東野圭吾さんの『超・殺人事件』を読みました。

 

東野圭吾さんといえば数々の長編ミステリをものされていて、短編のイメージがあまりなかったのですが、こんな面白い短篇集も上梓されていたんですね。

 

2001年に単行本で出た時には、「推理作家の苦悩」というサブタイトルがついていたようですが、2020年の文庫版では取れています。

 

20年も文庫化されてなかったのは何故なんでしょう?

 

ミステリ作家の苦悩をユーモアたっぷりに描いた短篇8作。

面白かったです。

 

 

 

人気推理作家を悩ませるのは巨額の税金対策。執筆経費を増やすため、小説の舞台を北海道からハワイに変えたり、ゴルフやカラオケの場面を強引に入れたり、物語はおかしな方向へ――。(「超・税金対策殺人事件」)
見切り発車で書き始めたが思いつかない結末、うっかり使い回してしまったトリック、褒めるところが見つからない書評の執筆。
作家たちの俗すぎる悩みをブラックユーモアたっぷりに描いた、切れ味抜群の8つの作品集。

ひたすらシニカルでユーモアにあふれる短編がそろっています。

ミステリ作家が小説を書くときの苦労が垣間見れるのも面白い。

 

編集者の無茶をどうこなそうかと頭を悩ませたり、結末を考えずに書き始めた小説をどのように終わらせるのか、そして、作家のために開発されたような怪しげな機械が生み出すとんちんかんな結末だとか、バリエーションも豊富

同業のかたが読んだら、頷きながら苦笑するんじゃないでしょうか。

 

ところで、本のタイトルにも、各話のタイトルにも冠されている「超」ってどういう意味なんでしょう。

 

手元の新明解国語辞典(第4版)によると、

【超】①ある限度をこえる。②普通の人とかけ離れている。③比較を絶している。

とあります。

 

たぶん、平たく言うと「ぶっとんでる」くらいの感じでしょうかね。

(もっと深読みもできそうですが)

 

 

 

音符「超税金対策殺人事件」

売れっ子作家になってしまった主人公だが、税金のことをまったく考えていなかった。友人である税理士と相談し、散財したぶんを何とか経費にしようと、執筆中の物語を書き換えていく。

 

主人公の作家も素直だし、奥さんもギャグみたい。

はちゃめちゃな展開ですが、個人事業主さんにとっては、ついうっかりはありそう。

 

 

音符「超理系殺人事件」

理科の教師である主人公は、たまたま本屋で「超理系殺人事件」というタイトルの本を買い読み始める。その名の通り理系の内容が次々にでてきて訳が分からなくなってくるのですが、それでも理系のプライドで読み進める主人公。

 

わけわからなくても自称理系なら最後まで読むでしょう。

知ったかぶりをあざ笑っているのかも。

 

 

音符「超犯人当て小説殺人事件(問題編・解決編)」

別の出版社の担当を4人集めた小説家は、問題編をそれぞれに渡し、最初に犯人を当てた人物に原稿を渡すと言い出す。

 

なるほど。

面白おかしな設定ですが、これちゃんとしたミステリですよね。

 

 

 

音符「超高齢化社会殺人事件」

担当している作家から原稿を渡される編集者。だが、その作家も90歳を超える高齢のため、内容が重複したり齟齬をきたしたりしていて、それを手直しするのに苦心しているが…。

 

高齢作家のつじつまの合わない話が面白い。もし認知症を発症している作家さんがいたら、こんなの書きそう。

書いてる作家も、担当編集者も、読者も高齢って、そんな未来がすぐそこに来ていそうです。

 

 

 

音符「超予告小説殺人事件」

無名の小説家が殺人事件を扱う小説を発表すると、それを真似た実際の殺人事件が次々と起こり、一躍有名人に。ある日、一連の事件の犯人を名乗る男から電話がかかってきて…。

 

結構、怖かったです。小説と現実の境が無くなって見えてしまうと…もやもや人に口なし。

 

 

 

音符「超長編小説殺人事件」

長編小説が持てはやされる風潮に、編集者から内容はそのままにボリュームアップさせるように言われた小説家。不要な描写や情報を入れ込んでページ数は稼げたものの、それだけではダメらしく…。

 

いや、作家さんって、こうも編集者の言いなりなの?と突っ込みたくなる。

そんな本、逆に誰が買うねん、ってお話(笑)。

 

 

音符「魔風館殺人事件(超最終回・ラスト5枚)」

初めての連載「魔風館殺人事件」の最終回。実はラストの謎解きを考えずに書き始めてしまったため、どのように終わらせればいいのかに悩んでいた。

 

わわわ、これって。

あかんって。

 

 

音符「超読書機械殺人事件」

書評家は読まねばならない書籍が多すぎ、書評の匙加減にも悩んでいた。そこへ怪しげな訪問販売がやってきて「ショヒョックス」という機械を提案する。機械に読ませ、甘口から辛口まで指定した書評を書いてくれるという。

 

これが一番シニカルな話かもしれない。

少し前に、映画を端折って観ることが話題になっていたのを思い出しました。そうまでして「見た」ということにしなくてもいいのにと思ったものです。

本を読むことが楽しみではなく義務になってしまっていたりする人には、「ショヒョックス」便利ではありますが、もう、楽しくなんてないですよね。

 

 

作家さんの苦労をブラックユーモアで描いた短編集。

とっても面白かったです。