バリ島旅行 | 万事塞翁がフランス

万事塞翁がフランス

フランス南西部に住んでもうじき30年になります。双子男女の母、フランス人夫の妻です。日常のあれこれをつぶやいています。

娘がバリ島から先週帰って来ました。1か月半の長い滞在だったんですよね。

 

モロッコとかベニスとか、海外旅行の経験はあった娘だけれど、今回はなにせ遠かった。フランスからは地球の反対ぐらいの感覚で。カレと一緒だったからまあ大丈夫だろうとは思ってはいたものの、やはり帰ってくるまでは心配で…。実際、中盤ぐらいにお腹をひどく壊して「どうしたらいいん~?」って切実なメールが来たりして、夫はひどく心配したことも。

ともあれ無事に帰って来てくれて、綺麗に日焼けした元気な顔を見れて本当に安心しました。

 

具合は一回悪くなっちゃった娘でしたが、それ以外はサーフィン、シュノーケリングなどのマリンスポーツだったり、秘境を探検したり。現地で仲良くなった友人と交友を深めてワイワイ楽しんだり、思いっきり楽しんだよう。娘のカレはプロスケーターをやっているのですが、現地のスケートパークで滑って、ミニコンペで優勝もしたのだとか。私も羨ましくなるぐらい二人で楽しんで来たようです。

 

実は娘、学校を卒業してからずっとこの旅行のために頑張って働いてお金を貯めていたのです。話は少し遡りますけれど、娘は中学や高校の時分から、友人の誰それはオーストラリアに行っただの、ニューヨークで遊んで来ただの、お金持ちの友達のバカンスのお話をたまにしてたんです。一方バカンスと言えば車で2,3時間かけて行くピレネー山脈のキャンプ場が相場だった我が家。つつましいながらも大自然の中で山を散策したりバーベキューに舌鼓を打ったり、思い出を沢山作ってきましたが、それでも娘は海外の豪華なバカンスが羨ましかったようでした。

 

           私の思い出の中のバリはむせ返るように濃厚な色彩、これなのです

 

 

 

働き出して自分でお金を稼ぐようになってからは、憧れの地に旅行するため、それは張り切ってお金を貯めていました。私も、彼女の気持ちを知っていたから、20代はやりたいことはやっておけ、家庭を持って子供ができてからはまた違うからと応援していたのです。

 

で、なぜインドネシアなのか、というかバリなのか。ここ数年やけにフランス人の中でもバリが流行っているみたいで、彼女の友人や知り合いでも行った人が本当に多いんですよ。中には年に数回行く人も。行きたい欲があおられますよね。なので彼女としては長年の夢が遂に叶ったというところでしょう。

 

しかしバリって、私の中では日本で90年代ぐらいに大流行したっていうイメージなんです。(というか私は93年に日本を離れたのでその後のことはよく分かってないんです…) かく言う私も90年代にバリに行ったことが2回ありまして。一軒々々の民家の家々の前に飾られた色とりどりの神々への捧げもの、あの時間がゆっくり流れて行く空気感、バティック、それら一体が織りなす独特の雰囲気に、当時の私は虜になりました。

 

だから今のフランス人がバリにほれ込むのもよく分かるのですが、帰って来た娘に色々話を聞いていると、バリもだいぶ様変わりしていたようで…。その話はまた次に書きたいと思います。