「猫鳴り」とは、作中の登場人物が猫のゴロゴロ音を指して表現した言葉で、辞書には載っていません。
撫でているとき、甘えるときなどに喉を鳴らすゴロゴロ音は、人間をも癒す効果を持っているようです。
庭からこちらをじっと見つめるオレンジの虎柄猫。牧野千穂さんの表紙にも惹かれて手に取ってみました。
可愛いばかりはない、その生き方、無垢な瞳、力強く命を全うする元野良猫モンの姿に、生きること、命の意味…など、人間は多くのことを教えられ考えさせられる、そんなお話だと感じました。
内容紹介
ようやく授かった子供を流産し、哀しみとともに暮らす中年夫婦のもとに一匹の仔猫が現れた。モンと名付けられた猫は、飼い主の夫婦や心に闇を抱えた少年に対して、不思議な存在感で寄り添う。まるで、すべてを見透かしているかのように。そして20年の歳月が過ぎ、モンは最期の日々を迎えていた…。「死」を厳かに受けいれ、命の限り生きる姿に熱いものがこみあげる。
第1部
第1部から第3部まで、3つの短編からなっています。
第1部は、40歳を過ぎてようやく授かった子供を流産した信枝の目線でのお話。
流産のショックで夫・藤治との間もギクシャクしている信枝は、庭に迷い込んできた一匹の子猫に出合います。
子どもの居ない寂しさを子猫を飼うことで癒すのかな…と安易に予測して読んでいると、信枝は子猫に酷い仕打ちを。
信枝の心の荒み具合が投影されているようで、読んでいて痛くてしかたありませんでした。
子どもを流産したのも、自分の犯した罪ゆえだと自分を責めている信枝には、必死に生きようとする仔猫を見ているのはつらかったでしょう。
猫好きからすると、そこまでしなくても素直に飼ってあげてほしいと叫びたくなってしまうのですが。
40歳を過ぎて妊娠することは恥ずかしいことなのか、授かった経緯にも信枝は罪を感じているようです。
夫よりも若くたくましい男性に気持ちが昂る、つまりは力強い生命力から命が生まれることに不思議はないようにも思います。
何度遠くへやっても戻ってくる仔猫。
もう、運命と思い飼うしかないでしょう。
そして、仔猫に”モン”と名付けた近所の小学生アヤメ。
この子も、どこか不思議な雰囲気を持っています。
第2部
数年後。
不登校の中学生・行雄は19歳しか離れていない父親と二人暮らし。
映画「皇帝ペンギンの一生」を見て以来、自分の内なる凶暴性を認識しはじめます。それは近所の幼児にも向けられ、ポケットに隠し持ったナイフを握りしめては妄想に震えるのです。
怖いですよね。
さしたる理由もなく、ただ幼い子どもに憎悪を抱き、傷つける欲求を持ってしまう。
でも、これって第1部で信枝が仔猫のモンに抱いた感情”目の前から消えてほしい”に、似ている気がします。
行雄はいつもぶらぶらしている公園で同級生のアヤメに出合います。アヤメはオレンジ色の猫・モンと一緒でした。
父が拾ってきた仔猫の世話をするようになった行雄は、次第に愛着を持つようになりますが、仔猫は死んでしまいます。
公園に埋めてやろうとしたところ、モンが咥えて走り去ってしまいました。
アヤメは「モンが食べた」と言いますが、それはアヤメ流の慰め方だったようです。
(第3部にモンが咥えてきたというシーンがありました)
父と会話らしい会話の無かった行雄は、父に感情をぶつけます。行雄がブラックホールと呼んでいた感情、それは”絶望”だと父は教えてくれるのでした。
行雄の複雑な感情は、中学生ならではなんでしょうか。
まだ子どもで居たい、甘えたいのにそれが許されない父子家庭の状況。大人にならねばならない自分が、切り捨てなければならないのが子どもらしさだとしたら、無垢な幼子に敵意を持ってしまうのも屈折した心理ながら、あり得るかと思います。
殺めてしまおうとした幼い命と、死んでしまった仔猫の命。
行雄がこの先、命を大切に思う人に成長しますように。
第3部
信枝の夫・藤治の目線の話。
数年前に信枝は無くなり、定年も過ぎた藤治のもとにはモンがいるだけ。
用事で1週間家を空けていた藤治は、甘えるモンがよだれを垂らすのを見て、歳をとったことを実感します。
それから幾度かの季節を過ぎ、モンも元気がなくなり、病気も発症。
モンの弱っていく姿を見ることになる藤治の葛藤です。
延命治療も辛い、かといって安楽死も。
モンは虚勢したために子孫を残すことが出来なかったと思う藤治は、子どもの居ない自らの人生を重ねて見ていたのでしょうか。
モンのために何をすればいいのか。
モンの死を受け止める覚悟はできているのか。
藤治の辛さ、胸が痛くなります。
妻の最期を回想するシーンがありますが、妻がいくつものチューブにつながれ朦朧とした意識の中で逝ったこと。
延命治療がその人のためなのか、モンの最後にあたって、あらためて考えたことだろうと思います。
20余年を生き切ったモン。
弱っていくシーンは読んでいてこちらも辛いです。
エサも食べなくなり水すら飲まなくなってしまったモンが、藤治の呼びかけにしっぽだけで返事をする…。
1部2部と違って、命の仕舞い方のようなお話でした。
最後の2行が深く心に沁みます。
描かれているのは命
生まれ出ることのできなかった命。
試練に耐え、生きようとする命。
消えてほしい命と消えないでと願う命。
よく、生きることと死ぬことは等価値といいますが、死に方に生き方が反映されるのではないかとも感じます。
人間は後悔したがりますが、おそらくモン(猫)はその一生を振り返ることも、ましてや後悔もない、文字通り”ありのまま”生きたのだと思います。
モンの琥珀の瞳に、人間はどう映っていたでしょうか。
”すべて見透かすような瞳”と感じるのは人間が隠したいものを持っているからなんでしょう。
確かに、猫って表情なくじっとこちらを見ていることがあります。
「あ、わたしの気持ちわかってくれてるのかな」と思える生き方をしたいものです(笑)
この物語、唯一感情移入できるのは藤治さんでした。
(他は宇宙人…)
モンを亡くした藤治さんの、その後が気がかりです。
モンのように命尽きるまで自然体で過ごしていくのかもしれません。