ワカシャチ漫遊記第6章「出雲神話の旅」2023年10月 VOL.2 | wakasyachi24daのブログ

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2023年10月26日晴れ晴れ

明日の天気が悪い予報が出ていたので、

急遽予定を変更して、日御碕灯台周辺散策を優先しました。

万九千神社(まんくせんじんじゃ)

万九千神社は、古くより出雲国の神在祭(毎年の神在月、旧暦十月)に際し、

全国から参集された八百万神が最後にお立ち寄りになり、

神議りと神宴(直会)を催され、同月26日ここから

お旅立ちなさる(神等去出と呼ぶ)との由緒を伝えています。

神在祭に集われる八百万神の御神徳にあやかって、

縁結びや病気平癒、諸会議、直会、宴の円満成就旅行の安全無事

人生の岐路における諸願成就に霊験ありとされてきた。

私も現在、旅行中で、人生の岐路にありお参りをしました。

実はこの後、日御碕灯台へ向かう途中、

現在再就職の履歴書をある企業へ提出しておりますが、

その提出先から、面接の電話がかかってきました。

まさに、後から思い起こすと、不思議な?出来事でした。

これから面接ですが、何か縁を感じました。

日御碕灯台

島根半島の最西端の断崖にそびえる「出雲日御碕灯台」。

明治36年(1903)に設置されました。

海面から灯塔の灯火までは63.30m、地面から塔頂まで(塔高)が

43.65mあり、石造灯台としては日本一の高さを誇ります。
真っ白な外壁は、松江市美保関町で切り出された硬質の石材、

内壁はレンガ造りで、外壁と内壁の間に空間を作った

特殊な二重構造になっています。
光度は48万カンデラで、夜間は約40km沖合まで達し、

100歳を越えた今なお現役で海の安全を守っています。

灯台の内部には163段のらせん階段があり、灯台上部の展望台へ上がることができます。

階段は急で幅は狭く、かなり疲れましたが、展望台からの景色は絶景で、

風も吹いて気持ち良かったです。

今日に変更して正解でした。

日御碕神社

日御碕神社は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る

「日沉宮(ひしずみのみや)(下の宮)」と

素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る「神の宮(上の宮)」からなり、

奈良時代に編纂された『出雲国風土記』に「美佐伎社」、

平安時代に編纂された『延喜式』に「御碕社」とある古社です。

神の宮(上の宮)

素盞嗚尊が祀られている神の宮は、現社殿背後の隠ヶ丘(かくれがおか)に

祀られていたものを、安寧天皇13年に現在地に遷(うつ)したと伝わります。
神の宮本殿は、平成25年に屋根の葺き替えと金具補修、塗装の塗直しが行われました。

日沉宮(ひしずみのみや)(下の宮)

日沉宮は、近くの海(清江の浜)の日置島(経島(ふみしま))に

鎮座していたものを村上天皇の勅により、天暦2年(948)に

現在地に遷したといわれ、天照大神が祀られています。
拝殿は、日御碕神社社殿の中で最大の建物です。

内部は上段の間と下段の間に分かれており、古文書によれば

上段の間はかつて「神楽所」と呼ばれていたとされます。

稲佐の浜

出雲大社の西方1kmにある海岸で、国譲り、国引きの神話で知られる浜。
浜辺の奥に大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が

国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、

島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。
また、この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。

弁天島

稲佐の浜に一際目立つ丸い島があります。
地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島で、

かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。

夕陽もきれいに拝むことができた一日でした。

VOL.2終わり