青年海外協力隊 マラウイ 理数科教師のブログ

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さて、ケニヤから帰ってきました。

振り返りながら、書いていきます。

まず到着した首都のナイロビから車で5時間かけてVoiという町へ行きました。行く途中、左右の草原に普通にインパラやキリンがうろうろ歩いているのが印象的でした。普通に大型動物が歩いていますよ。VoiはTsavo国立公園の入り口にあって、このVoiの町から毎日のように国立公園へ遊びに行きました。

国立公園ではサファリツアーの他に、同期の獣医師隊員の勤める公園本部にもお邪魔させてもらいました。この本部のとなりでは親のいない小象を育てている施設があって、そちらにも遊びに行きました。

そこでかねてからの念願であった、『小象と仲良しになる』の夢が叶いました。『織田裕二 アフリカ大自然スペシャル 象物語』にだって負けてません。一生の記念になりそうです。私のわがままに付き合ってくれた獣医師隊員と現地スタッフのみなさんのおかげです。

象もいろいろ個性があって、いたずら好きだったり、食いしん坊だったり、恥ずかしがりやさんがいて、人間の子どもたちにそっくりでした。上の写真はその時のものです。象と腕(鼻?)を組んでデートしようとしているところと、象にミルクを飲ませているところです。



象たちと遊んだ後はアフリカの東海岸、港町のモンバサへ。二年ぶりの海です。波が岸辺に押し寄せてザッパーンと砕けていく様は圧巻でした。一日目はそれを繰り返し繰り返し2時間くらい見続けました。あれなら一日中でも見続けてよかったかもしれません。

モンバサ2日目はマーケットへ。数々の鮮魚やタコなどのとれたてピチピチ海産物が並んでいます。内陸国のマラウイでは絶対に見られない光景です。その中で私の目を引いたのがカツオでした。特有の尾びれの手前のギザギザが太陽に光ります。これをおろしてタタキにしてポン酢としょうがと薬味で食べたら・・・、なんて妄想を膨らませながら口の中に唾をためてお店の店頭でカツオをじっとみている28歳の東洋人はさぞ不気味に写ったことでしょう。

モンバサからは飛行機で再びナイロビへ。来るときは車で合計7時間かかったのが帰るときは45分でした。飛行機ってやっぱりすごい。



最終日のナイロビでは宿泊した語学学校(兼宿泊所?)で、日本からの団体客に出会いました。その方たちは日本からスタディーツアーでいらした方達で、アフリカの人々の暮らしぶりなどを見学に来たようでした。

その人たちを歓迎するために現地のNGO団体や地域の青少年クラブの子ども達が歌や踊りを披露してくれました。で、私もどさくさにまぎれて見学させてもらいました。なんらかのルートでその日本人団体客から現地の青少年に『出演料』のようなものが流れているのは当然ですが、彼らはそうやって稼ぎながら活動を維持しているのでしょう。

印象的だったのは、出演していた少年達がとても独創的な歌を自分で作って、それをみんなで楽しそうに発表していたことでした。もしかしたら日本人の見学者よりも出演者の彼ら自身が一番楽しんでいたのではないでしょうか。

歌の主題は『貧困に負けないこと』『人を愛し感謝すること』などが多かったようです。ストリートや貧しい家庭での生活を余儀なくされていた少年達が、歌や踊りで自己表現することを通じて人間性を回復していく、そういった瞬間を目の当たりにしました。

少年達の努力もさることながら、それを成し遂げた指導者の存在を意識せずにいられません。ちなみにその団体では、少年達をストリートや貧困家庭からスカウトして根気よく歌や踊りを教え、チームの一員として成長させていった指導者は日本人の方でした。もうケニヤ在住の長い方達で、少年達から兄として、あるいは親として慕われていた様子が今でも目に浮かびます。

私の受け持つ生徒達も、ケニヤで出会った少年達と年齢的には同じでありながら、学校の規律や課題に縛られすぎているせいか、あまりノビノビとした感じがありません。生徒個人のレベルでそうならば個性の範疇とできますが、全体としてそういう傾向があるならば、それはあきらかに指導者の責任になるのでしょうね。理科や数学という教科にとらわれて、彼らの人間性や自律心などに対する指導や教育をおろそかにしてきた自分の怠慢を深く恥じます。

8月17日からは新学期です。ここに来てもう一つの課題をケニヤで見つけてきました。これも上手く取り入れながらラストスパートを飾れるようにしたいです。
任地に帰ってきました。

まだ女子寮建設の残務が首都であるのですが、24日の金曜日が終了式なので、その前に一度任地に帰って期末試験を行う必要がありました。

22日水曜日に首都から任地のマンゴチへ、23日木曜日に数学の試験、その後すぐに採点と生徒の通知表の作成、24日金曜日の朝には首都へ戻ります。さらに24日の移動は活動引き上げもかねて荷物や家具をすべて移動させます。8月からの新学期も任期終了ギリギリまで教えますが、できるだけ授業に集中できるように家具は今のうちに処分しておきます。なので、23日の今日に数学の試験&採点、通知表作成に加えて引越しの準備までやります。なかなか忙しいです。先週ドナーにこの予定を伝えたところ、『綱渡りですね~』としみじみおっしゃってました。

今は生徒の期末試験終了後、採点の真っ最中です。



生徒の試験を採点していてびっくりしたことがあります。




な、なんと!!!




みんな数学の問題が解けなくなってる!!!

期末試験は以前の国家試験の過去問題から直接出しています。2週間前には解けていた問題をそのまま出題したので、いくらなんでも簡単すぎるだろうと思っていたのに、さんさんたる結果になりました。

以前はご褒美でつったり、授業中に過去問題を解いたり、放課後に補習をしたり、試験の結果は公開して生徒みんなでだれができたできないとワイワイやっていました。彼らはそういった空気の中で、彼らの中の眠り龍を目覚めさせて高得点目指して頑張っていました。

それが私がいなくなって2週間もすると、彼らの中の龍がしぼんでしまいとかげのようになってしまいました。すっかりやる気がなくなっています。あのときの彼らの頑張りが嘘のようです。

子どもの才能ややる気というのは適切な環境を整えてあげるとものすごい勢いで伸びるけれど、その環境がなくなるとたちまちしぼんでしまうようです。だから環境を整えてやる気を維持させるのが先生の仕事なんでしょうね。

今回のことは生徒を放り出して首都に行ってしまった私の責任でしょうな。あの状況では仕方なかった、といってしまえばその通りだけれど国家試験が9月に迫った今の段階でこの失点は痛いです。副業に熱中している間に本業がおろそかになっていました。それで自分が損害を受けるならともかく、今回被害を受けたのは生徒です。バランスって難しい。

次の学期では国家試験まで3週間あるので、この3週間で生徒の眠り龍をもう一度呼び起こします。そのプログラム作りが学期休みの私の宿題になりますかね。
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女子寮建設の件で首都滞在中です。

今日が締め切りの金曜日、書類が9割方完成して提出、残りについてもドナーに遅延を許可していただきました。なんとかなりました。

思えば月・火曜日で業者と建物の縮小について検討、水・木曜日で業者が新しい見積もりの作成、同時に私が新しい設計図の作成、金曜日にそれぞれの文書をつき合わせて矛盾点がないことを確認してドナーへ提出しました。この間に300kmはなれた学校では私の指示のもとで一日で追加書類を作成、郵送手段がなかったのですが偶然ドナーからの視察がその日にあったのでその場でドナーに手渡しと、綱渡りの連続でした。

とくに見積もりの作成は設計図があって通常1週間かかるものが、設計図なしの状態で2日でできました。業者さんの頑張りのおかげです。

さらに私個人で言えば校長先生が信頼してくれたことが大きいです。私がマンゴチをたつ前に委任状を作ってくれました。『この件に関してヒロを校長代行とする』。そのおかげで部屋割りや予算などの交渉を現場の判断で決定することができたし、業者との合意文書も私が署名できました。委任状は校長にとっても大きな決断だったと思います。

この国においては注文した内容が忘れられる、取り消される、時間が守られない、とにかく全ての計画は遅れてしかもだれも責任をとらないことが当たり前なのに、プロジェクトに関わった全ての人がこの一週間で各自の責任を遅れることなく果たしました。

奇跡としかいいようがありません。

目的を共有する人たちが、互いの頑張りに刺激されて能力以上の結果を出す、というのがチームワークの醍醐味です。さらに私を含め学校側では『女生徒のために』という共通の思いがありました。自分のためではなく人のために行動するとき、その気持ちが人間を強くする、ということを実感しました。

まだ仕事は残っているけれど峠は越えました。あとは残余整理的な作業だけです。




今晩の酒は一味違います。




【写真】完成した設計図