「藤圭子」さんのBiography(デビュー前)ーその2(幼少期から学童期、本当の初舞台へ) | かどのブログー藤圭子さんを決して忘れないー

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今は藤圭子さんについて書いています。
私にとって、偉大な歌手「藤圭子」を忘れないために・・。

富士の花
唄ひとすじに
駆けていく
あまた(光)の心に
流星一つ。

 前回のネタばらしをすると、母親曰く「あのときの純ちゃんの歌は下手だったわ。お客さんが笑い出しちゃったね…・・」とのことでした。

1957年旭川市の大有小学校へ入学。
 この頃は兄、姉と留守番することも多かったようです。10日間家を空けるときには、食事代に300円を渡すだけだったとか。5円で油揚げを、5円で飴玉を買っていたとのこと。それで、予定通りに帰ってこれないこともあるらしく、納豆売なんかをして、食事代を稼いでいたとか。
とても、今からじゃ想像できないですよね。

でも、この頃の純ちゃんは甘えん坊らしく、小学校5,6年までお母さんのおっぱいを求めていたとか(笑)(可愛いね~)。

<本当の初舞台>
 小学校4年の時、旭川に近い川沿いの神楽山のふもとの村でお祭りがあって、父と売り込みに出かけたんだって。そこで、興行主さんに「浪花節なんか、古くせ~!。もうだめだ!」「若い子の歌の方がよっぽどええ…・」の一言に「おじちゃん、わたしうたえるヨ、うたわせてくれない。おねがいだから…‥」と自分を売り込んだんだって。根性あるよね。「へーえ?お前さんが歌を?うたってみろ。じゃあひとつたのむか!」
 で、テストに歌ったのが、「出世街道」で、結構受けたらしく、おひねりがパラパラと飛んできたんだって。これが、「三条純子」の誕生だったんだ。
 この頃の歌も聞いてみたかったよね(笑)。

 この頃の、写真て、本当に少ないんだよね。

「姉と一緒に」向かって左側が圭子さんです。
姉と

「家族と近所の人達と」前列向かって右から2番目が圭子さんです。
家族、近所の人と

<参考文献、写真>
「演歌の星 藤圭子物語」「マーガレット」
「マーガレット」表紙
「演歌の星藤圭子物語」


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