今日は台風で撮影がなくなった。
2011年上半期の面白いブログ、に選んでいただいたそうで、ありがとうございます。
先日、金沢に遊びに行きました。
快速や特急には乗らず、各駅停車でゆっくり電車に揺られながら、気分は日帰り一人旅行。
21世紀美術館、石浦神社、金澤神社、尾山神社、城跡公園、兼六園、109に行ってきました。
まず神社。
石浦神社は、写真を撮り忘れましたが、小さいながら開放的な場所でしたが、少しピリピリ。
ピリピリのまま次に向かった金澤神社は、金沢の地名の由来にもなった金城霊碑(通称金洗いの沢)が、明治神宮の清正井よりちょっとパワーが強くて素敵でした。
鳥居や本殿がとても美しい。
が、全然癒やし系ではなく、その厳かさに、ドキつく私。
おみくじを引いたら、石浦神社で引いたおみくじと全く同じことが「だからさっきも言ったけど」というような形で書かれていて、私思わず「ごめんなさい!」と謝った。
最後は、尾山神社。随分洋風な造りで開けた場所。鮮やかなステンドグラスがハイカラで面白い神社。
ようやく出た大吉。
大吉だけど、内容は全て一緒。
神を信じなさい。
私に背を向けないで。
共に広い花の野に出ましょう。
共に広い花の野に、ってなんだろう…
とにかく、戒めと赦しをもらった神社巡り。
自分のこと、ほっときすぎたかな。
今度神社に行ったら、自分自身のお願いごととか、してみようかな。
自分自身への言葉を神様に最後に求めたのは、20年近く前。
もう、いいかな。
私が唯一全てをさらけ出す、ある尊敬している友人が言った。
若菜ちゃん可愛い。
若菜ちゃん心配。
若菜ちゃんいい子。
若菜ちゃん大事。
そして、
若菜ちゃん、だぁい好き。
なんか、どうでも良くなった。
同性でも異性でも、好きなら「好き」くらい、言ったほうがいいね。
好き、の一言がどんなに人を生きさせるパワーを持っているか。
例えば恋愛の場合、ふられるとか、関係が壊れるとか、そんな恐怖心が、私にはいまいちよく分からない。
相手に、自分と同じレベルの好きを求めなければいいのに。
以前も書いたけれど、
例え相手が自分を忘れるくらい遠くに行ってしまっても、
見返りを求めなければ何も怖くないのに。
相手の幸せが、例え自分と繋がっていなくても、
幸せそうな相手の顔が想像できたらそれで十分なのに。
愛されたい気持ちが、愛しちゃった、に負けるのは、
相手より自分が可愛いから。
ま。
自分が可愛い、って、とても素敵なことだけどね。
私だって、人として女として芸能人として、どんな形でも「好き」って言われるとデレデレ~ってなるし。
求めてない分、余計にデレデレ~ってなっている気さえする。
言おうよ。
好き、くらい。
なんにも失ったりしないから。
○○がいかに好きか、いかに素敵かを伝えるために、
××なんかより○○のほうが、
なんて言い方はしちゃいけないよ。
何かと比較をしたり、何かを犠牲にして伝える何かの魅力は、ただの自己満足です。
だぁい好き
そんな単純なのが、もらえる立場のほうだって、嬉しいでしょう?
我思う。
神社の話、いずこやら。