メルマ旬報より
『君じゃない。』から数ヶ月後に書いた文章です




『PRIDE』



「ある尊敬している友人」というワードをこれまでに何度書いてきただろう。
2009年に再開したアメブロ。
そこで私は何度も何度も現在形でその人のことを書いて、ある年を境にパタリと書かなくなった。
そしてしばらく経つとまた、何度も何度もその人のことを過去形に変えて書いてきた。
メルマ旬報でも書いてきた。
面白いくらいその人が好きで仕方ない。
そして面白いくらい誰にも、そのことを聞かれない。
友達だけじゃなく、読者にも聞かれたことがない。
聞くことが不謹慎だと感じ取れる心ある人達ばかりで、それは私に、世間は意外と優しいのかもしれないよと教えてくれているようでもあった。
友達も読者も、桜が咲くと教えてくれて、私が「桜はまだか」とtweetすれば、「もう少しだよ」と一斉に返ってくる。
桜を待てた時なんかは、ファン同士が「若菜ちゃんが桜を待てるようになった」と泣いて話し合ってくれるような優しいやりとりを見たこともある。

今日は、唯一私に「ある尊敬している友人」についてダイレクトに聞いてきた、かつての恋人の話をしようと思う。
適度に嘘を交えながらになるけど堪忍くださいな。

「ある尊敬している友人」と、少し前のメルマに書いた「君じゃない。」という記事に出てきた人は、別人だ。
別人というか、そんな人は存在しない。
ある尊敬している友人と、もう一人の男性を混ぜて書いた。
恐らく、過去の私の文章を読んだことがある人は、「君じゃない。」に出てきたその人を「ある尊敬している友人」と受け取ったに違いない。
だけど、実はある尊敬している友人がいなくなったあとに、私は一度、恋愛をした。
「君じゃない。」に出てきたのは、その恋人と、ある尊敬している友人、二人のことだ。

私の心にはいつも、二人の男が存在している。

ある尊敬している友人がいなくなった時、20代の小娘だった私は、二度と恋愛をすることなどないだろうと思っていた。
辛かったからじゃない。
満たされていたからだ。
友人に足りないものは何ひとつなかった。
何ひとつ、だ。
その頃の心境は、後日談として、ブログにて「桜々の涙そうそう」というエントリーに記してある。
一部抜粋する。
2011年4月19日のことだ。

「今の私は、その人からできている。
細胞の1つ1つにまで、その人が入っている。
どんなに密接な関係よりも、私自身がその人になってしまった以上はいつもその人といられるので、むしろよっぽど幸せを感じている。
恋は自分を見て欲しいもの。あるいは愛の枠から少しはみ出しているものだと仮定しよう。
愛は相手が見ているものが自分でなくてもかまわない。同じ方向を見られることで十分幸せなもの。
はみ出したものを押し込まず、面倒くさがらず、自分の枠を大きくしようと思えるもの。
親友が「若菜が恋を求めなくなるなんてね」と笑った。
「その人との記憶をほんの少しずつ食いつぶしていけば、生きていけるんだよ」と言ったら、「めぞん一刻か!!」と突っ込まれて大笑いした。」

当時の私は、自分がめぞん一刻の彼女だとしても、めぞん一刻に出てくるあの男の子が私の前に現れることなどないと思っていた。
しかし、そこに現れたのが、以前メルマ旬報に書いた「君じゃない。」の彼だった。
出会ったその日に愛してる、などと外来語のような違和感を私に正面からぶつけてきた人。

彼は、美しい人だった。

ある日彼は、私に聞いた。
「若菜ちゃんの前の彼、死んじゃったの?」
彼はわざと全身に無垢を纏って、私にそう聞いた。
私はそれが怖い一方で、彼のことを面白い人だなぁと思った。
誰一人として、私にそれを聞く人はいなかったから。
私は聞かれるたび「わからない」と答えた。
彼は、「勝てないよぉ。彼に勝てないよぉ」とごねた後、機嫌を損ねることもなく、また外来語のような違和感のある「愛してる」で私を包んだ。

男は「包容力」を誤解している。
自分には包容力がないなどと嘆く必要も開き直る必要もない。
女は、必ずしも男の余裕や強さに包容されたいわけじゃないのだから。
無垢で優しくて弱くても、食らいついてくるような愛に包容されたような気持ちになることもある。
現に私が、私の鎧に体当たりして、鎧を割ってくる彼の姿を愛おしく思い、なのに何故か包まれて安心したような感覚を得たあの日のように。
例えにならないか。
彼の心はあまりにも大きすぎるから、私に合わせて未熟に分かりやすくぶつかってくれたのかもしれない。

彼は私を一度も疑わなかった。
決して、いなくなった友人を侮辱することもしなかったし、私に友人を忘れることを促したりもしなかった。
彼の心の奥底では、どんな感情の川が流れていたかはわからない。
でも彼は、私が宝物のように大切にしているある尊敬している友人との記憶を尊重してくれて、私の鎧が割れないことを知ると、それを纏ったままの私を丸ごと引き受けてくれた。
「かっこいい鎧着けて、お嬢さんどこいくの?」とでも言うように、彼は私の全てを肯定した。
いつしか私は、時々鎧を脱いだり、装着したり、を繰り返すようになった。
だけど決して、鎧を捨てることはできなかった。
それでもいいと、彼は言った。
私の心の奥底では、どんな感情の川が流れていたか、彼にはわからない。
お互いの川は、お互いに見えない。
私たちの繋がりは、「あなたと私には、川がある」ということを知り、それを“感じ取る”気持ちにあった。

彼が私に要求したことは一つしかない。
「そのままでいて」
それだけだった。

彼はいつも「若菜ちゃんの顔は太陽に似てる」と言った。
陰と陽なら陰。
月と太陽なら月。
私を知る人はみなそんな印象を私に持っていたから、新鮮な意見だった。
もし太陽のように見えるなら、それはある尊敬している友人が太陽みたいな人だったから、その影響が滲んでいるだけだろう。
私は、「あんなに元気じゃないよ」と言った。
すると彼は「太陽だって、いつも元気なわけじゃないよ。雲に隠れるときもあるし、沈むときは顔を真っ赤にして泣いてるように見えることだってあるでしょ。でも、太陽が笑うと、やっぱり俺は嬉しい気持ちになっちゃうんだ」と言った。
私はただ、嬉しかった。

そして彼の口癖は「守って」だった。
それは、要求ではない。
少なくとも私にとっては。
「守って」という言葉は、私にとって最上級の「許可」で、それは「次の恋をしてもいい」という許可でもあった。

余談だが、たくさんの友人から「人に対する力の貸し方が、普通じゃない」と言われる。
それは、私を讃えているわけではなく、「それが怖い」というのだ。
他人のために死んでも構わない、という覚悟が見えて「若菜が死ぬ」といつも思うのだと。
そこに異論はない。
ある尊敬している友人がいなくなってからの私は、誰かが困っていれば、友達はもちろん、ちょっとした知り合いでも飛んでいくし、震災の時は、貯金を全額寄付して一文無しになったりもした。
私の心はいつも「私の命を、誰かにあげたい」だった。
過去の記憶を食いつぶして生きている私には、「明日」はさして重要ではなかったのだろう。
偽善かもしれない。
だけど私は、貫けば、偽善もいつか善になる、と疑わない。
偽の字を死ぬまで隠せば、それは善になると思っている。
そして私は、それが自分にはできると信じている。
だから彼が、太陽に私を見立て、守って、と促してくれたことに、私は報われた。
かつてある尊敬している友人が磨いてまんまるにしてくれた「私」は、友人と一体のマルになった。
そのマルを、友人ごと包んでくれた彼がいて、私は二重マルになった。
二重マルは、天気記号では「曇り」だ。
雲隠れするように、誰に秘密を打ち明けるでもなくひっそりと彼に包まれていた私。
キラキラの太陽にはなかった雲の柔らかさを、私は愛おしく思った。
二度と恋愛などできやしないと思っていた私の元にやってきたふわふわの雲のような、天使のように美しい彼と出逢えてよかった。
一生のうちに、大恋愛を二度もした私は、満たされている。
恋愛に望むものはもうない。
だけど、もし万が一、二重マルの私をさらに包んでくれる勇者が現れたなら、その時私は、二重マルから、花マルな女になれるのかもしれない。
だけど、そんなことは求めない。
たぶん私は、世界で最高の恋愛を二度も経験できてしまったから。
それは奇跡のような経験だったから。
じゅうぶんだ。

今日も一つ、記憶を食いつぶした。
私は明日も記憶を一つ、食いつぶすだろう。
それはとても幸せなことなんだよ。

テレビから今井美樹さんのPRIDEが流れてきた。
うん、まったくそんな感じよ。
ただ二人いるけどね。
気が多くてごめんなさい。
だけど今は、二人への愛こそが、私のプライド