思いがけず泣いたとき、私は自分を労われる

自分ではさすれないのが背中だよ

あの子はいいこだ
数日のあいだに、なんどあの子からの電話が鳴っただろう
電話に出るたび、受話器のあっち側から、あの子は私に、自分の幸せを考えてと伝えてくれた
私は自分の幸せだとか、そんな類いのことがいまいちよくわかっていない
ーそんなの別にいいんだけどさ
そう言う私に、彼女は私の知らない私の魅力を教えてくれる
あの子は言う
ーお前はもうツラい経験はしなくていいよ
あの子、そう言って、少し黙った
ーツライのとか、もういいんだよ
あの子、そう続けて言って、泣いちゃった
ーお前は一人で生きていかないで
そう言って泣いていた
ー別に一人で生きてるつもりはないんですけど 笑
そう伝えると、あの子今度はケラケラ笑った
あの子は少し、照れ屋だものね
そんなあの子が最後に私に告げたのは、
ーお前は幸せになれ!
おまじないでも希望でもなく、
命令という名の赦し
そんな風に聞こえたの

今では、私の思わせぶりな過去を知りたがる人もめったやたらには現れない
それが私の最近事情
いい兆候だとは我ながら
だから、私の変化に気がついている人があの子以外にいるとは思わなかった

別のあの子はこう言った
あの子はいいこだ
ーもうすぐ桜が咲くね
ー最近つぶやかないね
ー「まだかなぁ、桜」って言ってないね
やめたの、と答える私に、彼女は理由を聞かなかった

人には、決して触れられたくない話というものがある
さする背中があるのは、正面から心に触れてはいけないと無意識下にわかっているからだろうか
人は背中をさするとき、大抵は抱きしめているか、斜め後ろに立っている
正面から顔を見るのは無粋だもの
無論それは、私にとって文章を指す
直接は話さなくとも、文章を書くこと、読むことで察しあう
それが私にとって、背中をさすると同意であり同義なのである

また別のあの子は、ある尊敬している友人に嫉妬した
あの子はいいこだ
あの子を苦しめることが、私はとても不得意だった
あの子はいいこだから、傷つけてしまわぬように、私が一歩前を歩いたら
ー涙がでちゃったありがとう
そう言ってあの子は泣いた
その子は、愛する人が死んだとき、一つのイヤホンを片耳ずつ分け合って音楽を聴いたってさ
美しいね

綺麗事は綺麗だよ
綺麗は綺麗と認めていたいよ
綺麗の事実を見過ごしちゃいけないよ

さらに別のあの子は、かつて目黒川の桜の写真を送ってくれた子で
あの子はいいこだ
近況報告をしあって
極めて普通と言う私に
ー極めて普通じゃないんだな
ってあの子は即座に反応した
桜の季節がやってくることに気がついてのことだったのかもしれない

今年も桜は咲くのだろうか
どうせ咲くに決まってる
律儀だね
桜も我も、毎年毎年
だけど私、もうやめたの
ほんとうに、記憶を食いつぶしてしまったのかもしれない
だから、友人たちの時折見せる核心に触れない涙や心遣いに、私はいちいちもらい泣きをしてしまう
友人方、古くからの読者の皆さん、
この数年間、聞かないでいてくれたこと、ありがとうございました

てなことをずいぶん前に書いていたわけです
ほいで、重版分の「心がおぼつかない夜に」と、続編で書いたメルマガ「PRIDE」を読み返したわけです
感想は以下になります
「ひっでぇ文章だ…」
あはははは
だけど、20代の私が一生懸命紡いだ言葉たちは、私の財産になっている
私はその事実を誇りにしていきたい

自分ではさすれないのが背中だよ
良き人たちと既に出会っていることを知りながらも
未熟な私はなおも
良き人と出会っていきたいと願ってしまう
それは私の数少ない欲だと思うから、恥じることなく大切に持ち合わせていこうと思う

写真は、相田みつを美術館館長、相田一人さんから毎年届くカレンダーと年賀状です
あまりにもストレートな言葉を目にした以上、私もストレートに生きていこうと思わずにはいられないのです
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皆さんいかがお過ごしですか?
私は元気です
今日も一つ、記憶を食いつぶした
明日はきっと、記憶を食いつぶさないだろう
ーお前は一人で生きていかないで
ーありがとう
皆さんにもこの言葉を

明日も良き一日を

ごきげんよう