戦略は智恵の勝負である。変化する枠組みを先取りして、少な
い労力で最大の効果を挙げるという、センスのよさに腕をふる
う発想が必要となる。
一方、戦術は今あるものを少しでも安く作ろうという、現状の
延長線上に解を求める思考である。経済の枠組みが大きく変化
する現在、戦術だけではもう勝てない。
⇒日本は戦術の玄人が多い傾向があると思う。

『顧客は何をもとめているのか』『今の製品やサービスが、本
当に顧客ニーズと合致しているのか』と、自問自答し続けるこ
とが大切である。
⇒『顧客』を経営戦略の中心に置くと考えがぶれにくい。

成功体験は思考を停止させることも多い。成功体験は美化され
やすく、かえって発想の転換を阻害しやすい。これは過去に縛
られた思考の停止である。
⇒第二次大戦の日本軍が成功体験に埋没した最も有名な事例

戦略思考ができる人材とは、
・専門分野をもっていること
・新しい提案ができること
・問題を発見して自ら解決できること
・自己管理ができること

日本企業の経営理念には、貧困なものが多い。例えば、『誠意
、信頼、努力』といった種類のものである。この内容では、す
べての業種に通用するものであり、抽象的過ぎる。ないのも同
然である。これでは企業の独自性を作り出すことはできない。
⇒理念の具体化は、『その他のオプション』を捨てる勇気がないとできない。

経営戦略の3大機能は、ドメインの明確化、他者との継続的な
競争優位の確立、継続した経営革新の推進、である。

ドラッカーは、マネジメントの基本的な役割を、『共通の目的
と価値観、適切な組織構造、教育訓練と自己開発の力によって
、人々が共同して何事かを成し遂げるためのもの』と定義
している。

自社の1年前、2年前、3年前を振り返ってみよう。この3年間で
、大きなイノベーションが起きていないとしたら、時代の変化
に確実に遅れていることになる。
⇒自分の所属組織に照らして考えてみよう。

マーケットリーダーは、市場全体を成長させるための戦略をと
るべきである。すでにシェアが1位であるから、市場全体が大
きくなれば、売り上げも必然的に伸びる。競合他社に打撃を与
えるための無理な値下げや、市場を混乱させる行動は好ましく
ない。トップ企業として、市場全体をリードしていかなければ
ならない。新規顧客の開拓、新しい用途の開拓、使用頻度と量
の増加を目指すことが必要である。

顧客フォーカスはWin-Winの関係を築くことが基本である。顧
客と信頼関係を築き、顧客ニーズの探索と充足活動を通じて、
市場を想像する取り組みである。競合でなく顧客を見ることで
、顧客にとって価値がある、差異化された企業を目指すのであ
る。

顧客に『ノー』といえる関係が大事。顧客と企業はパートナー
であることが大前提であり、顧客が企業を選ぶと同時に、企業
も顧客を選ぶ権利がある。お互いが『ノー』といえる関係でな
ければならない。TDLは『地上の楽園』として、顧客の夢を
壊す行動に対しては、明確に否定する姿勢を貫いている。弁当
の持込や布教の禁止はそのためである。
⇒『ノー』を言える信念を養うには仕事への能力と覚悟が必要。
身分社会について、差別について、いろいろ考えさせられる一冊です。

「病人を救うのは、医師としての義務である」
このようなポンペの言動は、そのまま日本の身分制社会を切り裂く痛烈な思想として受け取られたといっていい。ポンペは、この思想の斧を担いで打つ全たる原生林のような日本の身分制社会の中に入り込むに当たり、その思想に無用の誤解をふかされないためにーつまり金儲けだと思われないためにー自分の医療は一切無料にした。その意味においても、彼の医療行為は、刃物のように鋭い思想的行為の側面を持っていた。

幕藩体制というものは、この国の皇帝である将軍を頂点とし、以下に将軍に近く、以下に将軍に遠いかということで無数の身分さが精密に作られている。無論、将軍を頂点とする遠近尺度は、大名と直参までである。・・・略・・・別世界は別世界で、法制化された無数の身分に細分化され、互いに差別しあうことにより、専制化の「安定」を示している。

万人に差別意識を強固に持たせることによって徳川の体制は成立している。もし庶民が、差別などあるべきでないという思想を共有してしまえば、たちまち大地が揺らぎ、その上に乗っかった積み木にすぎぬ徳川身分制社会などは簡単に崩れてしまうだろう。

(学問・技術というのはそれだけがやってくるのではないのだな)
ということが、わかった。医学は医学だけがやってくるのではなく、「君臣共治」とよばれているオランダの社会思想やヨーロッパの人権思想など、あらゆる非日本的な思想が付着してやってくるのらしい。

医師にとって、ただ病人があるだけである。患者がどういう階級に属し、どれほどの富を持ち、あるいは持たないか、ということは、何の関係もない。

(身分差別について)それは間違っている。
と、良順は思う。徳川国家が、そういう平等意識は建国の精神にもとる、というならば、徳川国家の方がつぶれざるを得ないだろうと思った。のちの攘夷家が倒幕家に移ってゆくような激しさでそれを思ったのではなく、自分でも始末に悪いほどの冷静さで、そのように思ってしまったのである。

少なくとも、十世紀以来、大商業が復活し、活発になり、市場が成長し、都市が田舎に向かって拡大し、農奴制が大きく崩れ、人間に対する協会の支配が崩れた、という条件なくしては、ルネサンスは到来しなかったであろう。ひとびとは、ものや物事をありのままに、しかも正確に見るという、商業が社会化させた感覚をみにつけた。実証的合理主義精神というものは、そういう感覚のいいであった。

松助はうまれながらにして不平等の環境の中で苦しまざるを得なかったために、人間とは何か、という課題を考え続ける契機にことをかかなかった。ついには一部の狂いもなく本来平等なものだという平明な真理を新年するにいたっている。

米と無縁の職業の多くは差別された。特に皮革をつくったり竹細工などをするものは稲作のできない土地にすまわされ、移動と転職、痛恨の自由を奪われ、その身分は厳しく固定化された。江戸後期になると、社会全般に身分制の崩れが目立ち始める。貨幣経済が発達し、幕府が守ろうとする米経済を揺るがせ始めた。驀進の身分さえ、貨幣で買う例が増えてきた。

差別意識は、西日本において著しい。が、江戸は少し違っている。比較的希薄といっていい。
江戸浅草の今戸の一角に、団左衛門という長g者が住んでいる。幕府から関八州を含める十二カ国のエタ・非人の支配権を許され、穢多頭と呼ばれた。
団左衛門家の申し立てたところでは、弾が苗字であるという。が、苗字とも菜とも憑かずに、弾左衛門という呼称は世襲されてきた。
「浅草左衛門由緒書」
というものが当時左衛門家にあり、その写本の一つが江戸幕府区から明治政府に引き継がれ、今は国会図書館にある。
徳川家康が関東に入部したとき、弾左衛門の先祖はこれを武州府中まで出迎えた、とある。
以来、家康によって関八州その他に住む卑賤の職のものの支配を命ぜられた。
弾左衛門の先祖は手下のものを率いて関が原合戦にも大阪の陣にも出たというが、その兵は他の兵と同様の取り扱いを受けた、とある。その時代にはその後の深刻な差別がまだ成立していなかったと見ていい。

差別といっても、他の国の社会にもある大方のそれとは、質的に異なっている。
人外の人であるという。
――この世に存在しないものだ。
という不思議な思考法がある。江戸時代の地図では、被差別村がその間に点在しても、計算からはずされていた。さらには租税を取らない。いまひとつは、牧夫の行政にあっては彼らを直接支配はせず、穢多頭にまかせているということであった。沿い憂いう行政思想のいっそ工面の身から見れば、穢多頭は大名に酷似している。

そのほかにも皮革にともなう別役銀や職場年貢銀も入るが、全て無税であったために収入は大きかった。無税という点では、被差別民全体がそれに近い。無税は得点や恩恵ではなく、諸相そのものが差別から出ていた。幕藩体制が人外の人として扱っている以上、租税を取る倫理が成立しないというだけのことで、さらには租税まで穢れているということも要素の一つに入っていたであろう。
幕末、弾左衛門家は決して差別に甘んじていたわけではなかった。様々な機会を捉えてこのいわれのない差別から開放されようとした。例えば幕府がやった長州征伐でも弾左衛門は軍夫五百人をさしだし、後日の発言の素地をつくろうとした、という説がある。また後日のことになるが、土佐の板垣退助に率いられた「官軍」の東山道鎮撫先鋒軍が江戸の板橋に入ったとき、弾左衛門はあたらしい権力に対し発言資格を得るべく、まず恭順氏、米百俵を差し出した。板垣らは弾左衛門に対し柔らかい態度を示したが、米は受け取らなかった。差別によるものといっていい。
王さまはいいました。
「大臣にしてあげるから」
「なんの大臣に?」
「そうだな、そうだな、法務大臣に!」
「だって、裁判しなけりゃならないような人は、だあれもいないじゃありませんか」
「そりゃ、わからん。わしは、まだ、わしの国をまわって見たことがないんでね。もう、すっかり、年をとったのだが、馬車をおく場所がないんで、歩くのが疲れるよ」
「そりゃ、こまりますね!でも、ぼく、さっきから見てるんだけど」と、王子様は、身をかがめて、星の向こう側を、もう一度、ちらっと見やりながらいいました。「あの向こうにも、だれもいませんよ」
「では、お前自身の裁判をしなさい。それがいちばんむずかしい裁判じゃ。他人を裁判するより、じぶんを裁判する方が、はるかにこんなんじゃ。もし、おまえが、りっぱにじぶんを裁判できたら、それは、おまえが、ほんとに賢い人間だからじゃ」
⇒自己評価は難しい。痛みが伴うしなにより勇気がいる。

「じぶんのものにしてしまったことでなけりゃ、なんにもわかりゃしないよ。人間ってやつぁ、いまじゃ、もう、なにもわかるひまがないんだ。」

「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心でみなくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
⇒「心でみる」って具体的にどんなことだろうね、きっと見えた人にだけ理解できる境地なのでしょう。

「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ」

「砂漠は美しいな」と、王子さまはつづいていいました。
まったくそのとおりでした。ぼくは、いつも砂漠が好きでした。砂山の上に腰をおろす。難易も見えません。なんにもきこえません。だけれど、なにかが、ひっそりと光っているのです。
「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ」と、王子さまがいいました。
とつぜん、ぼくは、須永そんな風に、不思議にひかるわけがわかっておどろきました。ほんの子どもだったころ、僕は、ある古い家に住んでいたんですが、その家には、なにか宝が埋めれれているという、言い伝えがありました。もちろん、だれもまだ、その宝をはっけんしたこともありませんし、それを探そうとした人も内容です。でも、家じゅうが、その宝で、美しい魔法にかかっているようでした。ぼくの家は、そのおくに、一つの秘密を隠していたのです。
「そうだよ、家出も星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ」と、ぼくは王子さまにいいました。
⇒ここはちょっと泣きそうになりながら読みました。