誰かの悪い顔やダメな部分を見たときに「あ〜、この人も人間なんだな」と思うのはなぜだろう。
根本的に人間は、性格が悪く、ダメな生き物なのだろうか。
ギモン、ギモン。
若菜ちゃんも嫉妬できるようになれば強いのにね、と言われたことがある。
私は、女性に対して嫉妬することが一切ない。
男性に対してもことごとくない。
これは、私の弱みだろう。
しかし、私にはその仕組みが、納得こそできるが、いまいち理解しきれない。
最近、立て続けに「嫉妬」という言葉を耳にした。
それも、同性に対して抱く感情だという話だった。
んまじか!と思ったが、んまじ!だった。
そして、私は自分の欠落を感じることになった。
私にとって同性は、可愛くて可愛くて仕方のない対象なのだ。
自分と比べるという感覚が、どうしても持てない。
女性が女性に対してマウンティングする姿や、嫉妬を隠しきれない姿を見ると、おおお!となってしまう。
でも「あ〜、この人も人間なんだな」とガッカリした気持ちにはならない。
そもそもその姿が「ほんとう」だとは思わないからだ。
本人にとってもそれは「不本意」だと思うのだ。
だって嫉妬してしまう人は、嫉妬してしまう自分がいやだとみんな言う。
苦しそうで、切ない。
女性という生き物は、元来いいやつだと私は思う。
自称サバサバ女性は、マウンティング能力に長けていたり、嫉妬心も強いというのが酒井調べだが、しかしそういった女性の心の裏には、自信のなさや、女性らしい女性に対する劣等感、そして、女性らしくいることへの照れ、みたいなものが相反するように存在しているのではないかと感じられる。
確かなのは、そういう子は、必ず繊細だということだ。
ということで、ある女性たちに、なんちゃって取材をしてみた。
取材対象は3名。
最近「嫉妬」という言葉を持って、私に相談や愚痴を話してくれた28才の女性に紹介してもらい、他の2人と会わせてもらった。
25才、28才、30才。
いつも3人で女子会なるものをしているらしい。
その女子会に潜入した(許可得てます)。
やはり全員、自分のことを「サバサバしてる」「男っぽい」と言っていた。
そのうちの1人、28才の子が言った。
「◯◯ちゃんには彼氏紹介できない。だって彼、元々のタイプは◯◯ちゃんみたいな子だもん」
そして、あろうことか◯◯ちゃんの悪口を言い出した。
しかしその悪口は、漠然としたものだった。
「裏がありそう」「なんか、あの子はやめたほうがいいと思っちゃう」。
バ、ク、ゼ、ン。
「え?いい子ってこと?」と私が聞くと、「いい子だけど、こわいですよね」「こわい?」「うん、いい子すぎてこわいっすね」。
ザ、ッ、ク、リ。
私は、「それってでも、◯◯ちゃん、なんにもしてなくない?彼だってあなたのことが好きなんでしょ?」と聞いた。彼女は、「そーだけどー」と言いつつも、
「結局さ、あたし、自分に自信がないんですよ」
と言った。
彼女がこわかったのは、◯◯ちゃんじゃなくて、選ばれないかもしれない自分だった。
◯◯ちゃんに負けていると突きつけられそうでこわかったのだ。
ぜんっぜんサバサバしてない!
だけど、
そうか!サバサバを主張するのは、女性らしさに対抗できるものを一生懸命探して見つけた、個性なんだ!
と思ったら、諸々の合点がいった。
ゲセタ、ゲセタ。
ちなみにその子は、容姿もめちゃくちゃ可愛い子だった。
なんで、そんなに、自信が、ないのか。
これが、恋の、おそるべき、魔力か。
一方で、30才の子は、嫉妬についてこう話してくれた。
彼女は既婚者。数年前、若くして結婚し、子供を授かりたくて病院通いを続けている。そんな中、友人たちが続々とできちゃった婚をしていく。その友人たちの幸せそうな姿はとても喜ばしいことなはずなのに、心の底から喜べない自分がいる。嫉妬している自分に気がついたとき、空しさでいっぱいになった。と。
これはね、私もこの年齢ですもの、何度か聞いたことがある話だ。
これはね、自意識過剰とか、承認欲求とかじゃないからね、これはね、なんかね、もらい泣きしちゃう。私、絶賛独身中だけど。
嫉妬にも、種類があるんだな。
向田邦子さんや高峰秀子さんにも象徴されるように、女性らしさ、というものは、強い女性にしか維持できないものだとつくづく思わされる。
麗しく、たおやかで、しとやかな「女性」を保つには、相当な努力がいる。
そういった女性らしい女性は、嫉妬やマウンティングとは無縁に生きているように感じる。
むしろ、気持ちがいいくらいサッパリしている。
サバサバとサッパリは、ちがうのだ。
だからこそ私は、その「女性らしさ」という圧倒的強さに惹かれるのだ。
私の周りの女性は、真っ二つだ。
マウンティングや嫉妬のない女性と、ある女性。
私はどちらも好きだ。
しかしどちらかといえばやはり、ない女性、のほうが多いし、好きかもしれない。
たとえば『marble』メンバー。
文系女性を中心に6名の女性に声をかけたつもりだったが、蓋を開けば、うち3人は、学生時代に全国レベルで戦った経験のある本物の体育会系。
しかも、女の園で鍛えられた3人である。
この媒体を立ち上げた私と、最初から加入が決まっていた亜希ちゃんも、全国レベルではないがゴリッゴリの体育会系である。
私が普段仕事をお願いしているヘアメイク、スタイリストも女性だが、聞けば体育会系バリバリの出身とのことだった。
女性と聞けば見境なし、だと自分のことを思っていたが(言い方…)、私が「選ぶ」ということをするときには、無意識のうちに、やはり体育会系女性を引き寄せていることに気がついた。
私は礼儀に厳しい。
年功序列を大事にするし、規律を重んじるタイプだ。
『〜8人の男たち』という本を出せたのも、私が男性たちに対して、女としてではなく、人間として、向き合ってきた結果だと思っている。
以前亜希ちゃんと、ある女性の話になった。
「いや女として義理は通さないとさ」と私が言うと、「いやそれは、男気ですよ。酒井さんが体育会系過ぎるんですよ」と亜希ちゃんが大笑いしていたことがある。
なるほどなぁー、と思った。
私はそもそも、一般に言う男気を、女気だと思っているところがあるらしい。
男らしい女性よりも、女らしい女性が好きだが、ずーっとずーっと掘っていくと、それはいわゆる男らしさのことだった。
それでは、男らしさの一般的概念はそもそも合っているのか?とあらたな疑問が浮かぶ。
だが、今回はそこを掘り下げて話すと取っ散らかるので、同義語だと仮定して、体育会系の部分を取り出してみる。
『marble』では、最年少のみのりと、ムードメーカーの亜希ちゃんが、ゆとりだとか平成生まれだとかの概念を吹っ飛ばすくらいに体育会系なことが、実はめちゃくちゃこの媒体にとっては大きな役割を担ってくれている。
そして、先輩の尚美さんと麻子さんがホワホワといてくれて、でも隠れ体育会系というか、凛としていてくれることが助かっている。
その中で、美雨ちゃんと愛美がマイペースなのも、とても良い。
すごいバランスだな、と思っている。
そう
これは宣伝です
『marble』、ぜひご一読ください
素敵女性の調和が、見事です
明日も良き1日を
ごきげんよう