Twitterを始めたときは、情報がそれ以前よりも多く入ってきたような気がしていたが、いざやめてみると、情報こそ入ってくるものの、むしろ視野が狭くなっていたことに気がつく。
縛られていたんだな、と。

先輩からのメールで目が覚めた。
またまたあらぬ情報が流されていたようだ。
以前ならば傷ついていたが、もはや現在の私はTwitterのタイムラインに振り回されることもなく、へぇーと他人ごとのように流せている。
「ほぼ毎回、台本が面白くないので、読むと具合が悪くなる」
といったような内容のことを私がtweetしたとされているが、そんなこと書いたら現場に行きにくくて仕方ない。笑
自分のためにも書くわけがない。
くだらないよぉ~
書くなら何の作品にも入ってない時に書く、というか、私は、そんな内容のことを書く機会そのものがない。
何故なら、私は、具合が悪くならないような、面白い作品にしか出ないと決めているからだ。
“ほぼ毎回”を文章のどこにかけるかで、意味はかなり変わってくる。
ほぼ毎回面白くない、ではなく、
「面白くない台本を読んだときはほぼ毎回具合が悪くなってしまうので、生意気だが、面白いと思った作品にだけ出させていただいている」
ということ。
私は、文章を書く仕事を他の俳優に比べ多くしている方だと思うので、文章を書くという事がどれほど骨の折れる作業か、多少の心得はあるつもりでいる。
例えば、私の文章を、誰かが朗読してくれる機会や演じてくれる機会があったとしよう。
あんまり面白くないなぁ、と思いながらやられるより、面白いなぁ、と思ってくれる人にやってほしいと思うだろう。
それを踏まえた上で、だからこそ俳優側に立つ場合は、面白いと思った作品だけをやる。
それが私の作品に対する礼儀なのだ。
文章を書くということへのリスペクトが、並じゃないからこそのこと。
無論、本の段階で100%の面白さが見込めなくても、面白くできそう!と思えばやることもある。
そういう感覚は、再度申し上げると、生意気だと思う。
が、20年この世界にいて得た私なりの必然がそこにはあるわけでもあり、また、元来の潔癖の症がそうさせているところもあるのだろう。
かつそれは、私自身が書き仕事をしていなければ得なかった感情に違いない。

そして、
酒井程度が仕事を選ぶな、と言われそうだが、私がなんでもやりますタイプではない理由は、これも過去のメルマガに書いているが、体が弱いためである。
そのためあまりハードに作品のかけもちなどができない。
それは、私が一番哀しんでいる。
片っ端からやれたらどんなにいいだろうと思う。
が、いかんせん体が弱い。
そうなると、体力的に、なんでもやります!と言って片っ端から全部やるわけにはいかない。
やらないではなく、やれないのだ。
体と相談してできる範囲で仕事をやるならば、より面白いと思える作品を選ぶのは当たり前ではないだろうか。

そんな理由もあり、私はいやいや作品に参加することはないのだ。

そして、面白い作品にしか出ていない現在の私は、関わる以上、その作品、役、現場に全力で全てを捧げる。

先輩からきたメールは、
「若菜ちゃんの出演作品に対する溺愛っぷりは、現場を一緒に過ごしたことがある人は知ってるから、落とし入れようとしても無駄なのにね」
だった。

そして、私がアカウントを削除したのは、まるで「ヤバいtweetをしたから逃げるように」、
アカウント削除後、ブログを更新したら「慌ててドラマを褒めてセルフフォローした」、
的なことにされているが、5月2日には既にTwitterをやめる旨を文章に起こしていたことはメルマガに書いてある。
そして、私は元々、出演作品はいつも公の場で絶賛してきた。
当たり前だ、出演作はいつだって自信作なのだから。
それに、Twitterをやめてブログを久々に更新したとき、近況報告をすることの何がおかしいのか私にはよくわからない。

ただ今回は、私があまりにも頻繁に、本質とは掛け離れ捻じ曲げた形でネットニュースに取り上げられ、明らかに執拗な目のつけられかたをしていることをさすがに訝しく感じはじめた一般のかたたちもおいでになるようで、「また嘘ニュースだ」「一部を切り取り、前後を書かないのは汚ない」「書き方一つでこんな印象を植え付けさせるのか」「元々出た作品は褒める人だよ?」等の意見も多く出ているようで、有り難く感じている。

そして、これまで私が作品を溺愛してきたことは、伝わっていてほしい人には伝わっているのだと、実感する。

今回はたまたま先輩からのメールで知ったが、本来であれば説明するのもバカバカしいと思っている。
今後は、私はそういう情報過多な世界から切り離した生活をするので、自分に対する意地悪に気がつくことすらないと思うが。

ただ一つ、よかったことがある。
Twitterをやめることが少し不安で、寂しかったが、これで微塵の未練もなくなった、ということである。
サッパリーー