お久しぶりです。
その後病状はある程度快復、
まだ全快というわけにはいきませんが、とりあえず教壇に復帰です。
やっぱり授業はいいものですな、
生徒の前に立つと自然と背筋が正されます。
月曜から金曜までフルタイムでこなしましたが、
長い闘病生活にすっかり体力が落ちたようで
大分疲れやすくなっていました。
でも土日でたっぷり休養、これから少しずつ体力を取り戻していきます。
あと、遅れた授業も取り戻さねば・・・。
ぼちぼちやっていきましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
久しぶりの英語ネタです。
先日同僚と話していて、私が、
『I bought a chicken』
と言ったのですが、その時ふと昔習ったことを思い出しました。日本では『Chicken(鶏肉)』は不可算名詞として不定冠詞の『a』や『an』はつきません。『Beef』『Pork』と同じで塊として認識するため数を表す形容詞はつきません。
つまり『Two beef』とか『three pork』といった言い方をしないのです。あえて言うなら『Three pieces of pork』(豚肉を3切れ)という言い方にしなければなりません。『A piece of~』などの語句は部分詞といい、不加算名詞の数を表現したいときに使用します。
ただ、同じ肉類でもbeef,pork,chickenの3語の中ではchickenだけ他の二語と違います。なぜだか分かりますか?
他の2語が不加算名詞なのにchickenだけは可算名詞としても使用することができます。『A chicken,two chickens』といった表現ができます。これは、『一羽のニワトリ、二羽のニワトリ』という意味で、このように動物そのものを表すときは可算名詞になります。ちなみに『beef』と『pork』では動物をさすときはそれぞれ『cow』と『pig』を使います。
日本の英語の授業では『I bought a chicken』は不正解になるわけです。一般にニワトリを生きた動物として買う人はいません。たいていパックに入った鶏肉の塊を何百グラムと指定して買うわけです。
でもマラウイでは違います。ニワトリは生きたまま買ってきて自分の家でさばきます。逆に『I bought chicken』といったら不正解になるわけです。お前はニワトリを200グラム買ってきたのかと、そんなことできるわけないだろ、とか言われるわけです。
国によって冠詞の使い方がちょっと変わるという例です。まぁ極端な話ですが・・・。
日本語にも単数・複数による名詞の活用はあるかなと考えて、例えば一人なら『人』だけれど、たくさんだと『人々』、世界の全ての国を『世界中の国々』、たくさんの木を『木々』とかいいますね。多数になったときに名詞を重ねることがあります。あと不加算名詞でもその形質が強いと語を重ねます、『赤々とした夕焼け』『白々しい』『重々承知してます』とか。でも名詞全体から見たら語を重ねて表現する語は微々たるものだし、英語のように『一つVS二つ以上』の明確な区別ではなく『なんとなく少ないVSなんとなく多い』くらいの曖昧なものですね。
とまぁ、思いつくままに。
ついでに英語ネタをいくつか過去日記から、
『英語なんて怖くない』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=485722988&owner_id=6056398
『コトバノチカラ』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=231980290&owner_id=6056398
『「新」英語学習法』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=449124337&owner_id=6056398
『英語下手を誇ろう』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=218927548&owner_id=6056398
まだあった気がするけれど、なんか見つからないので。
次はちょっとしりあすに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今まで自分は様々な人と出会ってきました。
両親や兄弟、学校の先生や友人に恵まれ、彼らから様々なことを教えられて今の人格を築きあげてきました。もちろん本や映画やテレビから受けた影響も大きいです。そのように人生の中で様々にもらったものの集合体として今の自分の知識や技術や経験、それらを総合しての人格というものが出来上がっています。
人間は他者や自然といった外界とのつながりの中で生きている、と同時に今自分の持っている内面的なものは、自分で作り上げてきたもののようで実はそういった外界から得たものの集合体に過ぎないのでしょう。
だから人生における様々な出来事、仕事や学業での成功や失敗、友人との付き合いの一つ一つ、好きな異性と初めて心通わせた瞬間や、同じ相手に振られたときの絶望感や、そういったものの一つ一つが結晶となって自分の中に息づいて『自分』をつくっています。
夜空に架かる天の川もよく見れば輝く星の集合体であるように、そういった経験や思い出の一つ一つが集まって自分の流れを作っています。そしてその流れが夜空を横断し、まだ見ぬ夜明け前の地平線まで続いていきます。
宇宙に存在する物質には正負も善悪もない、それぞれが等しく宇宙の一要素であるように。
だから自分の経験の全てに無駄なものなどはなく、また今の自分の形成に不必要なものもなく、正の経験も負の経験も全てが自分を作っている要素なのでしょう。そしてこの法則はこれからも変わらないでしょう。
だからこれからの人生で、少しくらいの辛いことがあってもそれを肯定的に受け入れることができると思います。
そういった人生を理解するための手がかりのようなものを、私はマラウイにおける生活の中で得ることができました、特に今回の長期闘病中に。これは生まれ育った文明を離れ様々な経験を経て知りえたことで、もし日本にいたなら勘の悪い自分など気づけなかったかもしれません。
今日もマラウイの夜空は満天の星の輝き。耳が痛いくらいに静かです。
もう寝ましょう、また明日から授業です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
眠れぬ夜にこういうしりあすなのを書くわけです。
その時は夜中の静けさに気分が乗っているのですが、
翌朝読み返すと顔から火が出るほど恥かしかったりします。
この歳になってまだ自分の心を読みきれない、
というのもこまったものです。
その後病状はある程度快復、
まだ全快というわけにはいきませんが、とりあえず教壇に復帰です。
やっぱり授業はいいものですな、
生徒の前に立つと自然と背筋が正されます。
月曜から金曜までフルタイムでこなしましたが、
長い闘病生活にすっかり体力が落ちたようで
大分疲れやすくなっていました。
でも土日でたっぷり休養、これから少しずつ体力を取り戻していきます。
あと、遅れた授業も取り戻さねば・・・。
ぼちぼちやっていきましょう。
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久しぶりの英語ネタです。
先日同僚と話していて、私が、
『I bought a chicken』
と言ったのですが、その時ふと昔習ったことを思い出しました。日本では『Chicken(鶏肉)』は不可算名詞として不定冠詞の『a』や『an』はつきません。『Beef』『Pork』と同じで塊として認識するため数を表す形容詞はつきません。
つまり『Two beef』とか『three pork』といった言い方をしないのです。あえて言うなら『Three pieces of pork』(豚肉を3切れ)という言い方にしなければなりません。『A piece of~』などの語句は部分詞といい、不加算名詞の数を表現したいときに使用します。
ただ、同じ肉類でもbeef,pork,chickenの3語の中ではchickenだけ他の二語と違います。なぜだか分かりますか?
他の2語が不加算名詞なのにchickenだけは可算名詞としても使用することができます。『A chicken,two chickens』といった表現ができます。これは、『一羽のニワトリ、二羽のニワトリ』という意味で、このように動物そのものを表すときは可算名詞になります。ちなみに『beef』と『pork』では動物をさすときはそれぞれ『cow』と『pig』を使います。
日本の英語の授業では『I bought a chicken』は不正解になるわけです。一般にニワトリを生きた動物として買う人はいません。たいていパックに入った鶏肉の塊を何百グラムと指定して買うわけです。
でもマラウイでは違います。ニワトリは生きたまま買ってきて自分の家でさばきます。逆に『I bought chicken』といったら不正解になるわけです。お前はニワトリを200グラム買ってきたのかと、そんなことできるわけないだろ、とか言われるわけです。
国によって冠詞の使い方がちょっと変わるという例です。まぁ極端な話ですが・・・。
日本語にも単数・複数による名詞の活用はあるかなと考えて、例えば一人なら『人』だけれど、たくさんだと『人々』、世界の全ての国を『世界中の国々』、たくさんの木を『木々』とかいいますね。多数になったときに名詞を重ねることがあります。あと不加算名詞でもその形質が強いと語を重ねます、『赤々とした夕焼け』『白々しい』『重々承知してます』とか。でも名詞全体から見たら語を重ねて表現する語は微々たるものだし、英語のように『一つVS二つ以上』の明確な区別ではなく『なんとなく少ないVSなんとなく多い』くらいの曖昧なものですね。
とまぁ、思いつくままに。
ついでに英語ネタをいくつか過去日記から、
『英語なんて怖くない』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=485722988&owner_id=6056398
『コトバノチカラ』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=231980290&owner_id=6056398
『「新」英語学習法』
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『英語下手を誇ろう』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=218927548&owner_id=6056398
まだあった気がするけれど、なんか見つからないので。
次はちょっとしりあすに。
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今まで自分は様々な人と出会ってきました。
両親や兄弟、学校の先生や友人に恵まれ、彼らから様々なことを教えられて今の人格を築きあげてきました。もちろん本や映画やテレビから受けた影響も大きいです。そのように人生の中で様々にもらったものの集合体として今の自分の知識や技術や経験、それらを総合しての人格というものが出来上がっています。
人間は他者や自然といった外界とのつながりの中で生きている、と同時に今自分の持っている内面的なものは、自分で作り上げてきたもののようで実はそういった外界から得たものの集合体に過ぎないのでしょう。
だから人生における様々な出来事、仕事や学業での成功や失敗、友人との付き合いの一つ一つ、好きな異性と初めて心通わせた瞬間や、同じ相手に振られたときの絶望感や、そういったものの一つ一つが結晶となって自分の中に息づいて『自分』をつくっています。
夜空に架かる天の川もよく見れば輝く星の集合体であるように、そういった経験や思い出の一つ一つが集まって自分の流れを作っています。そしてその流れが夜空を横断し、まだ見ぬ夜明け前の地平線まで続いていきます。
宇宙に存在する物質には正負も善悪もない、それぞれが等しく宇宙の一要素であるように。
だから自分の経験の全てに無駄なものなどはなく、また今の自分の形成に不必要なものもなく、正の経験も負の経験も全てが自分を作っている要素なのでしょう。そしてこの法則はこれからも変わらないでしょう。
だからこれからの人生で、少しくらいの辛いことがあってもそれを肯定的に受け入れることができると思います。
そういった人生を理解するための手がかりのようなものを、私はマラウイにおける生活の中で得ることができました、特に今回の長期闘病中に。これは生まれ育った文明を離れ様々な経験を経て知りえたことで、もし日本にいたなら勘の悪い自分など気づけなかったかもしれません。
今日もマラウイの夜空は満天の星の輝き。耳が痛いくらいに静かです。
もう寝ましょう、また明日から授業です。
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眠れぬ夜にこういうしりあすなのを書くわけです。
その時は夜中の静けさに気分が乗っているのですが、
翌朝読み返すと顔から火が出るほど恥かしかったりします。
この歳になってまだ自分の心を読みきれない、
というのもこまったものです。