メルマ旬報より
笑っていいとも、終了が発表される数ヶ月前に書いた文章です



『寄り道、道草、遠回り』


金曜日の夜。
少年は、齧りつくようにしてテレビを観ていた。
電気を消した六畳の部屋で発光するテレビの中では、サングラスをかけたお洒落な中年の男が、ジャズバンドをバックに即興でスキャットを披露していた。
少年は、最初は少し小馬鹿にするように唇の左側だけをくいっと上げて笑っていたのだが、男が真剣な顔で「ピーゥ!ドゥンディディンディーン!」だなんだとあまりに潔く続けるのを観ているうちに、気づけば喰い入るようにしてテレビに集中していた。
そして男は、スキャットをやり終えると、今度はトランペットを持ち出し、頬っぺたを膨らませて、ジャズを演奏し始めた。
トランペットの音色に、少年は涙が出そうになった。
理屈じゃなかった。
しかしその演奏が終わると、少年はやっぱり我に返って、くだらないな、とまた笑うのだった。
だが少年は自分でも気づいていた。
今度は唇の両側をくいっと上げて笑っていることを。

少年は、サングラスをかけたこの男のことが好きだった。

今は月曜日の昼だった。
付けっ放しのテレビのチャンネルの「8」ボタンを押した。
男はいつものように飄々とした顔で画面に現れた。
少年にとってこのサングラスの男は“日常”だった。

少年はいつも、この男の説得力がどこからくるのか考えていた。
もしこの男が「公園とか歩いてると枯葉が落ちてるでしょ。あれを何枚か拾ってくるの。それでお茶を淹れるじゃない。これが旨いんだよ。特にモミジね。」と言ったとしたら、そうか、それは美味しいに違いない!と少年は思ってしまうに違いなかった。
この男の落語家のような声帯模写を交えて話される“文化”の話は、いつだって圧倒的で、いつだって少年が手を伸ばせば届く、日常の範囲にあった。
少年は、それが嬉しかった。
そして少年は、この男の凄さを、“文化”に徹していることだ、と定義していた。
“文明”、例を挙げるとすると政治の話をしている印象が全くない。
日本人の思想なんて簡単に覆してしまう可能性のある、唯一人の男かもしれないのに。
少年は本気でそう思っていた。
だけどテレビの中の男は、スキャットをしたり、トランペットを吹いたり、坂を歩いて「はぁー」と感心したり、ジオラマを夢中になって眺めたりしているばかりで、全然日本を変えようとはしてくれない。
だけどそれがまた、少年の目には可笑しくてかっこ良く映った。
この男について考えようとすればするほど、語ろうとすればするほど、それ自体が無粋に思えてくるのだ。
この男自身が言っている。
「一見どうでもいいことを掘り下げていくと、やっぱりどうでもいいんだよね。」
「俺のやることに意味なんかあるわけないだろ!」
適当ーー。
この言葉がよく似合うこの男のように、少年も一度でいいからなってみたかった。
少年は、考えて考えて考えすぎて生活がうまくできなくなってしまった自分に嫌気がさしていた。
寄り道、道草、遠回り。
そんなものですら、やり方が分からなくなっていた。
ー何処へも行けないや。
そう気づいてから、外の世界との繋がりはテレビだけになった。
だがやはり少年の考え癖は、治らなかった。
そんな少年にとって、この男のことを考える時だけが楽しい時間だった。
もし男に話したら、「くだらないねぇ」と一蹴されるだろうと想像するのも、また楽しかった。
ある時は考えすぎて、「もしこの男が宗教をやっていたら」と想像したりもした。
日本人の変わらない価値観、というのは、この男が創る“文化”によって形成されてる所も多分にあるんじゃないのか、と。
その文化は、まるで少年に、
ー今あるもので、世界は十分楽しめるよ
と言ってくれているようだった。

というか日本人は、知らず知らずのうちにこの宗教に入っているようなものではないのか。と。
そう考えると、男が“文明”に手を出さないことにも納得がいく。
十分なのだから。

少年は、金曜日の夜にやっている番組も、毎日やっているこの番組も好きだった。
この番組のタイトルがオープニングで表示されるたびに、少年は安堵した。
ーこんな赦し、他にないな。
少年にとってそれは、どこぞの政治家より、孤独を訴える歌手より、死んだ芸術家より、手っ取り早く、また頼もしかった。
サブリミナルというか、積み重ねというか、身近すぎて気づかなかったが、約30年毎日、最も日本人を許容してきた言葉はこれだと、少年は信じて疑わなかった。
そしてできれば少年は明日も、この言葉に触れたいと思った。
「笑っていいとも」。だってさ。
ーあなたがそう言ってくれたから、僕は笑えたんです。
といつか男に伝えたい。
それが少年の一番の夢で、二番目の夢は「へぇー。珍しい人もいるもんだね」と客席に同意を求めてもらうことだった。

そんなことを考えているうちに、番組はエンディングを迎えようとしていた。
そして男はいつものように言った。
「明日も観てくれるかな」。
テレビの前で、少年は小さな声で「いいとも」と答えてみた。
そんなレスポンスをしてしまう自分がくだらなくて、自分で自分を笑ったら、少し気が楽になった。

「やっぱり近道はないよ。真ん中の王道が近道なんだよ」。
いつだったかテレビでそう言った男に比べ、自分は、寄り道、道草、遠回りもできやしないとまた少し落ち込んだ。
だけど、少年は心から男に憧れていた。
男が芸能人を続けてくれていることがとても嬉しくて、男を毎日テレビで観られることが、少年にとって自分が生きている証明だったから。
少年は確かに、男のようには生きられないかもしれない。
それでも、やっぱり好きだと、思った。

その憧れの眼差しは、遠回りすることなく真っ直ぐに、テレビの真ん中に注がれていた。


○年後。
少年は、想像していたよりずっと狭く簡易的なセットの裏にいた。
小さなテレビモニターの中にいるサングラスの男は、あの頃と何も変わっていない。
少年は心から思っていた。
ーあなたのようにはやっぱりなれなかった。だけど、生きていて良かったな。
サングラスの男の声が確かに自分の名前を呼んだ。
「今日のゲストは、トランペット奏者のーーーー」


少年の潤む声に、男はなんと答えたか。


観客席から、笑い声が響いた。


おわり



ちなみに私の自慢は、タモリさんに「アザラシの赤ちゃんに似てて可愛いねぇ」と言われたことです。
そして、笑っていいともを録画している、結構稀な視聴者だと思います。