青年海外協力隊 マラウイ 理数科教師のブログ

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先週の10日木曜日にマラウイを発って、
12日土曜日に日本につきました。

さて、帰国したら家族と涙の再会&ご馳走パーティーを想像しますが、
私の場合両親が海外赴任&自分が鍵を持っていなかったので、
日本初夜はカップラーメンをすすりながら漫画喫茶で寝ました。
まぁ、飛行機のエコノミー席よりは寝やすかったですが、
マラウイの頃に想像していた日本初日とは随分違いましたね。

その後は連日の帰国オリエンテーション、
パスポートを返却したり、健康診断を受けたり、
その他もろもろの帰国手続きや進路相談などを受けました。
日本の近年の動向を紹介するコマがあって、
政権交代があったことや不況であることなど、
2年分の浦島隊員に分かりやすく説明してくれました。

そのとき聞いた耳慣れない言葉、『帰国ショック』。
これは帰国してしばらくは発展した日本の暮らしについていけずに、
あわあわしてしまう隊員が多いことにちなんで造られた言葉らしいです。
日本の動向について疎くなっていることや、
日本語が少しおかしくなっていたり、
人の多さや商品の品数に圧倒されてしまったり、
はたまた任国が恋しくなることを総じて言うそうです。

自分はどうでしょうね。
ま、時差ボケとかいろいろありますし、
しばらくは日本の感覚を取り戻すのに時間もかかるでしょうけれど、
きっと大丈夫でしょう。あまり不安はありません。

健康診断では、慣れない日本の暮らしがストレスになって
便秘になってしまい、難儀しました。
検便未提出でいると「いつでもいいから出たら採取してもってきて」、
と病院の看護婦さんが優しく言ってくれました。

その日の帰り道に、とっさに予感を感じて駅デパートのトイレへ、
便座に座って格闘すること数分、
やっと出てきたウ○コにホクホクしながら、
さぁ採取!
と便座から立ち上がった瞬間、


ボコ、ゴゴゴゴゴ、ジャ~~~~


とウ○コはあっけなく流れてしまいました。
立つと赤外線が探知して水が流れる・・・、自動なのね・・・。
去ったウ○コを悲しげに見つめる私のまなざしだけが、
キレイになった便器の水面に映っていました。

日本の科学技術に泣きました。
これも帰国ショックですか?

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今日で帰国オリエンテーションが終わりました。
同時に私の隊員身分も終了です。
『青年海外協力隊』というのが自分を形作っていたこの2年間でした。
隊員ではない『一般人のひろ』というのがなんか意識しづらいです。
でもまぁ、少しずつ慣れていくのでしょう。

MIXIプロフィール、少し変えました。
『マラウイに住んでいます』→『住んでいました』
のように過去形に変えていくと、ちょっと切なくなります。

マラウイでの2年間を心に大事にしまいつつ、
次の人生をこれから作っていきます。
さぁ、ぼちぼち前を向いて歩こうか。

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【写真】納豆ごはんとエビスビール、私の2大好物です。
青年海外協力隊 マラウイ 理数科教師のブログ

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南部、マラウイというほとんどの日本人の意識にすらのぼらない小国が、発展の階段を踏み出そうとしている。そのマラウイの発展の歴史の中で私は2年間活動した。私の微々たる活動などは、明日の帰国と同時にマラウイの発展の歴史の流れに溶け込んでまたたく間に見えなくなってしまうはずだが、その前に輪郭なりとも書き残していきたい。

 以前の自分の仕事が細菌や薬品を扱う仕事であったのに対し、この2年間の仕事はただひたすら人間を相手にする仕事であった。人との関係性の中でのみ自分は存在し、自分の考える自分と他者の考える自分に隔たりがないか気を配りながら仕事をしてきた。

 人を相手にする仕事は難しい。特に異文化の中では、相手の文化や価値観を学ばせてもらう謙虚な姿勢を少しでもおろそかにすれば、たちまち手痛いしっぺ返しがまっている。そういったとき相手の態度が自分をうつす鏡になるのだが、映し出された自分と向き合いその姿を隅々まで冷静に観察していくのは勇気がいる。

 人間だれしも自分の欠点をえぐりだしていくのには猛烈な痛みが伴うが、その痛みを恐れてしまったら我々は成長できないし、それを人にやってくれと頼むこともできない。しかしその痛みの向こう側に新しい自分がいることも事実で、マラウイの2年間は自分にとってそうやって新しい自分を作り続ける作業の連続だったと思う。

 自分は幸いにも生徒や同僚教員、その他任地の人々など様々な人間関係にも恵まれた。貧しくてかわいそうな人々を助けるなどという同情交じりの相手に失礼きわまりない優しさはなかったし、そんな甘い感傷があっては私の活動はなりたたなかった。ただ2年間、彼らと苦楽をともに生きた実感だけがある。

 自分の存在が彼らの役にたったこともあれば逆に迷惑となったこともあっただろう。また彼らが私の技術を学んでくれた一方で彼らから学ばせてもらったことも多かった。ここで自分がしたことは、1つの社会を構成するもの同士の共同作業であったと思う。お互いの存在が影響を与え合い、響きあって、ほどよく混ざり合った。人は他者との関係性の中で自己を認識して自分の輪郭を作り上げていくのだと、そう悟ることができた2年間でもあった。

 そして人との関係を作り上げながら自分を形づくるという行為は、2年間で終わるものではなくてマラウイ後も人生を通じて続いていくのだろう。

 そう思って振り返れば、今まで自分は様々な人と出会ってきた。

 両親や兄弟、学校の先生や友人に恵まれ、彼らから様々なことを教えられ、また彼らとともに学び自分は今の自分を築きあげてきた。もちろん読んだ本の著者や映画やテレビの製作者などからもらったものもあるし、マラウイでの2年間の影響も大きい。そのように人生の中で様々に受け取ったものの集合体として今の自分の知識や技術や経験、それらを総合しての自分という存在が出来上がっている。

 人間は他者や自然とのつながりの中で生きている、と同時に今自分の持っている内面的なものは、自分で作り上げてきたもののようで、実はそういった外界から得た経験の集合体に過ぎないのかもしれない。人生における様々な出来事、仕事や学業での成功や失敗、友人との付き合いといった過去の経験の一つ一つが、自分の中で結晶となって息づいている。

 明日、私はマラウイからいなくなる。

 2年をともに過ごした生徒も同僚も、飼い犬や地域の人々とももう会えなくなってしまう。彼らと過ごした日々が戻ることは決してないが、しかしその時間は消えてしまうのではなく、凝縮され結晶となり私の一部になっていくのだろう。将来仕事帰りにふと夕陽を見ながら思い出すこともあるかもしれないし、落ち込んだときなどに生徒の笑顔が勇気付けてくれるかもしれない。

 マラウイの夜空には宝石箱をひっくり返したかのように星たちがちりばめられていて、そのキャンバスの中央を天の川が静かに流れている。

 夜空に架かる天の川の流れの一つ一つが輝く星であるように、人生の思い出や経験の結晶の一つ一つが集合体となって自分の人生の流れを作っていく。

 宇宙に存在する物質はそれぞれが等しく宇宙の一要素であって正負も善悪もないが、同じようにして自分の経験の全てに無駄なものなどはなく、また今の自分の形成に不必要なものもなく、正の経験も負の経験も全てが自分を作っている要素なのである。そしてこの法則はこれからの人生でも変わらない。だから将来どんな経験をつむにせよ、自分はそれをありのままに受け入れていけるだろう。

 そういった人生を理解するための手がかりのようなものを、私はマラウイにおける2年間の生活の中で得ることができた。これは生まれ育った文明を離れ様々な経験を経て知りえたことで、もし日本にいたなら気づけなかったか、もっと長い時間がかかっていただろう。

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 この日記を書いている窓の外に、3度目のジャカランダが咲いている。

 2年前に着任したとき、町中に咲く満開のジャカランダが印象的だった。明日には同じジャカランダに見送られて、自分はこの国を去っていく。マラウイの未来がどういったものになるにせよ、このジャカランダは毎年変わることがないに違いない。年々歳々変わりゆく人々の暮らしの中で、変わらないものがあるというのは我々を安心させる。いつか遠い未来に自分がマラウイに帰ってくることがあるとして、たとえ私のことを憶えている人がいなくなってしまっても、ジャカランダの花だけは変わりない姿で迎えてくれるに違いない。

 風が舞うたび、紫の花びらが空へ運ばれていく。私の2年間の軌跡も、もうすぐ風に運ばれていってしまうのだろう。それが完全に見えなくなってしまうとき、私の活動が終了する。

 手ぶらで日本に帰ろう。

 楽しい二年間だった。

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 長かったMIXI日記マラウイ編、終わります。応援してくれたみなさん、ありがとうございました。
ちょっと油断していました。

先月の10日、ドナーから女子寮建設の書類を作り直すように支持をもらって、
その後すぐに南都ブランタイヤへ移動してネットで調べ物。
翌日マンゴチへ帰宅、校長と方針について協議、
さらにその翌日、ドナー・業者と話し合うためリロングウェへ。
この三日間の連続長距離移動で『痔』になりました。

結局2週間かけて必要な物事はすべて終わらせたのですが、
この間に痔を放置したため悪化してしまいます。
さらに翌週からケニアへ。
キャンセルしたほうがよかったのかもしれませんが、
高い飛行機代がもどってこないことや向こうでまってくれている、
同期隊員や小象たちを思って強行しました。

当然ながら痔は悪化、帰ってきてすぐに治療を開始します。
幸い手術にはいたりませんでした。
手術ならマラウイではできないので日本へ療養帰国、
残り任期1ヶ月未満の場合の療養帰国は『片道切符&任期短縮』だそうで、
そうならなかったので何よりです。
とりあえず残り一ヶ月は薬を各種服用することで症状を抑え、
日本に帰ってから根本的な治療をします。

腰痛と痔って、自分は本当に20代だろうかと、
悶々と考えながら外を歩いていたら、犬にガブリと足をかまれます。
普通に歩いていただけなのに、いったいなんの恨みが・・・。
ただでさえいろいろ薬を使っているのに、
ここに狂犬病ワクチン&感染症予防の抗生物質が加わります。
とくに狂犬病ワクチンは副作用が強いのでしんどいです。

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ベッドに横たわっていろいろ考えます。

帰国間際になってどうも油断しているようで、
それが普段なら避けるであろう病気&事故につながっています。
私の任地には、活動を終了して引き上げるその移動中に
事故にあって亡くなってしまった隊員がいます。
帰国日に発熱してしまう隊員や、
帰国日前日に深酒で移動が困難になったりした隊員もいます。

帰国が近づくとどうしても気分がはやってしまい、
それが病気&事故につながるケースが多いようで、
自分ももっと気をつけなければいけません。

こういった病気&事故が、学期休みにおきただけまだ幸運で、
今週中になんとか治療に区切りをつけて、
来週からは任地で最後の活動に入ります。

あと3週間、油断大敵です。
古人曰く、『勝って兜の緒をしめよ』と。