯◯ちゃんのお友だちだって」と伝えて下さると、息子さんがお店に並べていない作品や2階も見せて下さいました。 

旅立つ直前まで彫っていた遺作や、旅立たれた後にポツポツと見つかったカンザシなどの作品まで。  
 
ざっと彫ったようなカンザシも、厚みはあるのに羽のような曲線が美しい。凄い人の作品はどれも凄いのね。 

ピカソや砂澤ビッキの線数本のなデッサンも、ただそれだけでもう凄い存在感の作品。裸体なら肉肉しい体つきがぐぐっと迫ってくる。 そんな感じでした。  
 (私の語彙のチープさよ…)

 

「もう販売はしないつもりなんです」と息子さん。 
 
 
お父さんの作品と共にいたいのでしょうね。 
 
 
 
デボさんと対照的(前記事をご覧ください)。 
 
 
 
父の作品を亡くなった後は手元に置きたいと売らないひと。 
 
買われて初めて価値が出る、と売るひと。 


 
どちらも頷ける。 
当事者ではないからどんな心境なのか、私だったらどうなのか、皆目見当もつかないけれど。
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7月の阿寒湖の旅の一場面。