物語に触れて、泣いたり嬉しかったりが堪えきれなくなるのは、きっと自分自身に思い当たることがあって、それを「思い出して」しまうからだと思う

勿論、まったく自分の中にないものに触れて、新鮮に「知って」しまう場合も多々あるけれど

前者は例えば、現世で似たような経験があったり、今の人生でなくとも過去生で似たような経験があったりして、その記憶が、具現化された物語によって、引きずり出されてしまうのかもしれない
そうして心を揺らがせたり、締めつけたりするのかもしれない
それは、とても美しい

例えば、『魔女の宅急便』なんかは、子供の頃見た印象と、大人になってから見た印象とではまるで違う
キキの目線から、オソノさんの目線に変わったとき、なんて眩しい物語なのだろうと気がついた私は、もれなくひどく感動した

岩井俊二監督『Love Letter』をいつぶりかも思い出せないくらい久しぶりに見た
昔は、少し大人の切ない、淡い物語だと思っていたはずだった
とても好きなはずだった
ところが、大人になった私が今あらためて観ると、拙くて苦しくて、ちょっとなんか、なんというか、堪えることが難しいくらいだった
手紙を出しても届かないじゃないかと言う男に対し「届かないから出したの」と答えるヒロインの心具合が、今の私には痛いほど理解ができる
男がヒロインに向かって放つ「忘れなあかんねんて」という台詞に私はひどく傷ついた
昔の私は、傷つくどころか琴線にも確か触れていなかったはずなのに
なんなら、「そうだ、よく言った」くらいの、男の正しさに共感していたかもしれない
まぁとにかくその辺りは憶えていない
そして今回観進めていくうちに、その後の男の器に、何故か私が「ありがとうございます」と思った
名シーンと言われる、ヒロインの叫ぶ言葉は、共感以外の感情が見当たらなかった
こんなにも震えるとは思わなかった
大人になって、観返して、よかった

先に書いた通り、例外もあるが、
物語は、映画でもドラマでも本でも音楽でも、触れた人がそこに「自分」を感じれば、作品という名の役目を果たす

『Love Letter』は、私の記憶を具現化したものではないか
恥ずかしげもなく、そんな錯覚ができることが、とても嬉しい

皆さんいかがお過ごしですか
暑くなりましたね
熱中症には気をつけて日々をお過ごしください

涼しげに過ごす
例えば、記憶という弱みにつけ込まれないように涼しい顔をして

明日は、岩井俊二監督『Undo』を観る予定です
確か私は、この映画が一番好きでした
設定は憶えているけれど、内容はまったく憶えていません
大人になった私は、何を感じるのか
子供だった私が、何を感じていたのか
思い出せるといいな、と思います

明日も良き一日を
ごきげんよう