1969年に出版された「On Death and Dying」。

50年経って医療は進歩したけれど、心の問題はそんなに変わっていないのかも…と本を閉じて思いました。

 

タイトルからイメージする恐ろしさや、オカルト的なものとはかけ離れた、非常に人間臭い内容。

自らの生を考えたり、看取りをイメージするときのため、一読しておいて損はないのではないでしょうか。

 

ターミナルケア(終末期医療)の入門書のような著作で、実際に患者に行ったインタビューが柱となっています。

 

 

死とは、長い過程であって特定の瞬間ではない――人生の最終段階と、それにともなう不安・怒り・恐怖・希望……。二百人にのぼる患者に寄り添い、直接聞きとった“死に至る"人間の心の動きを研究した、画期的な書。

<内容紹介より>

 

 

昔の大家族であれば、人の死も身近なものだったでしょう。

その様子を間近で見ることもできたことと思います。

でも、今ではどのように人は最後に向かっていくのか、どう接したらいいのかわからない人が多いのも仕方ない。

医療人も、一般人も、それこそ腫れ物に触るように接してしまうこともあるのではないでしょうか。

看取る側、看取られる側、人はどちらかを選ぶわけではなくどちらも経験するもの。誰もが目を背けられない現実です。

 

精神科医である著者自らがセミナーを主催し、末期患者へのインタビューをもとに彼らの心の動きを

第1段階 否認と孤独

第2段階 怒り

第3段階 取り引き

第4段階 抑鬱

第5段階 受容

と分析。明確にその段階を経ていくのではなく、行きつ戻りつしつつ受容へと向かうわけですが、逆に言えば、このように進めば安らかな気持ちになれるという手引書でもあるように感じます。

 

患者さんって、病院スタッフや介護してくれる家族には「わがままな患者」と思われたくないという気持ちがどこかにあるんだと思います。

希望も持ち続けていたい、見捨てられたくない、生きがいを持ちたい…など、人間としてごくごく自然で、自然すぎて元気な時には意識しにくい心の揺らぎが顕著になるように見えます。

 

その機微を汲み取って、ケアができるのが理想ですが、医師や看護師も忙しく、一人にじっくり向き合う時間が少ないのも現実かと。

インタビュアーが、患者に教えを乞う、という姿勢で接することで、多くの学びを得ることができているんですね。

日本ではあまり聞かない病院牧師、精神科医(もしくはカウンセラー)の存在は、必要だなと思いました。

心のケア、って患者ひとりひとり違う対応が必要だろうし、絶対の正解もなさそう。

医療はサービス、なのかどうかはさて置き、医療は愛だと信じたいですね。

 

行き届いたケアのためには、多くのケースを見聞きすることが重要だと感じますが、なかなかそれも難しいこと。

この本が『ターミナルケアの聖書』と呼ばれるのも、頷けます。

 

いずれ迎える自分の最期にも、周りの看取りにも、参考になる著作ではないかと感じました。

 

この著作のあと、筆者のエリザベス・キューブラー・ロスは、幽霊を目撃し、臨死体験を経て、輪廻転生とか死後の生といった方向に傾倒していったそうです。

突き詰めていくと、ボーダーラインを踏み越えてしまうこともある、ということでしょうか。

 

各章の冒頭に、インドの詩人タゴールの「迷える小鳥」のフレーズが掲載されていました。

その中でも、最後に掲げられていた1節が、とても印象に残りました。

 

器の中の水は光る。海の水は暗い。

小さい真理は明瞭な言葉をもつが、大きな真理は大きな沈黙をもつ。

 

『死ぬ瞬間』は、最近、文庫でも発行されたようです。