寛容は人のためならず | 若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」Powered by Ameba

若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」Powered by Ameba

若狭勝オフィシャルブログ「法律家(Lawyer)、議員(Legislator)、そのL字路交差点に立って」Powered by Ameba

伊勢志摩でのG7サミットを終え、週明けの東京は、
厳戒態勢から平静さを取り戻しております。

今回のサミットの趣旨からすれば、本題ではないでしょうが、
アメリカのバラク=オバマ大統領が被爆地 広島を訪れたことが
かなり大きな成果であったように思われます。

これを実現するためには、水面下での外交努力を始め、
様々な人たちの献身があったものと想像します。

今回、オバマ大統領が広島訪問を決断したのは、まずは、
「核なき世界」を追求する強い思いがあったからでしょうが、
日本側があえて謝罪を求めなかったことも大きかったと思います。

寛容の精神と一言で述べてしまえるほど簡単なことではないでしょうが、
憎しみの気持ちから謝罪や償いを求めるだけでは、前へ進めないことも
確かです。

オバマ大統領広島訪問に関して、中国の王毅外相が語気を荒げて、
「日本は加害者であって、被害者ではない」旨を語る映像が報道されていました。

過去に、「日本軍国主義と日本人民を混同してはいけない」と語った周恩来首相や、
「以徳報怨」を唱え、日本への報復を控えた蒋介石総統がいた頃の中国の方が、
今回のオバマ大統領広島訪問の意義を冷静的確に評価できたのではないかと思います。

この例を見るまでもなく、寛容さの涵養は、国際政治においても、
我われの日常生活においても、大事だと思います。
我が社会においても、とかく寛容性が欠如し、いわゆる切れて
逆上し、相手を傷付ける案件が増加しています。

寛容性が欠如した社会に寂しさを感じるのは、私一人だけでしょうか。