先週から大阪で始まった大相撲春場所も
本日3/22(火)で10日目を迎え、
優勝候補の力士がしぼられてきました。
前場所で優勝し、久々に待望の日本人横綱誕生かと期待された琴奨菊関は、
思わぬ苦戦をしており、代わりに稀勢の里関が負けなしの10連勝と快調です。
もし、このまま稀勢の里関が優勝したら、また来場所、日本人横綱誕生か、
という報道を多く目にすることになるでしょう。
白鵬関などのモンゴル人力士は、民族的には日本人と同じ黄色人種でもあるため、
彼らが土俵で活躍することに違和感を感じない人の方が、むしろ多いと思いますが、
それでも、日本人横綱の誕生が待ち望まれているようです。
スポーツに国境はないと言いますが、昔からある日本人の身内びいきのせいでしょうか。
そもそも、「日本人」とは何なのでしょうか?
法律的に言えば、日本国籍を有している人、ということになります。
しかし、多くの日本人は、生物学的に日本民族のDNAを持ち、
日本語を操れる人のことを日本人と言いたいように思われます。
これは、とても狭い概念ですし、解釈や受け取りようによっては、
排外主義的な考え方につながりかねません。
先日のブログで、少子化や超高齢化に関する問題について述べました。
これに人口減少傾向等も合わせ考えると、大量の移民受入れについて
真剣に議論すべき時期にきていると唱える人たちもいます。
移民というのは、移った先の国に帰化して国籍を取得することが前提です。
そういう彼ら彼女らを「日本人」として受け容れることを意味します。
我われ日本人は、感情的にも、そうしたことができるのでしょうか。
相撲部屋の厳しい修行に耐え、日本のしきたりに戸惑いながらも
必死に日本に溶け込むよう努める外国人力士たちの姿を横目に、
それでも「日本人横綱」を熱望する気運が、もしこの国の大勢であるなら、
移民の受入れを政策として考える前に、もっと他に議論すべきこと、例えば、
多様性(ダイバーシティ)の意味について深く考えてみる必要があると思います。