高田崇史さんの「神の時空(とき)」シリーズ2作目の『倭(やまと)の水霊』を読了。

 

今回は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と、彼のために自ら海神に身を捧げたとされる弟橘媛(おとたちばなひめ)に関連するお話です。

 

古代史における日本武尊の英雄的イメージは、事実を改ざんして創られたものなのか…?

 

今回も興味深い内容でした。

 

 

 

 

横浜・レンガ倉庫近くで、OLの涙川沙也(なみかわさや)は、自分のストーカーだった男の刺殺体を発見。

その頃、東海地方は、いつ止むとも知れぬ豪雨に襲われていた。

巫女の血を引く辻曲(つじまがり)兄弟は、このまったく無関係に思える事象の背後に、古代史上の人物、日本武尊と弟橘媛を巻き込んだ、巨大な陰謀の存在を察知する!

時系列としては、1作目の『鎌倉の地龍』の少し前にあたるようです。

 

 

ことの発端は、涙川沙也が、赤レンガ倉庫でたまたま知り合いの男(実は沙也のストーカー)が何者かに刺されて死んでいるのを発見。容疑者と間違われてしまいます。

沙也は、次々と関連した事件に巻き込まれてしまうのですが、いよいよ危うい場面で毎回幸運にも逃げ切ることができます。

 

 

沙也の選択が、すべて悪手を選んでいて読んでいてイライラ、いやハラハラします。「しっかりして!」と呼びかけたくなるくらい。

いや、実際、そんなストレスフルな状況に置かれると、人間そうなってしまうのかもしれません。

 

 

話の展開は、ハードです。

何しろ、今回は無関係な人間がたくさん殺されてしまうのが、読んでいて少ししんどかった。

 

 

日本武尊と弟橘媛を祀る、横須賀にある走水神社と、名古屋の熱田神宮を舞台に、謎の男・髙村皇(すめろぎ)の配下の鳴石(なりわ)綱手(つなで)、そして蛇(くちなわ)たちの策略を阻止するため、辻曲家の面々が活躍します。

 

辻曲家の人々はともかく、髙村をはじめその部下たちって、人間なんですかね?それとも式神みたいなもの?

 

 

弟橘媛の歌

 

さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の

   火中に立ちて 問ひし君はも

 

どのように解釈するのかによって、歌に込められた詠み人の想いが、まったく違って見える。

 

今回も、歴史解釈では地縛霊の火地(かち)さんの独壇場。

 

ただ、以前から感じていた日本武尊のイメージの揺らぎが、少し緩和されたような気がします。

現代の感覚からすると、卑怯なやり方を堂々と使ったり、傲慢な態度で挑発したり、もしかして〇〇なのかと(笑)

彼ならば、いろんな人から恨まれても仕方ないような気がします。

 

 

火地さんが語る弟橘媛の最後の姿が本当だとしたら、夫のために身を捧げたとして太平洋戦争の頃には女子の鑑として祀り上げられたこと、尊の英雄譚のため改ざんされたこと、などなど怨霊となっても仕方がないように感じました。

 

 

舞台となった熱田神宮や走水神社にも行ってみたくなりました。

 

 

この『倭の水霊』では、ヌリカベこと福来陽一(ふくらいよういち)と沙也の関係なども明らかになっています。

 

 

1作目で提示されている<7日>のうちに、すべてが解決するのか…それとも、まだまだ攻防は続くのか、この先も作品も楽しみにしています。