再開宣言をしたばかりですが、

ちょっと大事な用事ができたため

明日から3週間ばかりお休みします。


また元気に戻ってきたいと思ってます!


それでは!!


アデュー!


前回のブログで「月子」のいるお宅に

お邪魔したお話を書きましたが、

その時に持参した手土産について

書きます。


それはズバリ


にわとり(生きたまま)


です。


中国では町中のあちらこちらに市場が

あり、果物・野菜・魚・肉・さらには生活雑貨・

洋服・そして下着まで売られています。


そして、前述の生きたにわとりやハトなども

カゴに入れられて売られています。


いつも買い物に行くときは、そのとりたちを

横目にその場を通り過ぎているのですが、

この日は義母がそのカゴの前で足を止めました。


そしてお店の人といろいろ交渉し始めました。


私は待つ間、そのカゴの中のとりたちを

ずっと見ていました。


とりたちは寒いらしく、羽を膨らませたり

足を折り曲げて羽の中に隠したり、

また当たり前ですがエサを食べている

とりもいます。


「見るんじゃなかった・・・」


激しく後悔しました。


とりたちは自分の今置かれている立場を

知る由もなく、ただ生きるために温まろうと

したりエサを食べたりしています。



しばらくするとお店の人が1羽のにわとりを

つかんで大きい袋に入れました。


義母はお金と引き換えにそのにわとりを

受け取ると、私に持つように手渡しました。


ずっしりと重いその袋を訪問先まで持ちました。


「生きてるの?」と思うほど、にわとりはほとんど

動くこともなく、己の運命を知ったかのように

思えました。



そして訪問先で赤ちゃんを抱っこしたりして

過ごした後、ふと台所を見ると、丸裸で

いつでも食べられる状態になってボウルに

入っているにわとりの姿がありました。


いつの間に・・・。


でも、そのよく店先で見かける「食べるとり」

になっている状態になったのを見て

ホッとした自分に嫌悪感を覚えました。


生き物の命をもらって自分の命を維持して

いるなんて、もちろん知っているのに、

その命を絶つ場面から目をそむけ、他の

人にその役目を委ねておきながら、

自分はその命をおいしく食べている。


なんかうまく言えないけれど、この日は

改めて他の命をもらっていることについて

深く考えさせられました。


中国の人たちは私なんかよりもっと

そのことをちゃんとわかっているんだろうなぁ

と思いました。

先月のことですが、ダンナのいとこ夫婦に

赤ちゃんが生まれたということで、

義母と一緒に赤ちゃんに会いに行きました。


男の子で、生まれた時は4000g近くあったそう

なのですが、なんせまだ生まれて1週間も

経ってないホカホカの新生児。

そりゃあもぅ小さくてあったかくてやわらかくて、

抱っこさせてもらったのですが、何時間でも

抱っこしていたいと思いました。



さて、今回のタイトルの『月子』ですが、

中国語の発音では「ユエズ」と読みます。


これは、産後1か月までの母親のことで、

中国では産後1か月はひたすら安静にして

いなければならないそうなのです。


立ち上がるのはトイレとシャワーの時くらいで

それ以外はずっとベッドで横になっています。

食事も1日5回で、産院から、1か月分の食事の

メニューが決められていました。


今回の母親は授乳の時ですら起き上がることなく

赤ちゃんをそばに連れてきて置いてもらい、

そのままの姿勢で赤ちゃんにおっぱいを飲ませて

いました。


だから、もちろん赤ちゃんの世話も自分の食事も

全部まわりの人にしてもらいます。


義母も、ダンナを生んだ時とダンナの妹を生んだ時、

それぞれ1か月ずつ、ベッドに寝たきりで、その時は

下の世話まで義父や自分の両親にしてもらい、

全く何もしなかったそうです。


だから、私が「腰が痛い」とか「膝が痛い」とか言うと、

「産後すぐ動き回ったからだ。私は月子をちゃんと

過ごしたから今でも健康だ」と言います。


それが本当かどうかはさておき、中国では、この

『月子』の期間の過ごし方がその後の女性の

健康に大きな影響を与えると考えられているという

ことが、よくわかりました。


ところで、


今回訪ねた家は義母の弟夫婦の家で、赤ちゃんの

母親にとっては義父母の家です。


母親は赤ちゃんと一緒に退院して、この

義父母の家に来たわけです。


私だったら赤ちゃんの世話も自分の食事も全部

義母にしてもらうなんて気が引けてゆっくり

寝てられません。


でも、世話をする方もされる方も


「月子」


という印籠の前では、何の不思議もなく、

当然のこととしてそれぞれ過ごしています。



中国に来ていろいろな文化の違いを見て

きましたが、この『月子』にもかなり驚かされ

ました。



うらやましいと言えばうらやましいような、


うっとうしいと言えばうっとうしいような・・・。



って、もう生むことはないか・・・。

1か月以上もログインしておらず、

かなりご無沙汰いたしました。


中国に来て、もう3か月になります。


中国の生活というものにはだいぶ

慣れてきているのですが、2か月を

過ぎたころからいろいろと問題も

見えてきて、悩み事や日ごとたまって

いくストレスでここしばらく低空飛行

しており、ブログを書く気力がおきません

でした。



ちょっと軽く愚痴ってもいいですか?



まず1つ目は長女のこと。


新学期が始まったころはクラスメートも

長女に親切で、たくさんの女の子たちが

なにかと長女を助けてくれていました。


が、1か月くらい前から様子が変わり

長女が困っていても助けてくれる子は

1人か2人くらいで、他の子は困っている

長女に気がついていても知らん顔する

そうなのです。


おまけに授業は6年生だからなのか、

国語と数学と英語ばかりで、音楽や美術と

いった授業が全くなく、休み時間もほとんど

皆無で、トイレにも1日に1回くらいしか

行けないくらいそうです。


こんな状況で友達ができるはずもなく

一日中誰としゃべるでもなく黙って机に

座っていなければなりません。


放課後、迎えに来た私の顔を見て

ニコッとわらったら、唇の皮膚がパリッと

割れて血が出たというくらい、学校で

笑うことがないという悲しすぎる状況なのです。



そして、2つ目は義父母のこと。


今回の留学の目的は、中国語の習得と

中国というものに触れて自分で感じること

です。それがダンナの望みであり、中国での

生活を楽しんで中国を好きになって欲しい

ということでした。


だから、学校では友達を作って遊んで

中国語を覚えることだけをすればいい、

勉強はできなくてもいい。そして、日本に

帰って困らないように、うちに帰ってから

日本の勉強をすればいい。


それが、ダンナと私の考えでした。


ところが、義父母、特に義父は自身が

エリートの道を歩んできた人なので、そんな

甘っちょろい考えは受け入れてくれません

でした。


夕方、学校から帰るとすぐ勉強です。

そして、それはとてもとても厳しい・・・

いや「怖い」のです。いつもそばで見ている私も

泣きそうになります。


そして義父母は私たちの生活全般に深く

関わります。昼食も夕食も義母が作るし

私たちが着るもの、食べるもの、寝る時間、

休みの日の過ごし方など、全てに意見します。


休みの日も朝ゆっくり寝ていても早い

時間に部屋にやってくるし、平日の昼間に

私が一人でうちにいる時も何度もやって

くるので全く気が休まりません。


長女と次女も、そして私も義父母の顔色を

見てビクビクしながら暮らしています。



・・・・と、これでも軽くすませたほうで、

詳しく書くと超大作になってしまうので

やめときます。


ダンナとも相談していろいろと考えたり

した結果、義父母とは価値観が違いすぎて

理解してもらうのは不可能だというところに

おさまり、とりあえず今は耐えるしかない

ということになりました。


義父母が子供たちに死ぬほど勉強させるのは

子供たちのことを想ってのことだということは

わかっているし、私たちの生活のことも

心配してくれているんだということもわかって

います。


こんなにお世話になっているのに感謝しこそすれ、

不満に思うなんてわがままだと思います。


私が中国に来た一番の理由は、いつもさびしい

思いをさせている義父母に1年間子供たちと

楽しく過ごさせてあげたいというものでした。


だから、ここで義父母との関係を悪くしたり

悲しませるようなことはしたくありません。


もう耐えるしかないんです。


ダンナも年が明けたら少しずつ生活を分ける

ように義父母に話すと言ってくれてるし、今は

その日を夢見てがんばろうと思ってます。



こんな愚痴ブログを読んで気分を悪くした方が

いたら、ごめんなさい。もっと大変な状況でも

元気に頑張っている人もたくさんいるというのに・・・。



次回からは、また気持ち新たに、中国の

あんなことやこんなことをブログに楽しく書いて

いこうと思ってますので、また、よろしくお願い

します。




中国に来ていろんな物を見ていると

どうしても悪いところに目がいってしまい

ますが、


「これはいい!」


と思ったことが、ひとつ(少なっ!)あります。


それは、老後の生活です。



うちから歩いて15分くらいのところに

かなり大きい公園があります。


義父母と子供たちと一緒に時々遊びに

行くのですが、いつ行っても人がたくさん

います。


そして、今日、義母と二人で初めて平日の

午前中に行ってみました。


平日の午前中だというのに、相変わらず

たくさんの人でにぎわっています。


それもそのはず、そのほとんどが老人です。



友人と散歩する人


ダンスをするグループ


太極拳をするグループ


楽器を演奏するグループ


合唱しているグループ


中国の独楽で技を磨くグループ


木に布をまいて叩いたり体をぶつけている人(?)


友人とおしゃべりを楽しむ人


トランプをするグループ


大きい筆に水をつけて地面に字を書く人



と、数え上げればきりがないほど、たくさんの

老人が活動しています。


それも生き生きと楽しそうに。



ひとりでうちにこもっていたり、病院通いしたり

孤独死したりする老人が多い日本とは、

あまりにも対照的です。


もちろん、中国の老人の中にも孤独死する

人がいたり、日本の老人でも楽しく過ごしている

人もいます。


でも、こんな光景、日本では見たことありません。


老後を楽しんでいるのが一目瞭然です。

日本では老後の心配をする声が多いというのに・・・。


とてもうらやましく思いました。



中国人と同じことをするのは無理としても、

日本人も老後くらい、自分のしたいことをして

仲間と楽しく過ごせるようになるといいのになぁ



と、公園に集う老人たちを見て、心から思いました。






この前、ダンナが仕事で中国に来ていた時に

家族で食事に出かけた時のこと。


個室で食事をしていたのですが、ビールが

なくなったので追加注文しようとしたところ、

個室なので店員さんを簡単に呼べませんでした。


そこでダンナは、


「次女、ビール頼んできて」


と、空のビール瓶を次女に持たせました。


「え~・・・」


と、しぶる次女を見て三女が


「三女も一緒に行く!」


と名乗り出ました。


こうして、かなり不安な二人組がビール瓶片手に

部屋を出ていきました。


しばらくすると、次女・三女と一緒に店員さんが

新しいビールを持って部屋に入ってきました。


「おー!やればできるじゃん!!」


と、ダンナに褒められながらも、次女はなにやら複雑な

表情をしています。



次女の話によると・・・


部屋を出た二人は最初に会った店員さんにビール瓶を

見せながら


「これください」 ※片言の中国語です。


と言うと、店員さんが


「名前は?」


と聞いたので、変だなぁと思いながら

二人は自分の名前を言ったそうです。


すると店員さんは


「?」


と首をかしげていたそうです。


どうやら、店員さんが聞きたかったのは注文する

ビールの名前(銘柄)だったようです。


次女は店員さんの言葉のなかで「名前」という

中国語だけを聞き取ったのです。



恥ずかしがる次女に


「いいよ、よくやったよ。結果オーライよ。

 ちゃんとビールを注文する目的が果たせたんだし。

 それに、『名前』って単語も聞き取れてすごい!」


と、フォローはしたものの・・・



ビール瓶を持った二人の子供が自己紹介を始めて

店員さんは、さぞ驚いたことでしょう。


すみませんでした・・・。






さっき日本のニュースを見ていたら

上海で地下鉄の事故があったという

記事を読みました。


高速鉄道の事故に引き続き起こった

今回の事故や、そのほか高速バスでの

事故の多発など、、中国の公共の乗り物の

安全性が問われていますよね。


私も時々娘たちの学校への送り迎えに

公共のバスに乗ります。


そして、ちょうど今日、そのバスに乗りながら

考えたことが、中国の事故とも少し関連して

いるような気がしたので、ちょっと思ったことを

つづってみたいと思います。



まず、私が時々乗るバスですが、日本の

ように時刻表はありません。 たぶん人間が

多いため、どんどん同じ行先のバスが

来るので特に発着時刻を作る必要がないと

思われます。


そして、なにより違うのは、その運転です。


前々回書いたように中国の運転は自己中

そのものです。そしてそれはバスも例外では

ありません。


たとえ満員でたくさん人が立っていようが、

無謀な割り込みや急な車線変更をするので

急ブレーキや急発進だらけで、両手で

しっかり手すりにつかまってないと、転がる

こと間違いなしです。


日本の「はい、停車しま~す」「はい、発車~」

だの運転手さんのアナウンスと乗客に気を配る

運転を、思い出しました。



次に、タクシーですが、これはすごいです。

まず、乗車拒否は当たり前です。運転手自身が

行きたい方向と離れている目的地を告げると

サッサと走り去ります。


そして相乗りもしょっちゅうです。すでにお客さんを

乗せていても、タクシーを待つ人を見つけると

車を止めて同じ方向か尋ねます。


そしてそして一番すごいのは、その運転です。

一般のドライバーでさえ危険な運転をするのですから

運転のプロは、なおさらそれを上回ります。

対向車線側から車が来ないと見ると、平気で

そちら側にはみ出して走ったり、渋滞があると

歩道を走ったりと、自分だけならまだしも

他の誰かの命までも危険にさらす運転をします。



このようないろんな事を考えると、中国のバスや

タクシーの運転手には


「お客様を運んでいる」


という公的な意識よりも、


「早く目的地に着きたい」

「そして、次の客をつかまえたい」(タクシーの場合)

「そして、早く休憩したい」(バスの場合)


のような、私的な意識で仕事をしているように

私は思いました。そこにはプロとしての自覚や責任は

あまり強くは感じられません。



そして、これは高速鉄道や地下鉄の事故の関係者にも

当てはまるのかも?と思いました。



私が前回ブログに


「中国人は合理性を優先する」


と書きましたが、その合理性を優先するあまり、

細やかな配慮というものに欠けているのかもしれません。


また書くつもりですが、これは中国人の長所にも

なっているので一概に悪いとは言えませんが、多くの

命を預かる場面では合理性よりも安全性を優先

してほしいものです。









今回は中国の人たちについて感じたことを

書こうと思います。



私が一番に感じた事は、とにかく


    合理性


を優先しているということです。


全ての行動において、いかに無駄なく事を

運ぶかということを考えているように思えます。


例えば、日本の車の通行のルールで、信号が

赤の時は必ず停車しますが、中国では赤でも

右折はできます。(中国の車は左ハンドルの

右側通行なので、日本でいえば左折ですね)


ただし、このルールは中国だけではなく、他の

国でもあるようですが・・・。


そして先日書いた、歩行者も横断歩道を渡らず

車道を横切るというのも、実は国が認めている

のでは?と思います。


なぜなら、たくさんある車線の中央部分に


『安全島』


と書かれている、人が一人立てるくらいの

スペースがあるからです。

道路を作るときに、車道を横断する人のために

安全な場所を確保しているのです。


これも「合理性」だな、と思いました。

歩行者がどこでも横断できるようにしておけば、

信号つきの横断歩道をたくさん作って

交通渋滞を引き起こすこともないし、

人も、より早く目的地に着くことができます。


だから、時々街中に立っている警察官も、

人が赤信号で渡ったり車道を横断していても

何も注意しません。

日本だったらパトカーのスピーカーで確実に

怒られて赤っ恥をかくところです。



さて、前回から中国人の公共の場での

傍若無人ぶりにばかりスポットをあててきましたが、

当然、個人個人は人としての愛情があります。


バスに乗っている時によく見る光景は、日本と

同じく、いや日本より自然にさりげなく、お年寄りに

席をゆずっています。そして、うちの娘たちも時々

バスで通学するのですが、小さい三女に席を

譲ろうとしてくれる人もよくいます。

中国では、お年寄りはもちろん、小さい子供にも

席を譲る習慣があるのかもしれません。


日本では「子供は立っときなさい」って感じなのに。


あと、ただ、そばに居合わせただけの人とも

親しげにおしゃべりするのも、なんだか心が

温まります。


バス停でバスを待っている時、停まるはずのバスが

ノンストップでバス停を通過した時、義母は、そばに

いた見知らぬ男性とプリプリバスの文句を言って

いました。


また、買い物をしている時、梨を買おうかどうか

迷った義母は、その梨を買った見知らぬ女性に

「甘い?おいしい?」などと聞いていました。


学校のグラウンドで娘たちが出てくるのを

待っている時も、義母はそばにいた見知らぬ人と

おしゃべりを始め、その話をそばで聞いてきた

ほかの人たちも話に加わったりしていました。


若い人たちはどうかわかりませんが、私が

見た感じでは、人との距離が近いように

思いました。


実際、私も一人でいる時に何度か話しかけ

られて、困ったことがあるくらいです。


そういえば、次女も一人でいる時に話しかけられて

目を白黒させていました。

(おもしろいから、遠くから見てました)


と、また熱く語ってしまいましたが、中国の人に

ついて思うことはまだまだあるので、また

いつか書こうと思います。






いつも1回のブログにまとめきれなくて

ほんとにすみません。


まとめようとは思っているのですが、

思うことが多すぎて、つい、熱く語って

しまいます…。



では、つづきです。


中国の、目覚ましい発展ぶりとはうらはらに

16年前とほとんど変わっていないこと。それは・・・


まず1つ目は、道が汚いこと。


北京オリンピックの時も問題になっていましたが

みんな痰を吐きまくります。歩行中の人はもちろん、

停車中の車の運転席の窓が開いたかと思うと「ぺっ」

なんてことも普通にあります。


そして、犬の糞。今、中国では犬を飼うのがブーム

なのか、犬を飼う人はとても多いです。でも

たぶん犬の糞を始末はしないのでしょう。

あちこちに糞が落ちています。

そして、市場。路上でものを売る人がたくさんいるのですが、

海鮮物を売る人は魚臭い水を道にじゃんじゃん

垂れ流しています。

果物を売る人は果物の皮を道端にポイ捨てです。


とにかく、中国人は平気で道にゴミを捨てます。

車の窓からタバコやタバコの空き箱が捨てられる

なんてのはしょっちゅうです。


こんな具合なので、道を歩くときは周囲の風景を

眺める余裕なんてなく、汚いものを踏まないように

足元ばかりを見ていなければなりません。


そして、当然、あちこちから異臭がします…。


長女と次女と一緒に歩いている時に


♪ し~たをむ~い~て、あ~るこ~~~う 

   うんこを~ふ~まな~~いよ~~~うに ♪


(『上を向いて歩こう』のメロディーで)


なんて替え歌が自然にできあがったくらいです。



つぎの2つ目は、トイレのこと。


どんなにきれいで高級なデパードでもレストランでも、

トイレは日本の小さいスーパーより汚いです。


まず紙があることは99%ありません。以前聞いた

話では、紙をとりつけたら必ず誰かが持って帰って

しまうからだそうです。ここでも貧富の差を実感

させられます。


そしてトイレは必ず臭いです。なぜかというと、


トイレットペーパーを設置していない

         ↓

みんな手持ちのティッシュ等をつかう

         ↓

そのティッシュ等は水溶性ではない

         ↓

使用後、流すことができない

         ↓

使用後の紙は、便器のそばのゴミ箱にいれる


というわけで、その使用後の紙が大量にトイレに

残されるのです。そりゃ、臭いはずです。


だから、私は出掛ける前に極力トイレはうちで

済ませたり、必要以上に水分はとりません。

そして、ティッシュは子供の分も考えて4つは

かばんに入れています。


いつでもどこでも、きれいで紙があるトイレが

使える日本が心底恋しいです。



そして3つ目は、交通マナーです。


車はすっかり日本と同じ普通車が走っていますが

その交通マナーは最悪です。


道路上に車線はあるのですが、私が見る限り

それはあくまで「目安」程度にしか守られていません。

ウィンカーなしでの割り込みや車線変更なんて

序の口で、直進が優先にもかかわらずばんばん

右左折したり、直進の車線からいきなり右折して

きたりと、ハリウッド映画のカーチェイス並みに

スリル満点です。


おまけに日本の「人が最優先」なんてこともなく

人が横断歩道を渡っていてもほとんど減速する

ことなく、その人のそばスレスレを走り抜けます。


人も人で、片道5車線だろうが6車線だろうが

おかまいなしに、道路を渡ります。まだ2歳くらいの

小さい子供の手を引いて渡っている母親もいます。


私も連れられて渡りましたが、生きた心地が

しませんでした…。


私は車の運転免許を取って、もう20年になりますが

中国では絶対に運転できないと思いました。


「譲り合う」


なんて言葉は運転中の彼らにはないようです。

「我さきに我さきに」危険な運転をしているのです。



細かいことを言えばまだまだありますが、それは

またの機会にでも書こうと思います。



とにかく、今や世界でも無視することのできない

大国になった中国ですが、表面的な発展は

とげたものの、こうした人間としての道徳的な

進歩の遅れが、中国という国をみる世界の目が

未だ認めるというまでにいっていないのではないか


と、私は思いました。



でも、最後に言っておきますが、人の温かみは、

とても感じます。


だから、問題なのは公共の場での振る舞いだと

思っています。


16年経ってもほとんど変わらなかったことが

これから、そう簡単に変われるとは思いませんが

そこはなんとか頑張ってほしいと切に願っています。







以前にも書いたと思いますが、

中国の急激な発展ぶりには

ただただ目を見張るばかりです。


私が初めて大連を訪れたのは

16年前ですが、その時とは比べものに

なりません。


デパートに行っても日本のデパートと

なんら変わりはなく、むしろ、その規模の

大きさゆえに品揃えは日本の比では

ありません。


デザインも以前は


「こんなの欲しくない・・・」


と思うような感じでしたが、今は気に入る

ものが多くて選べないくらいです。


外で見る女性も


「日本人?」


と思うようなファッションの人も多く、若い人は

男女ともにおしゃれです。


でも値段はしっかり日本と同じくらいなのは

なんででしょう?


国民の平均収入から考えると日本の3~4倍は

すると思われます。


道を走っている車も、以前はオンボロの車か

超高級車かのどちらかで、ほとんどは

オンボロの汚い車ばかりでした。


でも現在は、これまた日本と全く同じです。

普通車が普通に走っています。

国民が豊かになり自家用車を持つ人が

かなり増えたそうです。


このように、中国人の生活はこの20年間で

急激に発展し豊かになり、先進国に引けを

とらないほどになりました。



16年前とほとんど変わっていないこともあるんです。


それが私が中国で快適に暮らせない理由でも

あり、とても私を悩ませています。


それについては、


またまた長くなってしまったので次回に。


(ほんと、いつもすみません・・・)