今回は中国の人たちについて感じたことを
書こうと思います。
私が一番に感じた事は、とにかく
合理性
を優先しているということです。
全ての行動において、いかに無駄なく事を
運ぶかということを考えているように思えます。
例えば、日本の車の通行のルールで、信号が
赤の時は必ず停車しますが、中国では赤でも
右折はできます。(中国の車は左ハンドルの
右側通行なので、日本でいえば左折ですね)
ただし、このルールは中国だけではなく、他の
国でもあるようですが・・・。
そして先日書いた、歩行者も横断歩道を渡らず
車道を横切るというのも、実は国が認めている
のでは?と思います。
なぜなら、たくさんある車線の中央部分に
『安全島』
と書かれている、人が一人立てるくらいの
スペースがあるからです。
道路を作るときに、車道を横断する人のために
安全な場所を確保しているのです。
これも「合理性」だな、と思いました。
歩行者がどこでも横断できるようにしておけば、
信号つきの横断歩道をたくさん作って
交通渋滞を引き起こすこともないし、
人も、より早く目的地に着くことができます。
だから、時々街中に立っている警察官も、
人が赤信号で渡ったり車道を横断していても
何も注意しません。
日本だったらパトカーのスピーカーで確実に
怒られて赤っ恥をかくところです。
さて、前回から中国人の公共の場での
傍若無人ぶりにばかりスポットをあててきましたが、
当然、個人個人は人としての愛情があります。
バスに乗っている時によく見る光景は、日本と
同じく、いや日本より自然にさりげなく、お年寄りに
席をゆずっています。そして、うちの娘たちも時々
バスで通学するのですが、小さい三女に席を
譲ろうとしてくれる人もよくいます。
中国では、お年寄りはもちろん、小さい子供にも
席を譲る習慣があるのかもしれません。
日本では「子供は立っときなさい」って感じなのに。
あと、ただ、そばに居合わせただけの人とも
親しげにおしゃべりするのも、なんだか心が
温まります。
バス停でバスを待っている時、停まるはずのバスが
ノンストップでバス停を通過した時、義母は、そばに
いた見知らぬ男性とプリプリバスの文句を言って
いました。
また、買い物をしている時、梨を買おうかどうか
迷った義母は、その梨を買った見知らぬ女性に
「甘い?おいしい?」などと聞いていました。
学校のグラウンドで娘たちが出てくるのを
待っている時も、義母はそばにいた見知らぬ人と
おしゃべりを始め、その話をそばで聞いてきた
ほかの人たちも話に加わったりしていました。
若い人たちはどうかわかりませんが、私が
見た感じでは、人との距離が近いように
思いました。
実際、私も一人でいる時に何度か話しかけ
られて、困ったことがあるくらいです。
そういえば、次女も一人でいる時に話しかけられて
目を白黒させていました。
(おもしろいから、遠くから見てました)
と、また熱く語ってしまいましたが、中国の人に
ついて思うことはまだまだあるので、また
いつか書こうと思います。