言葉を尽くす
という意味では、私が信頼する一人に、てれびのスキマさんがいます
スキマさんは昨年、『酒井若菜と8人の男たち』と同時期に、『1989年のテレビっ子』を発売されたのですが、その際、『水道橋博士のメルマ旬報』にこんな記事を書いてくださいました
ご本人に許可をいただいたので、先ほどの続きとして、ここに転載します
(リンク的な、貼り付け方法が分かれば前記事に後ほど載せ直すかもしれません)
また、『〜8人の男たち』には、分かる人には分かる(いや、もはや私にしか分からないレベルのものもある)、とてつもない数の仕掛けを入れているのですが、いまだその正解をひとっつも明かしていない私…
しかしその一つにすぐに気づいたスキマさんのテレビっ子っぷりに、私は驚愕しました
マギーさんの章、『オモクリ監督』とのリンク、ここに気がつく人がいるとは…
マギーさんについてのエッセイで私が「かもしれない」を連発していたのは、まさしく、マギーさんが『オモクリ監督』で書いた脚本、演じられていた台詞にかぶせていたのです
すごすぎるわ、スキマさん
以下、ちょうど一年前のスキマさんの文章です
↓↓↓
『1989年のテレビっ子』 http://amzn.to/1TbP7s9 、おかげさまで2月29日に重版決定の連絡が入りました。
ありがとうございます!
ナインティナインの岡村さんや東野幸治さん、スピードワゴンの小沢さん、アルコ&ピースの平子さん、麒麟の川島さん、アル北郷さん等々、芸人さんたちの中にも手にとっていただける方が出てきて担当編集者ともども泣きながら喜んでいます。
水道橋博士さんのおかげで、是非とも読んでいただきたかった本書前半の主人公ともいえる島田洋七さんの手にわたったことも感無量でした。
そんなわけでまだまだ広く長く読んでいただきたい本なので引き続きよろしくお願いします!
さて、『1989年のテレビっ子』と同じくたくさんの人に読んでいただきたい本といえば、酒井若菜による『酒井若菜と8人の男たち』 http://amzn.to/1RM2eNN です。
みなさま、もう買って読まれたでしょうか。
凄かったよね!ねっ!ね!
と、読んだ後、必ず誰かと話したくなる本です。
ですが、読んでない人に薦めるのが難しい本でもあると思います。
なぜなら、この本の断片を紹介するだけでは、この本の本質から必ずズレていってしまうからです。
膠原病告白を見出しにほとんどそれしか伝えない芸能ニュースがそれを象徴しています。
たとえば、読んだ人なら誰もが岡村隆史との対談で明かされる事実に驚き、震え、泣くでしょう。
ですが、これをまだ読んでいない人に伝えるのは至難の業です。「実は岡村さんが休養中に……」とちょっとでも伝えようものなら、全部を話さないと、その凄さは伝わらないし、聞いた人が想像する凄さは実際の何十分の一程度でしょう。
そもそも、この岡村隆史の章だけをピックアップすること自体、膠原病告白のことをピックアップするのと同じようにこの本の本質とズレていってしまうものです。
だから、もう、とにかく読んで!ってことしか言えません。
で、3月1日に行われた『酒井若菜と8人の男たち』の出版イベントになんと僕がゲストで招かれてしまったのです。
酒井さんからの依頼を僕に断るなんていう選択肢はありません。けど、まずイベントに来ていただく方の大半にとって「誰なんだ、お前は?」感がものすごい。そもそも、僕は喋れない。だから本当に僕でいいの?という不安はもの凄く大きかったのですが、もうひとり九龍ジョーさんがキャスティングされていたので、ああ、だったらなんとかなるかも、と若干安心しました。(九龍さんは打合せや打ち上げで、実は「極度の人見知り」だとおっしゃっていて、学生時代の「ええ?」っていう人見知りエピソードも話されていて、驚きました。実際、よくよく話してみるとそういう匂いもするのですが、九龍さんは僕の人見知りのほうが全然マシとも言われましたが、それは違います。やっぱり九龍さんは仕事モードになればまったくそんなことを感じさせないくらいになるし、自分がいかに人見知りであることを説明できるほど、ある意味、克服されていますが、僕は、自分が人見知りであることすら説明できない段階なのです。割ともっと暗い過去も持っていますが、それもまだ言えないくらい)
そんなわけでイベントが始まり、そこに芸能マスコミのカメラがあることにたじろぎつつもスイッチの入った九龍さんの見事な進行のおかげでとってもいいイベントになったんじゃないでしょうか。
「呼び名へのこだわりが面白かった」とか「写真の使い方がめちゃくちゃ良かった」とか「日村勇紀の存在感が凄かった」とか、言っておきたかったことはある程度言えて良かったです。
今回は時間的にも話の流れ的にも、本全体の話になりましたが、もし8人の男たち個別の話題になったら、と思って用意していた、酒井若菜と岡村隆史の出会いとなった『オールナイトニッポン』の模様を記した『オールナイトニッ本』vol.2を最後の最後に紹介できて良かったです。が、話の流れ的にもう出さなくてもいいかなと思っていたり、終了時間も来ていて時間もないっていう焦りと、それまでちょくちょく口を挟んでいただけだったので、急に目線が僕に集中してドギマギしてしまい、ホントは全部音読しようと思っていた部分を見失ってしまいグダグダっとなってしまったのが心残りです。
紹介したかった全文は以下のとおりです。
(※東スポに出た岡村と酒井の「熱愛」報道を受けて)
「2月22日 酒井若菜の緊急出演が決定。いつもはジャージ一辺倒の岡村、突然「SOPHの上着」&「501のジ-パン」&「アイリッシュセーターの靴」という、自称「シブヤ系」のいでたちでニッポン放送に現れる。(明らかに酒井若菜を意識してのファッション。)
酒井若菜、スタジオに登場するなり、岡村に「はじめまして」と丁寧に挨拶。(初対面だった。)さらに酒井、「(好きなタイプは)ロビン・ウィリアムズとエリック・プランクトン」と明かす。(岡村、まるで「脈なし」と判明。シブヤ系ファッション、横スベリ。)」
ちなみに翌週の項では、「隆史の“好きかもしんない”ランキング」を発表したと書かれています。「1位:メグ・ライアン、2位:倉木麻衣、3位:酒井若菜」だったそうです。
で、イベントでも話したんですが、ここでごく個人的に奇跡的な巡り合わせが起こります。
実は、この本のまさにこのページにあるチラシが挟まれていたのです。
僕はそのチラシをもらったことも忘れていましたし、この本に挟んだことも記憶にありません。
それが岡村隆史の一人舞台「二人前」のチラシだったのです。
それは、岡村さんが、休養に至る直接的な原因となった舞台です。『酒井若菜と8人の男たち』を読んだ方なら、「酒井若菜」が書かれたページにこのチラシが挟まっていた偶然に僕がどれだけ驚いたかが分かっていただけるのではないでしょうか。九龍さん言うところの“関係妄想”がものすごい勢いで広がった瞬間でした。
そしてこのチラシの裏面にはこう書かれていました。
「岡村隆史です。
自分でやりたいと言い出しときながら、ほんまにやるのが怖くなってきました。
今から緊張しています。
今現在、どんな脚本が届くのかもわかりません。
(略)
もはやひとり芝居ですらないかもしれません。
岡村隆史歌謡ショーになってしまうかもしれません。
プレッシャーで痔が再発するかもしれません。
でも、この公演がどんなことになってもチケット代は返しません。
覚悟して見に来てください。ご来場お待ちしております。
2010年 春 岡村隆史」
と、キレイに(?)締めたところで、本来、イベントで言い忘れたことを書くために、この原稿を書き始めたのだったということをすっかり忘れてました。
それは、『酒井若菜と8人の男たち』の最初に出てくるマギーによる『オモクリ監督』での作品についてです。
彼は、『オモクリ監督』ゴールデン進出1回目、「スタート」をテーマにした短編作品に酒井若菜を主演にした作品を作っています。
この作品はMVO(その回でもっとも素晴らしい作品)にも選ばれたように珠玉の短編なのですが、この本を読み終わった後、改めて見るとさらに味わい深いものになっています。
酒井若菜は「みゆき」(この役名も本を読むと「わあ」ってなりますね)という自動車教習生。バツイチという設定。マギーは彼女を教える教官役です。
教官はみゆきに「かもしれない運転」が大事だと教えます。
「周りに障害物があるかもしれない」「後ろからバイクが来るかもしれない」「子供が飛び出してくるかもしれない」……。
教習所に通ったことがある人なら、「安全だろう」という「だろう運転」に対し、「かもしれない運転」の大切さは口を酸っぱく教えられたと思います。
思えば、酒井若菜の文章は「かもしれない」という思慮に満ちています。そういう眼差しがあるからこそ、対象の良さを引き立てている文章を書けるのかもしれません。
物語は、教官が過剰に「かもしれない」を要求しはじめることからおかしな展開になっていく。
「気をつけてください。静電気がバチッというかもしれない」「車の中に猫がいるかもしれない」「猫の家族がご飯を食べているかもしれない」……。
うんざりして「もうスタートしていいですか?」というみゆきに教官は「本当にスタートできますか?」と投げかける。
「あなた、もう自分は幸せになれない“だろう”。そう思ってませんか?」
「だろう運転は事故のもとです。そんな気分じゃ再スタートできませんよ」
「あなたはもう一度幸せになれるかもしれない」
「あなたと一緒に幸せに向かって走りだすそんな人があらわれるかもしれない。その人はもう案外あなたのそばにいるかもしれない」
それを聞いたみゆきは笑顔で言うのです。
「私もようやく走り出せるかもしれない」
僕はこの短編が、『酒井若菜と8人の男たち』とリンクしているように思えて仕方がなかった。また“関係妄想”ですけど。
水道橋博士に悪意があった“だろう”という思い込みから博士と距離を取ったり、舞台降板をきっかけに休業しマイナス思考に陥り、もうダメ“だろう”と思い込んで塞ぎこんだ時期もあったのでしょう。
考えすぎてしまうゆえの「どうせ~だろう」というネガティブな思い込み。
けれど、同じように考え抜くことによって思い込みから解放されて「~かもしれない」という希望を得ることもできる。
『酒井若菜と8人の男たち』には、そんな希望が全編に漂っています。
酒井若菜はまた走り出した。
というわけでまだ買っていない方は『酒井若菜と8人の男たち』と『1989年のテレビっ子』をAmazonがオススメするように併せて買ってください!
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