「これって私のこと?」と思うんだ、
とブログを読んだ友人が告白してくれることがある
最近はそうでもないが、私は元々の性質として、『酒井若菜と8人の男たち』の中で博士さんに指摘されたように「相手の名前を出さない」という文章上のルールを設けているところが確かにあった
もちろん、実名を挙げたり挙げなかったり「ある1人」を掘り下げて書くこともあるが、実を言うと、私の文章に登場する誰かは、1人じゃない数人を指していることが多々ある
例えば何かを書く際、その題材に適した人物が3人思い浮かぶとしよう
そのとき私は、3人を足して1で割り、1人の人格として文章上に登場させる
コツは、「1で割る」だ
「酒井さん、1で割ったら3のまんまですよ」なんて無粋なことは言わないでいただきたい
感覚の話だ
盛り過ぎず、薄めず、しっかり混ぜて1で割る
最初から三等分することを意識して、ムラができるようしっかり混ぜる
つまり、混ぜたときにできるマーブル模様を、文章上に登場させるであろうそのうちの「1つ」にだけ焦点をあて、象徴的な柄が浮かび上がるようこねるのだ

よく、文学少女だと言われる
さすがに少女という年齢ではないが、「文学」には「女性」「女子」はもちろん「淑女」などという言葉も似合わない
どうしたって「文学」には「少女」という、語感が似合い、五感がしっくりくるものだ
そのような理屈ではない感覚というものが世の中にはあって、その感覚で「1で割る」なのです、と言えば、文学少女たちにはなんとなぁーーーくご理解いただけるのではないかと思う

余談を挟むと、
かつて大女優のかたと初めてお話しする機会があったとき「あなた、文学少女なんですってね」と声をかけられた
先日、大好きな名優のかたと久しぶりにお会いしたとき「若菜、変わらず文学少女か?」、そして撮影を重ねるうちに、「やっぱり文学少女だなぁ」とふむふむしてらした
私の調子乗りな勘違いでなければ、その言葉をかけてくれる諸先輩方からは、必ず好意を感じる
私は、先輩に「文学少女」と呼ばれるたびに、さも自分が「文学‘少女’」かのように振る舞ってしまう
理屈ではないと書いた矢先になんだが、その呼び名の成り立ちを想像するだけで、うきうきとした気持ちになる
大人な誰かが、夢中になって本の中で冒険をし、勉強する若輩の少女を愛おしむことから生まれた言葉なのではないかと
まあずいぶん都合のいい想像だが 笑

ある人に、というかクロロンに、「文学少女なんだなぁと思ってたけど、そのわりに、ひどい雑だよね」と言われた
彼が嘘つきでも笑、こういう感覚、つまり文学少女というフレーズを私にブッこむ作用が、いかに私に働きかけるか
知ってか知らずか、それを理屈ではないところで自然と出してくるあたり、例え彼が嘘つきでも笑、その感覚を持ち合わせているからこそ、私は彼と仲がいいのだと思う

雑で思い出したが、
洋服を裏表逆に着てしまうことが多い
特に黒シャツは、裏返して洗濯をすることが多いので、そのまま着てしまうのだ
しかし、性格は裏表がないほうだと思う
それは、私の長所であり、短所でもある
立場をわきまえ、相手によって対応を考えることはとても大事だから、誰とでも同じように接するのはかえって失礼にあたることもあるので、私もそれなりに踏まえているつもりだが、どんなに偉い人にでも、どんなに怖そうな人にでも、間違えていると思ったら間違えていると言ってしまう節がある
それは明らかなる長所であり短所だ

「文学少女」「裏表がない」と2つとも指摘してきたことのある友人から、私の動物占いの結果を知らされた
友人は大笑いしていた
「私、占いとか信じないけど、これめっちゃ当たってる!」
曰く、何人か占ってみたものの、こんな統一性のある結果が出たのは珍しかったとのこと

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希望も隠れも黒ひょう
黒ひょうの性質は知らないからなんとも言えないが、
本質も表面もペガサス
あたしゃ地に足のついた女になりたいよ! 笑


明日も良き一日を

ごきげんよう