お父さん | 中川樹海のブログ

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三線弾き島唄うたい中川樹海(きみ)のブログでございます。
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こんばんは。

久しぶりのブログ更新です。


いろんなことがありましたー。


実は、二ヶ月前の今日6月4日に父が亡くなりました。


ブログを読んで下さってる方の中には父を知ってる方もいらっしゃると思いますのでこの場を借りて少しお話ししたいなぁと思います。


突然と言えば突然ですが、一年半ほど前に心筋症を患っており、今年一月に膵臓癌が見つかっておりましたので家族としては少しは心の準備が出来ていました。


三月からは自然に囲まれたホスピスに移っていたのでちょこちょこ会いに行っておりました。


コロナの時期ではありましたが、幸いなことに家族は一日30分間だけの面会が許されていたのでとてもよかったと思います。


享年65歳でした。


驚かれてる方もいらっしゃると思いますが、父はもう癌治療はできないという段階で、残りの数ヶ月はホスピスで苦しまず、自由に暮らせていたと思います。




さて、堅苦しい、厳かな、悲しい話は全然したくありませんでして...


うちの父さんは面白い人でした。(家族としては大変な人でもありました笑)


この間、南大東島の知り合いに亡くなったことを伝えたら

「えー!あのすごいお父さんが死んじゃったの〜!!」と驚かれ、しかし"すごい"の部分に色々な面白い思い出たちがあることが想像できて、ちょっと笑ってしまいました。



父さんのエピソードを語ればブログに書き切れないほどありますが、


ホスピスに移ってからのやり取りなどをちらっとお話しできたらと思います。


また、書きながら色んなことを思い出して書くかもしれません。


これまで父さんとの付き合いがあった方々も読みながら何か少し思い出して下さったら幸いでーす。



父さんは職業で言うと動物カメラマン・自然写真家でした。

私が生まれ育った山梨県の富士山の麓にも、自然に惚れ込んで引っ越してきたのです。樹海と名前を付けてくれたのには感謝してます。ちなみにお兄ちゃんは遊野(ゆうや)と言います。


父さんのHPがあるので貼っておきますね。写真集もたくさんあるのでよかったら見てみて下さいな。

中川雄三(動物写真家)のページ中川雄三(動物写真家)のページです。富士山の環境問題についても考えております。リンクwww.fujigoko.tv

歳時記もありますので、よろしければご覧下さい。私たちの身の回りのとても身近な生き物たちの様々な姿がうかがえます。




父さんは絵を描いたり物作りも好きで、特に木彫りは長年やっておりました。

今をときめく彫刻家のはしもとみおさんを地元に招いて一緒に個展を開いたこともあるんですよ〜

(きっと父さんの熱烈なアプローチと思いますが。。父さんは押しの強いやつでした。汗)



ホスピスに移る少し前は、もう明日死ぬかもしれないと言うぐらい具合が悪くって

しかしなんとか持ちこたえ、また物作りに励んでおりました。


木彫りを彫れるほどの体力は無かったようですが、元々できているフィギュアをネットで買って分解してリメイク?したりしてました。


私が最後に頼まれたのは、クォッカワラビーの親子の写真を印刷してきてくれと言われ、言われた通り持って行ったら同じポーズの人形が出来ていました。(笑)

なんだかちょうどいいサイズのフィギュアを見つけたらしく、腹を切って中に埋め込んだようです。(笑)葉っぱは何で出来てるのかな?


まぁこんなことやったら元々のフィギュアの作家さんに怒られてしまいますが、こんな時だったので許して下さい。

うまいこと出来てて思わず笑ってしまいました。



亡くなる前日まで紙粘土でトトロをこさえておりまして、母には明日紙粘土12個追加で買ってきてくれと頼んでいたそうです。生きる気満々でしたね(笑)

たぶん小トトロが走ってるとこです。


なかなか父さんに頑張ってとか、そう言う類の言葉は言えなくて、また父さんもありがとうとかあんまり言う人じゃないんですけど、最後に会った時の帰り際、私は西荻窪のニヒル牛と言う面白いギャラリー雑貨店で買ったエスパー伊東さんの「エスパワーカード」って言う"気"と言う文字だけが書かれたキラキラカードをあげたんですが、そしたらちょっと嬉しそうにして
あ、思い出した!といったような感じで
お返しにアイスのガリガリ君の当たり棒をくれました。(笑) お守りにしようと思います。


父さんが病院から出られなくなってから、そうだ、代わりに私が何か面白いものを見つけたら写真や動画を撮って見せてあげよう!と思い、春頃カイツブリの観察にハマっていたので一生懸命撮って見せたら一回目の感想は、
厳しめのお言葉でした...笑
病人でもカメラマンですね。あなどれない...

そして私はその時カイツブリが子を背中に乗せて泳ぐのを初めて見たので、知らなくって興奮していたのですが
父さんはその話も別に驚きもせず当たり前のように聞いておりまして、つまんないの〜って思ってたら

ある日、実家で遺品整理していたら
木彫りでもう彫っておった〜〜!
(裏には2012と記してありました。)
あなどれない...

父さんはとっくの昔に可愛いことを知っていてその瞬間をちゃんと彫ってたんですね。

今はうちに飾っております。
木の温もりはやっぱりいいもんですね。



それから、最後に会った日、病室を出てから「言い忘れてたことがあった!」とLINEが来てて何かと思ったら、公開されたばかりのある映画をおすすめしてきたので
すぐ翌日に見に行ったのですが
なんだか私は変に気を遣う気持ちが出てしまって、これがすごく面白い映画だったらどうしよう...父さんは見られないかもしれない...とか思ってしまって、、
なんだかヒヤヒヤしながら見たのですが笑
そしたら思ってたより面白くなくて(ごめんなさい)その時の私は、よし!ビミョーだったよ!って伝えよう(見たい気持ちが薄れますように)と思ってしまい
電話をかけたのですが、内容を話し始めたら、やめてくれ〜ってな感じで
「こんな話題になってる映画だからそのうちDVDでも出るだろ〜」なんて、私の心配をよそにとっても生きる気満々でした^_^
ちょっと前まではいつまで生きられるか、明日死ぬかもと落ち込んでいた時もあったので(そりゃそうだよな、)この時は私の方が救われた気持ちになりました。

これが最後の電話で、病院で会ってしまうと、楽しく話をしていても帰り際になんだか切ない気持ちになったりするので
これでよかったのかもしれません。

とても明るいいつもの父さんでした!


また、普段は山梨に住んでいたし、ライブがあってもなかなか来てもらうことはなかったのですが
このご時世、配信ライブをけっこうやっていて病院で見てもらえていたのはよかったです。

5/24にライブで新曲を歌ったのですが、
翌朝LINEで「見たよ!さんぽみち いいね!」ときてたのは嬉しかったなー
後日、病室を片付けていたら封筒の端切れに鉛筆で さんぽみち ってメモしてあって
忘れないように書いておいたのかなぁと思い少し泣きそうになりました。


知久寿焼ちんどん楽団の活動もたくさん見てもらえたのでよかった。
本当に喜んでました。

元々知久さんと知り合ったのは、「まちのコウモリ」と言う写真絵本を父が送ったのがきっかけで。父さんは知久さんが大好きでしたからね。
(差し歯が抜けた時も知久さんと同じ場所になっちまった〜と嬉しそうでした笑)

一度、ちんどん楽団のライブを見に来てくれて
お前はいいよな〜、俺は入れないからなぁ〜って。お父さん入りたかったのか!笑
羨ましがられました。。



まぁ、色々大変なこともあったけど、
お父さんありがとう!

夜も更けてきましたので寝ます。

また何か思い出して話したくなったら。


最後に家族の写真でも載せておきます。




あ、そうだ今年一杯まで

毎月刊行されている「楽しいわが家」と言う冊子の表紙を父が担当しております。


全国の信用金庫に置かれておりますので、見かけたらぜひ手に取ってみて下さい。


今月はコテングコウモリでした〜。

表紙のことばもありますので、よかったら読んでみて下さいね。




きみ🦇