昭和・足立区DAISUKI! -3ページ目

昭和・足立区DAISUKI!

生まれも育ちも足立区。
昭和から60年暮らす足立区が好き!!

♪サーザエーさん サーザエさん 

   サザーエさーんてどんな人  

   そーりゃもう美人でそりゃもう しーとやかーでー 

   朗らか過ぎて上品で 親孝行で親切で

   ランランランでパッパッパ 

   パッパッパでランランラン

   ランランランでパッパッパ 

   パッパッパでランランラン

   カツオワカメ待てー あら私とした事がお恥ずかしい 

   オホホホホホそそっかしいのが玉にきず 

   消え入りそうにうなだれて

   モジモジ真っ赤な モジモジ真っ赤なサーザエさん~♪


この主題歌を歌ったのは、主役の江利チエミさん。

高倉健さんの元夫人です。


「サザエさん」は地方紙から始まって、

昭和26年から朝日新聞の4コマ漫画になりましたが、

昭和44年にフジテレビのアニメが始まる前に、

江利さんが主人公・サザエ役を演じる実写シリーズが、

まず映画として昭和31年・1956年に第1作が封切られ、1961年までに計10作品が公開されました。

藤原釜足さんがサザエの父・波平、清川虹子さんが母のフネ、仲代達矢さんがいとこのノリスケ、小泉博さんが夫となるマスオを演じました。

そしてドラマが昭和40年(1965年)にTBSテレビで放映されました。


さすがの拙者もドラマの「サザエさん」は再放送の記憶がうっすらある程度。

しかし主題歌は鮮明に覚えています。

ドラマのイメージは、サザエがほうきで部屋や縁側を掃除していると、

カツオとワカメがいたずらをしたため追いかける図です。


当時の映像を今見たら、4本足のテレビ、ちゃぶ台、着物に割烹着姿の舟さんなど懐かしいものがたくさん見られることでしょう。

後に「意地悪ばあさん」の実写版も日本テレビで放映され、主役と主題歌は放送作家・作詞家だった青島幸男さん。

参議院議員、直木賞作家、東京都知事にもなったのですからすごいです。

秋元康さんは奥山侊伸さんの門下生ですが、奥山さんは青島さんのアシスタントでした。


主役のサザエさんは江利チエミさんでしたが、他の配役はというと、マスオさんが後に桂小金治さんの後をついで「アフタヌーンショー」の司会者になる川崎敬三さん、舟さんが清川虹子さん、ワカメが「明治マーブルチョコレート」のCMが懐かしい上原ゆかりちゃん、波平さんが「男はつらいよ」でもおなじみの森川信さんでした。


提供はヤクルトでした。

まだガラス瓶に入れて配っていましたが、のちにアポロの形をしたプラスチックの容器に入れるようになります。

ヤクルトはサザエさんですっかり有名になり、サンケイアトムズを買収して、のちにヤクルトスワローズとなります。

姉妹品としてジョアも売り出し、CMにちあきなおみさんや小柳ルミ子さんを使ってメジャーにしていきました。


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好きな音楽を聴きたい場合、今でこそインターネットの普及でパソコンやスマートフォンで簡単に聞くことができますが、1980年代まではレコードを買いに行きました。

 

手に入らないとか金がなくて買えない場合にはFM放送でエアチェックをしました。 

アンテナからFMチューナーやアンプ、カセットデッキやスピーカー、ヘッドホンまで各自の予算に合わせて凝れるだけ凝り、FM雑誌を見て録音したり、タイマーを使ってカセットテープに留守録音したりしました。 

機材メーカーにはパイオニア、トリオ、ビクター、AKAI、ONKYO、三洋のOTTOなどいろいろありました。

 

パイオニアといえばレーザーディスクなんて物がありましたね。

カセットデッキと言えばソニーのデンスケ、ラジカセならナショナルのマックがなつかしいです。 

 

拙者は歌謡曲ファンなので、NHK-FM「ひるの歌謡曲 」をよく聴きました。 斎藤光太郎アナの司会でした。

同じNHKでは18時からは「夕べの広場」。

ローカル各局が別の放送内容になり、それぞれ聴き逃せない番組を放送していたのです。

リクエストして結構採用してもらいましたよ。 

 

FM東京だと午後に「歌謡バラエティ 」という番組がありました。ゲストの登場も楽しみでした。拙者はこの番組で沢田研二「君をのせて」と出会いました。 

土曜日の昼には「コーセー化粧品歌謡ベストテン」がありました。宮川泰さんの司会です。ただしこの番組は曲を中略するのでエアチェックには向きませんでした。笑 

 

昔はFM局が今ほどありませんでしたが(東京はNHKとFM東京の2波で、全国でもFM愛知、大阪、福岡までだった)、曲を頭から終わりまできれいに流してくれたので納得の録音ができたのです。

今はDJの紹介が曲にかぶることが多いので、頭が欠けるため使えません。

 

そもそも放送内でトークが多くなりました。

つまりインターネットでノイズのない音をデータで取れるため、FMの音質が良いのはもはや特色ではなくなり(ノイズもなくはないし)、単に中波とは電波の質が違うというだけになったのです。

今さらカセットに録音する時代でもなく、時代が変わったということなのでしょうね。 

 

ラジオ放送自体、ラジコやYoutubeでインターネットを通していつでも聞くことができるようになりましたから、もう雑音や直の生聞きに縛られることはなくなったし、データで残せるし、ダビングも楽になりました。

昔、60分テープに60分かけて録音していたのがなつかしく感じられます。30分で裏返さなければならないし、その切れ目を考えるのはとても大変だったのです。

 

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78位 もう一度逢いたい  八代亜紀 1976年9月25日発売

作詞:山口洋子/作曲:野崎真一/編曲:竜崎孝路(2分57秒)

八代亜紀さんの17枚目のシングル。 

NHK紅白歌合戦では、第27回と第44回の計2回歌っている。

1976年の第18回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。

翌1977年の第19回日本レコード大賞でも「愛の終着駅」で

最優秀歌唱賞を受賞、2年連続最優秀歌唱賞獲得という快挙を成し遂げた。 

 

79 宇宙戦艦ヤマト/真っ赤なスカーフ  ささきいさお 1974/11/10 

80 悲恋白書  岩崎宏美 1977/4/25 

81 かけめぐる青春  ビューティ・ペア 1976/11/25 

82 真夜中のヒーロー  郷ひろみ 1977/2/1 

83 落葉が雪に  布施明 1976/10/10 

84 風をくらって  研ナオコ 1977/3/10 

85 恋歌  八代亜紀 1977/5/25 

86 はーばーらいと  水谷豊 1977/7/10 

87 センチメンタル・シティー  草刈正雄 1977/4/25 

88 ひとり芝居  布施明 1977/4/5 

89 あなたのすべて  桜田淳子 1977/2/25 

90 チェリー・ボンブ  ザ・ランナウェイズ 1977/4/25 

91 もう戻れない  桜田淳子 1977/9/5 

 

92位 すきま風  杉良太郎 1976年10月1日発売

作詞:いではく、作曲:遠藤実、編曲:京建輔

この3人は半年後に発売された千昌夫の「北国の春」も手掛けている。

杉様19枚目のシングルで、日本コロムビアから移籍したCBSソニーから発売したのち、また移籍したテイチクからもリリースしている。

 

主演したテレビ朝日系列の時代劇『遠山の金さん』の挿入歌に使われたことから、ドラマ・曲ともに人気となった。

オリコンシングルチャート最高位は25位(1979年6月4日付)だが100位圏内に147週入るロングヒット。

1965年に日本コロムビアから歌手としてデビューしたもののパッとせず、TBS「水戸黄門」の初代助さんなど俳優をやるようになったが、そのおかげで歌も売れたのだから人生はわからない。

「すきま風」の次にリリースされた1977年の「明日の詩」(新五捕物帳挿入歌)も名曲である。

 

93位 わかれうた  中島みゆき 1977年9月10日発売 

94 吸殻の風景/もうひとつの雨やどり  さだまさし 1977/7/10 

95 真赤な青春  ビューティ・ペア 1977/6/25 

96 セクシーロックンローラー  西城秀樹 1977/6/5 

97 恋のゲーム  ベイ・シティ・ローラーズ 1977/5/12 

98位 気絶するほど悩ましい  Char 1977年6月25日発売 

 

99位 片想い  中尾ミエ 1977年6月10日発売

安井かずみ作詞、川口真作曲。

オリジナルの歌は槇みちるで、シングル『鈴の音がきこえる』(1969年11月1日発売)のB面収録曲。

中尾ミエのシングル『片想い』は1971年11月5日に日本ビクターから発売された。

中尾は「いい曲だな」と思って「無理やりもらった曲」と語っている。

当時は話題にならず廃盤になったが、1977年3月頃から有線放送でリクエストが急にふえ、これがきっかけでビクター音楽産業が6月10日に急遽シングルを再発売した。

オリコンチャートで28位まで上昇、TOP100に36週も登場するロングヒットとなり、最終的には30万枚の売上[1](オリコン集計による推定累計売上は17.7万枚)を記録した。

一度聴いたら忘れられない名曲で、中森明菜など多くの歌手によってカバーされている。

 

100位  時  中村雅俊 1976/11/1

 

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