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桜が好き。

私の全てを変えた人がいる。
私は「その人になりたい」と、ずっと思っていた。
何年も前から、ずっとずっと。

去年の秋だか冬だかに、もうすぐその人がいなくなることを知った。
大事な大事なその人がいなくなることを、私は受け止めきれず、何故だかハハハと笑った。

それから少しずついなくなることに慣れさせていったのだけど「やっぱり無理かもね」と思った頃と、いよいよいなくなる時とが重なった。
私は何故だか、またハハハと笑った。

「いなくなるわけじゃないから」とその人もハハハと笑った。
一生守ってあげる、と。

私は「桜が咲く頃、実感するだろう」と思っていた。
桜には思いが強すぎるから。
2月だったか、雪が降ったことを桜と間違えてひやりとした、とブログに書いたのは、こういう経緯から。空っぽブログが続いていたあの頃ね。

恋なら良かったのかな。と思ったりもした。失恋なら、しっかり傷がつく。
ただ、とっくに恋を越えたところにたどり着いてしまった私達は、元恋人でも友人でもない「同志」になった。

私はとにかく、その人になりたかった。
その人が生きていさえすればいいと、思っていた。

傷つくたびに、守られた。
すでに何年も会っていない。
でも、心の「最初」にはいつもその人がいて、私はいつだって、その人の圧倒的な「優しさ」に包まれていた。

ここまで人を愛することなど、もうきっとないだろうとすら思うほど、あまりにもスペシャルな人。

いなくなって間もなくのある日。
キッチンでキャベツの千切りをしていたら、ふとあることに気がついてしまった。
左手に包丁、右手にキャベツ。
そのままの姿勢で、その人の名前を何度も呼んだ。
いつもあだ名で呼んでいたけれど、その時は、出会った頃の呼びかたで、何度も何度も名前を呼んだ。
私が泣けるようになったきっかけを作ってくれた人。泣いたら必ず守ってくれたから、おかげで私は泣き虫になってしまったよ。
泣いているのに、声が返ってこない。
話が違う。
私はとても、悲しかった。

3月始め。
親友と会って、その話をした。
昔話でもするように、私は軽い調子で話していた。
「そんでね、キャベツをワシャワシャ切ってたの。そしたらさ、ふと気がついたわけよ。…あの」
「うん」
「…あの」
「うん」
あの・・・
言葉に詰まった。

「違ってた、って」

と、言葉を繋いだ。
「うん」
「あのね」
「うん」
「みんなに優しい人だから、気づかなかったの」
「うん」
「でも、そうじゃなかった」
「うん」
「気がついたんだ」
「…」

「私、愛されてたんだ、って」

親友は何も言わず、頷いて涙を落とした。
2人で泣いた。
ごめんね、って言ったら、いいよ、と返ってきた。

私がどうしてこんなにその人を愛していたのか。

答えは簡単だった。
それは、こんなにも優しく暖かく、人に愛されたことがなかったから。

愛されかたを、私は知らなかった。
愛されることを求めてこなかったからかもしれない。
少なくともあんなに大きな愛で、くるまれたことがなかった。
何年も何年も、あたため続けてもらえたことが、なかった。

私にとってスペシャルなその人。

だけど、その人にとってスペシャルだったのは、まさに「私」だったんだ。

私もその人を、守れていたんだ。

「今頃気がついちゃった」

そう言って、今度はハハハと笑った。


桜が咲いた頃、実感した。
「いなくなるわけじゃないから」
その人の言葉通りになった。
私は今も、その人に守られている。
愛されている。
私の中に、ちゃんといる。

その人になりたい。

そう願い続けていた私の夢が、叶っている。

今の私は、その人からできている。

細胞の1つ1つにまで、その人が入っている。

どんなに密接な関係よりも、私自身がその人になってしまった以上はいつもその人といられるので、むしろよっぽど幸せを感じている。

恋は自分を見て欲しいもの。あるいは愛の枠から少しはみ出しているものだと仮定しよう。
愛は相手が見ているものが自分でなくてもかまわない。同じ方向を見られることで十分幸せなもの。
はみ出したものを押し込まず、面倒くさがらず、自分の枠を大きくしようと思えるもの。

親友が「若菜が恋を求めなくなるなんてね」と笑った。

「その人との記憶をほんの少しずつ食いつぶしていけば、生きていけるんだよ」

と言ったら、「めぞん一刻か!!」と突っ込まれて大笑いした。

いつだったか、目黒川の桜をその人と見たことがあった。
嬉しかったことを、今もよく憶えている。
大切な、記憶。

昨夜、凄まじい雨を見て「まだ、桜、ほとんど見てないから散らないで」と願いつつ、一方で、桜見を避けていた自分を軽く呪って、やけ酒なんて性に合わないことをしてしまった。

今日目黒川の近くに住む知人に、桜の調子はどうだいと訊ねたら、もうほぼ散ってしまったと聞いて、心が沈んだ。
と思っていたら「去年のだけど」と言って、目黒川に咲く桜の写真を送ってくれた。
見た瞬間に、うるるるる、ときてしまって、ずいぶん困った。
幸せなうるるるる、だ。

今日も一つ、記憶を食いつぶした。
私は明日も、記憶を少し食いつぶす。

それはとても、幸福なことなんだよ。

もう会えないけれど、その人は、むしろどっしりと私の中にいる。
だからもうブレない。
だいじょうぶ。

それに、いなくなることに怯えていた私に、その人は
「ちょっと先なら分かるかもしれないけれど、ずっと先のことなんか、どうなるか分からないよ」
と言ってくれた。

未来に絶望はできない。
ハハハ。
そうだった。
私が言ったんだった。

私は、悩みや悲しみは、終わったことしかブログに書かない。

意味、分かるよね。


今日は一人、祝杯をあげよう。


その人への感謝と愛を込めて


なんてね。
フィクションだったりして。
真実か否か、判断は委ねます。


私は元気です
コーラと間違えて醤油を飲んでしまってちょっと落ち込んだくらい。

ドンマイ


ごきげんよう