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映画の撮影で韓国に行っていました。
滞在は一週間でしたが、感覚的には、長~い一日、という感じ。
それ位、集中できた撮影でした。
現場のスタッフは、監督以外、ほぼ現地のかた。
撮影スタッフさんとヘアさんは全員韓国のかたでしたね。

猟奇的な彼女とか、有名な作品に携っていたかたばかりでしたし、韓国の撮影は過酷だと聞いていたので、ドキドキしながら始まった撮影。

蓋を開けたら、面白いほどスムーズで、また、カメラマンさんはカメラマンさんの顔、音声さんは音声さんの顔、という、万国共通の空気感に何故か感慨深い思いを抱いたりしました。

海外でのお芝居は、香港、上海、タイに続いて四度目でしたが、過酷さでいえば香港がぶっちぎりでハチャメチャでした。無問題2ね。
ま、日本でも、スムーズな現場もそうでない現場もあるので、一概には言えませんが。

とかく今回は、非常にやりやすい現場でした。

監督も、その場でガンガン台詞を追加してきたりするのですが、全く戸惑わなかった。
むしろ、言いたい追加台詞ばかりだった。
気持ちは一つだったんだなぁ
と監督が笑った。

演出される芝居が、やりたい芝居。

久しぶりに開放された気持ちになりました。


撮影半ばのある日。
朝、私のラストシーンにあたる場面の撮影がありました。
今回は、20代から40代後半まで、長い年月を短い期間で一人で演じさせていただいたので、ラストは勿論40代の女性になるわけですが、わたし、撮影中に、20年の彼女の歴史が突然走馬灯のように甦ってきてしまい、カメラも回ってないのに朝から大号泣をかましてしまいました。
カメラが回っている時は泣くのを堪えて、カットがかかればまた大号泣の続き。
本番だけ泣くのを我慢するなんて、おかしな話だ。
だけど一向に泣きやめない。
監督に「え!まだおさまらないの!」と二度見されるくらい長い時間大号泣。
あんまり泣くもんだから、子供みたいに「あ、あの、ね、だだだ、だってね」としゃくりあげて喋れなくなってしまいました。

16年この仕事をしていて、こんなのは初めてのこと。

我慢は私の得意技。
仕事場はもちろん、プライベートでも親兄弟や友達にも泣き姿は見せたことはありません。
人前でここまで泣いたのは、ある尊敬している友人の前でだけ。
なのに、


超剥き出し。


だけど、その時もその後も、何人もの韓国のスタッフさんや共演者のかたが個別でわざわざ私のところへやってきてくれて、
なんて魅力的なの、
とか、
感動した、
と韓国語や片言の日本語で伝えてくれた。

嬉しかった。


そのシーンの撮影は午前中で終了。
午後は30代バージョンの撮影だったので、時間を巻き戻すために気持ちを切り替え、お昼ご飯を食べていたら、酒井さん、40代の役の積年の想いがまた溢れてきて、堪えきれずにキムチ食べながらまた泣いた。

メイクを30代に戻したところで、ようやく落ち着く私。
が、午後のシーンも重かったので、共演者のかたはみんなで楽しくお喋りしているのに、一人カメラが回る前からまた泣く私。
また本番だけ我慢。
どういうこっちゃ。
目、真っ赤。

スタッフさんは朝の異常な私を見てるので、また目が真っ赤になってる私にアイコンタクトでドンマイを伝えてくれる。
ありがたかった。

その日の撮影が終わり、ホテルへの帰り。
明日撮影するシーンがこの映画全体のピークにあたる重要なシーンだったので、そのシーンのことを考えていたら、車内でまた泣いた。

ホテルに帰ったら帰ったで、今日のシーンを思い出し泣き、お風呂に入って明日の撮影のセリフを言いながらまた泣き、パックをしながら泣き、ストレッチをしながら泣き、ベッドに入って泣きながら寝た。
うん、泣きすぎ。

翌日。

目、
パァーーンッ!!

腫れてる…

大事なシーンなのに。
キャストが揃う貴重な一日の日なのに。

よし、今回は気丈な女性の役だし、いくら本番だけ我慢できたところで、本番で目が真っ赤じゃいかん。
これは、テストは八分位で、本番に照準を合わせる方向にするっきゃない。

そしてテスト。



いかーんっ!

…泣いてしまう。

必死に集中力を散漫させて、愉快で素敵な共演者の皆さんの輪に入るよう心がけた。
おかげで前日よりは泣き通しな一日にならず、何とか乗り切る。

が、それでも泣いたは泣いたので、翌日の最終日も、

目、
パァーーンッ!!

一緒のシーンを撮影した娘役の子には申し訳ないけれど、もう割り切って本番だけセリフを心の真ん中に置かせてもらった。
今回娘役の子は、幼少期から成人まで3人いらして皆さん素敵だったのだけれど、その時一緒に撮影し子はまだ実年齢11歳なのだが、彼女はどう映りたいとか目立ちたいとかより、心で演じてくる子なので、例え自分が考えてきたプランと相手役の私が違う演技をしても、何せ心で演じてくるので本能であっさり芝居を変え魅せてくる。
やりたい芝居が相手役や監督と合わなかった時、やりたい芝居を貫いたらただチグハグで間抜けなシーンになってしまうことを本能で知っているのかもしれない。
私は個人的に、妥協点を見つけるのが大嫌いだ。
無駄の極みとすら思っている。
そういう意味では、今回監督との間に妥協点は不要だったし、娘役の彼女の俳優としての包容力に甘えさせていただけたのは、とても幸福なことだった。

ラスト3日、なんだかんだ結局泣きっぱなしだった私。

だけど、終わったときには随分すっきりとしていた。

女優でいたい、と久しぶりに思った。


最初に大号泣をかました日。
声をかけてくれたスタッフの一人にとても可愛らしい女の子がいた。
彼女は、無様に泣き喚く私の姿を見て、「あなたのファンになりました」
とわざわざ通訳さんを連れてきて言ってくれた。
韓国ロケが終わって、ロケセットを出るとき、彼女は私に
「サミシイデス」
と日本語で言った。

両手を広げたら、彼女の小さな体が私の腕の中にキレイにおさまって、その瞬間、

私が欲しかったのは、これだ

と思った。

See you again
彼女が発した誰にでも伝わる初歩的な英語に、私は胸を打たれた。

彼女と別れ、セットから離れた私の背中越しに「イカナイデー」と彼女の声が聞こえた。
それがとても嬉しく、とても寂しく。


バカになれ、
もっと鈍感になれ、
と自分にずっと呪文をかけていたこの二年。
最近は特にバカになるように言い聞かせていた。
バカにでもならないと仕事がやってられなくなると思っていたし、事実、そうならざるを得ない環境に立つ機会が多々あったから、そういう時もし私が私の本質に従順になっていたら、きっと今頃は仕事ができない精神状態になっていただろう。
必要なおバカさと鈍感さだったと、ブレずに思える。
だけど、女優業なんて、そもそも思い込みが仕事。
思い込みのプロなのだ。
いつの間にか本当におバカになってきてしまった。
だけど、女優業は感情の仕事。
鈍感にはなりきれない。

今回、押し殺していた敏感さが、表に出た。
異国の地がそうさせたのは言わずもがな。
旅の恥はかき捨て、とはよく言ったものだ。
日本だったら、私はきっと号泣などせず、おバカなふりして我慢しただろう(まぁ韓国でも基本はバカ話ばかりしていたが…)。

いや、かき捨てた恥ではないね。

泣かなきゃ、というプレッシャーもなく、泣かなくていいところで泣いてしまう、だなんて、脚本、監督、環境の三拍子が揃った素晴らしい作品じゃないか。

正直、号泣した瞬間まで、自分自身こんなにも感情が揺り動かされるなんて、思いもしなかった。
驚いた。


良い経験をした。


日本パートの撮影もまだ残っているけれど、今私は、とても清々しい気持ちでいっぱいだ。

新しい作品も2つ待っている。
「それでも、生きてゆく」から、四作の脚本が手元にあったから、ずいぶん戸惑ったりもしたけれど、このタイミングでヘトヘトになる韓国ロケがあって本当に良かった。
日本ではまた、きっとおバカで我慢上手な自分に戻るのだろうから。
分からないけれど。
うん、戻らないかもしれない。
いや、戻るな。
どっちでもいいや。
今年の目標は、
自由、解き放ち
そして
本能を少し優先させる
とたびたびブログに書いてきた。
8月にして実現できてきた。
今後は我慢でも良い。
何を選ぶかは本能に任せよう。


映画が公開されたらぜひ観ていただきたい。
関係ないところで、私、目が真っ赤だから(笑)


昨日、朝の9時にホテルを出て、夜の9時前に家に着いた。
ソウルからはほど遠い田舎町での撮影だったということをお察しいただけるだろうか。
そりゃ、没頭もしますわ。
まあでもおかげで、ブランド物に手を出さずに済んだぜぃ。


皆さんお元気ですか

私は元気です

サランヘヨ


ごきげんよう


















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