だいぶ前から、いわゆるキラキラネームと呼ばれる名前を
自分の子供に付ける人たちが出てきました。
お呼ばれした講演会や授業などで渡される名簿に目を落とすと、
若者相手の場合、そうしたキラキラネームを見かけたりします。
例えば、「月」という名前は、どう読むのでしょう。
キラキラ読みで「ムーン」かと思いきや、「ルナ」だったりします。
「壱」は、どうでしょう? 「エース」と読むそうです。
戸籍には振り仮名を付けませんので、名前の読み方は自由、
と言ってしまえば、それまででしょうが、新聞の投稿欄には、
そうした風潮を嘆く年配の方のご意見が載ってたりします。
他方で、読み方は世につれて変わるものだと主張する人もいます。
例えば、「政」という漢字は、もともと「セイ」としか読めないはずなのに、
我われの祖先が中国から取り入れた際、無理やり「まつりごと」と訓読みしたのだから、
キラキラネームだって、それと大した径庭はない、という言い分です。
そのうち世間が認知すれば、誰でも読めるようになる、ということで、
「読み方は世につれ、世は読み方につれ」というところでしょうか。
ところで、読めないのは、政治や選挙も一緒のような気がします。
7月に入り、ここ東京は、参院選と都知事選があります。
前者は、定数6のところ候補者が30人を超える激戦区となっています。
後者は、各党における候補者が誰になるのか、
こちらも、まだ先が読めません。
そんなときは、先へ進む勇気が必要なのかもしれません。
新しいステージへ進むには、扉をこじ開けなければなりません。