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「酒井って、楽しいな、って思うことあるの?」
そう先輩に聞かれたとき、私は答えに困って、聞き返した。
「なんでそんなこと聞くんですか?」
先輩は言った。
「だって酒井の楽しそうな姿、見たことないから。なのに何で笑うんだよ」
私は、あー、と曖昧な返事をした。


それよりもっと前、グラビアをやっていたとき、某著名人が、私をこう評した。
「酒井若菜は笑顔が印象的だというけれど、彼女ほど笑顔のカットが少ないグラビアアイドルはいない。私は、酒井若菜のグラビアをみるたびに、本来豊かな自然の中で咲くべき大輪の花を、無理矢理摘み取って、都会という名の花瓶に押し込んでいるような複雑な気持ちになってしまう。だから、彼女が笑うと、安心するのだ」


こんなことを言われたこともある。
「笑わないで。悲しくなる」


また一方で、あまりに笑わなかった高校生時分、テレビを見て思わず笑った私をみて、「若菜が笑った」と母が泣いたことがあった。


全部過去の私。
今の私は、心から笑うことが増えた。
ついでに、楽しいのか分からないときも、上手く笑うようになった。


先日、佐津川愛美ちゃんとお茶と買い物をした。
彼女は、初めての自分へのご褒美はmiumiuのパンプスと決めていたそうなのだが(実は私もそうだった)、自分に厳しい愛美はなかなかご褒美をあげるきっかけが見つからないようだった。
そんなわけで軽い気持ちでmiumiuに入ってしまったが最後、ものの数秒で一目惚れをして何故か私がお買い上げ。
数分後、愛美お揃いお買い上げ。
普段の愛美なら選ばないようなイカレたパンプスを「姉さんとお揃い」と初ご褒美にした愛美。
きゃわゆい。
できることなら愛美ごとお買い上げしたかった・・・

彼女は昔の私とよく似ている。
いつもどこか悲しくて、体中がすり傷だらけなイメージ。
大人たちは「かすり傷でしょ、大したことない」と言うばかりだけど、すり傷って、風が当たるだけでもヒリヒリするし、勝手に涙が出ちゃったりするものでしょ。
私は「かすり傷、なんて、大したことない、なんて、そんなの分かってるよ」と大人や友達に壁を作っていた。
そんなとき、温かい先輩達に出会って、救われた。
彼女も最初は私に壁を作っていた。だから私は土足で踏み込んだ。
方法が分からなかったから、とにかくズカズカ踏み込んだ。
そんな私を、彼女は当時不審に思ってスタッフに相談していたらしいが(笑)、今では困ったときには「姉さ~ん」と電話やメールをくれる。miumiuの店員さんにも「姉妹ですか?」と聞かれたくらい、私達の姉妹感には説得力がある(写真もポーズが自然と鏡)。
何に対しても誠実な彼女は、嘘をつかない。嘘をつくなら、すっと下がるような子。
だから傷つきやすいのだろう。
だけど、私は思う。

私には、別に嘘くらいついてもかまわないのにな、と。
愛美の嘘くらい、見つけられる。
それに、必ず許せるから。

夜、愛美が知り合いに飲みに誘われた。
私は次の約束まで時間があったので、保護者気分でついていくことに。
すると、初めましてのかたもいたけれど、まぁ知っている顔のオンパレード。
とても嬉しかった。
写真でも分かる通り、酒井さん、あっさり酔っ払い。
もれなく朝までいってしまいました。
あげく、店の前に愛美を置き去りにして、タクシーに乗ってとっとと1人、帰ってしまったらしい・・・

記憶、行方不明。

ドンマイ。

いや、ほんっとにごめん、愛美さん。


久しぶりに友達の滝沢沙織ちゃんにも会えた。
さおりちゃんとは結構長い付き合いなのだけど、ブログ初登場かな?
愛美の話をさおりちゃんと聞いていた。
愛美のキレイすぎる心を感じて、私と同世代のさおりちゃんと一緒に「うちら、何かを失くしちゃったね」と実感した。
さおりちゃんは「でも、単純になっていく、っていうか別の意味で(心が)キレイになっていくよね」と言った。
やっぱり、大人になるって純粋になっていくことで合っているかもしれないと、私は心密かに思った。

洗濯も、選択もできるようになってゆくの。

22才の愛美が持っているものを、私達(いやさおりちゃんは昔と変わらない、というか変わる必要のない良い子だから、持ち続けているかもだけれど)、少なくとも私は持っていない。
生きやすさと引き換えに、たくさんのものを失くしてしまった。
だけど、失くした代わりに得た生きやすさのピースはとてつもなく素晴らしいものばかりで、それは言葉では説明できない。
だからさおりちゃんも私も「何を」失くしたかについては触れなかった。そこはまるで問題ではないから。

ある人の適当さともズルさとも、あるいはスマートさともとれる話をしているとき愛美が呟いた。

「大人って、そういうもの?」

22才の質問に、30才の私は何と答えるべきだったのか。
分からない。
8年後に、彼女がその質問にどう答える大人になっているのか。
それが楽しみだ。

私は、22才時分には想像もできなかったような強烈な経験を24才の時にした。
立ち直ったのは27~8才。時間がかかった。
二度と経験したくないこと。
だけど、「桜々の涙そうそう」「優しさについて考えるとき」など、何十回もこのブログに登場しているある尊敬している友人と出逢えたのはその経験のおかげ。
もう一度その人に出逢えるのなら、私はどんな経験をしたって構わないとすら思う。
それ位強烈な出逢いだった。

どんなことが起こっても、必ず報われる。
必ずだ。

それだけは、今は忘れてていいから、いつか思い出してほしい。


そ、れ、で。
関係ないけど、ブラックスワンを観た。
この映画を観た数人から「辛い」「抉られた」「若菜は1人で見ないほうがいい」と言われていたのだけれど、時間が合ったので、1人で観に行った。

意外にも、満たされてしまった。

スキップをして帰りたいくらいだった。
失くした「何か」のスペースの1つにすぽっと嵌った感じがしたのだ。
満たされた。
嬉しかった。
幸せ。
もう、超幸せ。
「ハッピーエンドにもほどがある」と、友達に感想を伝えたら、とてもひいていた。
ドーンとひかれて気がついた。
確かに、上映が終わったあと、お客さんもみんな「ツラ・・」「キツ・・」と言っていた。
うーん。職業病かな?
ま、いっか。

いずれにせよ、ナタリーポートマンは、アカデミー主演女優に選ばれない理由がないと思った。

私も役によって解き放たれたい。
心から思った。


関係ないが、思い出した。
私は以前、ブラックスワンに出ているヴァンサン・カッセル氏と、ジャン・レノ氏と3人で同じ控え室になったことがある。

あれは一体、何だったのだろう。

シュールすぎる。

今思い出しても、なかなか面白い絵面だ。

ヴァンサンカッセルさん、ありえないくらい紳士的で、私に椅子を出してくれたり、手をとって歩いてくれたりしたのだけれど、子供だった私は、住む世界の違う王子様に姫扱いをされているようで居心地が悪く、とても恥ずかしかったことを、よく憶えている。


ん?
なんだかよく分からない内容になってしまった。

ま、いっか。

ワンピース、62巻のカバーは外したの?
私、61巻まで一度も外さなかったのに、たまたま今回外してほっこりしたわよ、ほんとにもう。


日常に笑顔になれるきっかけはたくさんある。

桜が散る頃、お隣りの奥さんに、
「桜が散る。悲しい」
と話したら、
「みんな散った後、八重桜が咲くじゃない」
と答えが帰ってきた。

私の八重桜は何だろう。
この1ヶ月、とにかく外に出た。
「あの人」がいなくなってしまった今、徹底的に出会いと再会を求めた。
結果、ただの酔っ払い。
残ったのは、やっぱりその人への感謝だった。
だけど、新たに出会えた人やあらためて再会できた人がいることは、八重桜ではなくても、私にとって5月の花のように、日々を彩ってくれた。
それは、私が進んだ証。
ありがたい。


来年の春、私は笑って桜を見ることができるだろう。


長いなぁ…
今日のブログ。


ブログで本音を理屈で押さえつけて書くことが、私にとって一番自由を感じ、また楽しい時でもあるのかもしれない。


そして、つくづく思うのだ。


何でハリウッドスターとおんなじ控え室ッ!?


と。
暖かい日々を


ごきげんよう