今年に入ってお茶を習い始めて、半年経った日のお稽古。


どんなに鬼👹スケジュールでも、お仕事が重ならない限り、調整したり、協力してもらったり、前後のスケジュールがパンパンになって半泣きになっても休まず通って半年。


半年経って、できることも増えたり楽しみを増したりしているけれど、レベルとしては初級からまだまだしばらく脱することができていないのを痛感するから、何十年と続けてる方は本当に凄いなと思う。

これはお稽古に通い始めて分かったことだけれど、洋服でお稽古する場合、スカートが一般的とのことでこうしてスカートも履くようになった。


そして、お点前をただただ練習して習得する、というのがお稽古だと思っていたけれど、実は違った。


茶会でも、亭主や半東さんと正客がやりとりをするのですが、さまざまなコミュニケーションの多くを占めるのは教養の部分。
お稽古でも、大いに鍛えられる。


茶花のこと
植物のこと
お軸について
お道具について
和歌や書物など文化・歴史について
寺社仏閣について
農作物のこと
生地のこと

とにかくいろんな話題になる。


お客役の時は、まさに学びのひととき。
感じたり考えたり、その場でメモはとれないので、終了後にメモしておくようにする。


お菓子は、作り手さんの言わんとする想いを受け取り、風情を十分に感じながら頂く和菓子は味わいが違うとも感じるようになって来た。


お抹茶も、生徒さんが一生懸命点ててくださるものを頂くわけですからね。
お湯の熱さやお抹茶の濃さ、クリーミー具合や、お茶碗の個性さえ、一期一会を堪能しながらたっぷり美味しく頂いてます。


問題は、亭主役のとき。

お点前の手順に必死な時は、まさかまさか耳を傾けるなんて余裕はない。
むしろ、耳を傾ける余裕を持てるようになるまで、もっともっと見に染み込ませなければいけない。


楽しい会話に入ろうとして一手間省いたり、無意味なことをしようとしてしまうと、すかさず先生のご指摘が飛んでくる。
絶対に飛んでくる。


先生って、凄い。
あらためて尊敬。


お点前には、何百種類?とパターンがあって、季節によってや、お道具によって、など兎に角バリエーションが豊富だということも、習い始めて分かったこと。
基本のキは同じなのだけれど。


昨日は新しいお点前に入った。
窯の横に、棚が置かれていて、水差しと棗がすでに置いてある状態からスタートするというお点前。


先生の見本は無い。
1人目のベテランの生徒さんのお点前を見ながら学ぶ。
理由を考えながら見るようにすると、理解が早くなったり落ち着いて取り組めたりする。


それでも、一気にコピーはできないので、先生の指示に従いながら感じるようにして学んだ。
実に面白かった。


わりと浅くて平ためなお碗で抹茶を点てるという経験もした。


抹茶の粉末を、茶筅をあまり大きく振らずにまずはゆっくり溶かすようにしてから、お湯が平たい碗からこぼれないように注意しながらも、しっかり泡立てるように振った。


もっと言えば、お湯を注ぐときに細心の注意を払う自分がいたことに気づいた。
茶筅を振ってもこぼれないくらいの量にしておかねば、美味しいお茶を差し上げることが難しいから。


結果、ダマは残らず、飲んでくださった先輩さんに「美味しかったですよ」と帰り道に言われてホッとしたけれど、先輩さんの点てるお茶は、飲む前から「絶対に美味しいはず」というキメの細かいソフトな泡立ちで、飲んでみても期待を裏切らない大変な美味しさで、こんな風なお茶を点てたいと思うわけなのでありました。


以上、お茶日記でした🍵

ごきげんよう。