長らく検事をして思っていたことは、自分も一歩間違えると、
容疑者・被疑者として逮捕されていたかもしれないということです。
強盗殺人のような凶悪犯にはなることはないにしても、
民間企業に就職して贈収賄事件に関わっていたかもしれないし、
誰かをかばって罪を犯すこともあったかもしれない、
食うに困ってコンビニで万引きに及んでたかもしれない、などなど。
実際の事件に数多く触れていますと、それくらい、人間というのは
精神的に結構、弱いものだという思いを抱くことがよくありました。
検事といえば、およそ犯罪とは無縁であり、だからこそ、
犯罪を犯した人を厳しく追及することができるんだ、
という見方はあるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。
「人間って弱いものだ、犯罪とは無縁ではない、
だから自分もその例外ではなかったかもしれない」
という温かさを心に抱いていた方が、取調べなどで被疑者らに
心の深いところで人間的に接っせるような気がしていました。
先日、再犯防止を進める議員の会に参加させていただきました。
また、先週2月3日には、総理官邸において、
安倍総理が、谷村新司さんをお迎えするとともに、
再犯防止に関する作文を書いた小学校生を招いた会が開催されたようです。
小学生が、罪を犯した人へ暖かな目を注いでいることが、
その作文に綴られていたそうです。
小学生であっても、そうした思いに達しているということに、
驚きと嬉しさを感じざるを得ません。
我われ大人は、そうした小学生の思いを感じ取れないはずがありません。
犯罪は、我われ一般の人に全く無縁のものではありません。
所詮、神ならぬ人間であれば、つい出来心で犯罪に陥ることもあります。
そうした犯罪を犯した人への理解を深めることは、その小学生が綴るように、
何よりも、再犯防止への始めの一歩であるように思えます。
(ただ、極悪非道な犯罪を犯した人は別論で考えなければならないし、
被害者・遺族の気持ちにも十分思いを致さなければならないことは、
言うまでもないことですが)