青年海外協力隊 マラウイ 理数科教師のブログ

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私の任地がテレビで取り上げられました。
ダーツの旅といって、所ジョージが世界地図に向かってダーツを投げて、
刺さった土地にタレントがいって
その土地の様子をレポートしてくるという企画です。

その番組の動画が手に入ったので見てみると、
所さんが投げたダーツは見事にアフリカの中央部マラウイ、
さらにそのマラウイの東南部、私の任地マンゴチに刺さっています。

で、次のシーンからマンゴチ、見慣れた景色がテレビに映し出されます。
いやいや幻をみているようでした。

すごい確率ですな。

ちなみに、

このテレビでとりあげられたマンゴチという小さな町ですが、
日本人1億3千万人のうちここに住んでいるのは私一人です。
これってなんかすごいなぁ、とよくわからないけれど感じました。

上の写真はタレントがマラウイの空港についてマンゴチへの生き方を尋ねているところ。

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先週末の13日は我々の一期前の先輩隊員が帰国されるのでその送別会でした。
主催は一期後輩の我々の隊次です。
私は主催者の中でも主に送別会で流す各先輩隊員の活動紹介ビデオや、
送別会で流す音楽などを担当しました。

愛機のパソコンを巨大アンプやらプロジェクターやらにつなぎます。
見慣れたパソコンもたくさんのケーブルにつながれると
なにやら急に高性能パソコンに見えてくるから不思議です。
数日前から動画作りでかかりきりでしたので寝不足です。
目はチカチカするし睡眠不足で思考能力もおぼつきません。

上の写真はそんな放心状態の中でなんとか仕事をこなす私です。
なんか魂がぬけてますね。

それでも大きな失敗を起こすこともなく無事送別会は終了。
なんとか先輩隊員たちにも喜んでいただけたようでよかったです。
今まで数日間送別会準備で日常生活から切り離されていて
学校業務も滞りがちでした。

さ、任地に帰って気持ちを切り替えて、先生家業に戻りましょう。
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上の写真、結構グロテスクに感じる人もいると思いますので、

【注意】

ネ ズ ミ の 嫌 い な 人 は 見 な い で く だ さ い 。

というわけでネズミの串焼きです。
体調5~10センチくらいの小さなネズミを5~6匹串にさして焼きます。
じっくり火が通ったら塩を振って食べます。
同僚はこれをAfrikan Sausageといっていました。
食べてみると、う~ん、ソーセージの味と食感です。なかなか上手い。
体毛の感触が舌に残りますが、まぁ珍味ということでよしとしましょう。

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さて、先日書いた教育番組制作に関してのその後です。

番組を作るために、実験の得意な理数科隊員に協力をとりつけ、
JICAから隊員の出演許可をとりつけ、
放送局の協力をとりつけ、
そこまではよかったんですが、

番組の制作方針について制作会社の社長さんと意見が食い違いました。
向こうは先日日記で紹介したとおりの、
出演者がテレビの前で延々としゃべり続けるというのが
教育番組のあり方だと思っていました。
隊員側は実験や視覚的にインパクトのある絵を撮ることが必要と主張し、
3日間にわたって議論を重ねたのですが、
結局双方の意見がかみ合うことはありませんでした。
いろいろ妥協案やら折衷案を出しては粘り強く交渉したつもりでしたが、
結局最後は計画を白紙に戻して任地に帰りました。
協力してくれた隊員さん、放送局関係者に申し訳ない。

まぁ、完全に負け戦です。
しかも敗因は私個人の調整能力のなさによるところが大きいです。
こういうときの長距離移動はいつもの何倍も腰が痛みます。

任地でゆっくり癒しましょう。


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夜に外を歩いていると(JICAの安全基準ではアレだけど)、
月明かりが道を照らしてくれるので、街灯がない任地でも困りません。
むしろ自分や木々が月光に照らされて、かなりくっきり月影ができるくらいです。

見上げると満月、白くてまんまるい月の光が優しく自分を照らしてくれる。
昼間の人々の喧騒の中でまぶしい太陽の光にあたるのもいいけれど、
同じ道を夜の静けさの中で月光の下を歩くのもオツなものですな。
見慣れた風景もまったく違った世界に感じられます。

昼間の太陽の光が父性の強さなら、夜の月光は母性の優しさ、
仕事で疲れた体をじんわりと癒してくれます。

西洋では満月は不吉の象徴とされていて、
たとえば狼男は満月の光をみると怪物に変身したり、
ジェイソンがでるのは13日の満月の金曜日だったりします。

でも日本では満月は月見をしたりウサギがもちをついたりで楽しそうです。
万葉の昔、男達は月明かりを頼りに目当ての女性の家を訪れました。
なので女性は月が出るのを夜空を見ながら待っていたそうです。

   闇の夜は 苦しきものを いつしかと
       わが待つ月も 早やも照らぬか

   月のない夜は苦しいものです。
   私の待つ月(と月明かりをたよりに来てくれるアノ人)
   も早く出てこないものかな。

月の出る時間からついた月の名前もあります。
立待月(たちまちづき)は十七夜、日の入りから1時間半くらいで出てきます。結構すぐ出るので立ったまま月を待ちます。もうちょっとかかるのが居待月(いまちづき、十八夜)、立ったまま待っていると疲れてしまうので座って待ちます。

この辺の感覚がなんとも甘酸っぱいものですな。

満月を見てお酒を飲むのも素敵です。
高知県の桂浜は月の名所だそうで、近所の人たちは満月の夜には浜辺でお酒を飲むそうです。月明かりに照らされる桂浜はそれはそれは美しいそうで、高知人は酒豪ばかりなので酒盛りは一晩中続くのでしょうな。以下は司馬遼太郎『竜馬がゆく』より引用。

竜馬はひとり短艇をおりた。渚の水で袴をぬらしながら砂浜にあがると風が西南にふきわたって、遠近の松が鳴った。
砂浜が長く、白い。
長い渚の向こうに竜王岬が海に向かって伸び、岬の脚の岩に波が果断なくくだけているのがみえる。
(桂浜じゃな)
竜馬は一歩々々、足跡を印するのを楽しむようにして歩いた。歩くにつれ、こみあげてくる感傷にたえきれなかった。この国に生まれたものにとって、この浜ほど故郷を象徴するものはないであろう。
月の名所は桂浜
と里謡にもあるように、高地城下の人は中秋の明月の夜にはこの浜に集い、月を肴に夜明かしの酒を飲むのが年中行事になっていた。

引用終わり。

テレビもラジオもなかった昔の人にとって、
夜空に輝く月は今とは違った格別の趣があったのでしょうな。
電気製品や街灯がない私の任地でも月だけは見事なほどにきれいです。

今日も感謝感謝。
最近いつも授業が終わると喉がガラガラになっている。
授業数の多い日などは喉がヒリヒリするし、
翌朝おきてもまだ喉が痛いなんて事もあります。
ヒリヒリ痛む喉で授業をするのはしんどいですが、
これも仕事のうちと思ってやってます。

活動の一年目は生徒を静かにさせるのに喉を痛めてましたが、
最近はずいぶん様子が違ってきました。

一通りの授業内容の説明をして『何か質問は?』と聞くと、手が挙がります。
それに答えていると『それじゃこれはどうなんですか?』とさらなる質問が、
すると他の生徒が『お前そんなのもわからんのか、俺が説明してやる』と
さらに発言が増えてだんだんみんなの声が高くなり、
気がつけば自分も喉を張り上げて説明していたりします。
今日などは通りがかりの先生が何事かとのぞきにきたくらいです。

生徒たちもずいぶん変わりました。
今年の終わりには彼らは国家試験をうけなくてはいけないので、
真剣さが増していることもあるのでしょうけれど、
勉強に対する基本的な姿勢が変わってきています。

一年と九ヶ月、活動もあと3ヶ月を残すのみになりました。
勉強に対する真剣さという、数字や物質などには表れないものも、
活動の成果だろうなと実感しています。
ただ、当然こういうのは自分だけの成果ではなく、
他の教科を教える先生方や、何より生徒自身の頑張りが引き起こした変化です。

最近の教室の熱気を感じていると、こういう空気がこの国の未来を作るのだと、
ガラにもなく考えてみたりして・・・。

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先日、教室からチョークが盗まれました。

チョークは授業のたびに先生が必要な本数だけ職員室からもっていきます。
授業が終わるとちびけたチョークなどを、職員室に持って帰ってもしょうがないので、
そのまま教室においてくることがあります。

これが生徒にとってはかけがえのない宝物になったりします。
夜や休日の自習時間などに寮制の生徒たちは教室で勉強しているのですが、
チョークはグループで自習するときなどに活躍します。
だから先生が帰ると生徒たちは『戦利品』をもとめてチョークに殺到するようですが、
先日、授業中にもかかわらず私がちょっと教室を空けたすきに
持ってきたばかりの新しいチョークが盗まれました。

もちろん犯人は生徒です。
それも前のほうにすわっていつも戦利品を狙っている数人のだれかです。
ボディチェックをすればすぐに出てくるのでしょうけれど、そういうことはしません。
『誰が取った?盗んだチョークを今すぐ返せ』としかってみても
当然シラを切って知らないフリをします。
他の生徒も誰が盗んだかは知っているはずですが、こういう時は誰も告げ口しません。
私は速やかに授業をボイコット、職員室に帰ります。
盗んだ生徒たち、戦利品をせしめてその日は意気揚々だったかもしれません。

次の日、そのクラスに授業にいって『昨日のチョークを盗んだのは誰だ』と
再び問い詰めますが、当然だれも何もいいません、
『このままうやむやにしてしまえ』という空気が伝わってきます。
『だれも言わないなら、チョークが出てくるまで授業しない』といって
再び帰ろうとすると生徒たちの表情が変わります。
『すいませんでした、お願いだから授業をしてください』
『いいや、犯人がわかるまでは授業をしない。』といって帰ります。

しばらくするとその教室から生徒が二人職員室にやってきました。
『クラスを代表してきました、先生、お願いですから授業をしてください』
ちなみにこの二人、私が怪しいと思っていた前席に座っている生徒たちです。
『犯人はわかったのか?』『いや、まだ分からないけど、自分たちが代表で謝りに来ました』
私が帰った後、この二人がクラス中からつるし上げにあったのに違いありません。
彼ら二人のせいでクラス中が授業を受けられなくなってしまいました。

結局犯人を追求しないまま、次の日から授業を再開しました。

去年なら私が授業をしなければ生徒が喜ぶだけでしたが、
最近は授業をしないことが彼らに対しての何より効果的な罰になっています。
チョーク泥棒を彼ら自身でつるし上げて職員室に謝罪にいかせるというのはたいした変わりようです。

残り三ヶ月間ありますが、
赴任当初はサル山のサルたちのように走り回り奇声をあげていた生徒たちに
こういった顕著な変化が見られてきた段階で、私の活動はもうほぼ終わっています。
あとは余生をすごすように残りの時間をのんびりと過ごしていきたいです。

喉が痛くならない程度に、ね・・・。