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秋感たっぷりの写真ですがあしからず。

2010年が終わります。

今年は、仕事的にはほぼ全て、演じた役が結婚経験者、母親の役でした。
プライベートでは、出会いや再会に恵まれました。
一方で、いくつかの別れもありました。

たくさんの人とたくさんの「ありがとう」を交わした。

「生きていてくれて良かった」。

人に対しそう思うことがたくさんあった2010年。
思えば今年は、人のことばかり考えていた気がする。
心配で心配でたまらなかった。
人に夢中で、自分を置いてけぼりにしてしまっていることにも心の隅っこでは気づいていたけれど、自分にかまう余裕はなかった。
だけど、そのつど誰かからの「ありがとう」が“私”を呼び戻してくれた。
良く言えば、理想の自分。悪く言えば、は…ま、いっか。
いずれにせよ、全うはしたと思う。
すごく充実した一年でした。
良い年だったナ。

来年は少し、自分の本能を優先させるよう心がけよう。

ちゃんと、メッセージも読んでるからね。苦しみも虚しさも、楽しさも喜びも届いているよ。
ありがとうね。

今年、あまりにも不幸だった友人が言いました。
「今は何やってても幸せ!」
と。奈落の底に突き落とされ、出口がまるで見えず、真っ暗闇、どん底から這い上がった友人の勇敢な姿を、私は一生忘れません。
不幸を経験し、立ち上がった人は、幸せをきちんと主張するよ。
それは、幸せを見つけなきゃ生きられないくらい、ツラい思いをしたということ。
私はそう思う。
そして私は、その友人をこれからも疑わない。
相手がどう思っていようが、私にとってはとてもとても、大事な宝物だから。

人間不信。
人を信じられないって、悩みとして本来成立しがたいものではないでしょうか。
単純に、信じたい、の裏返し。
悪いことではない。
信じる、は、疑い、から派生した言葉。
ならば信じる努力をやめたらいい。
その前に疑わなければいいのだから。
それが無理でも、別に人を信じる必要なんてないよ。
信じた先にあるのは期待です。期待が外れたら裏切りと転換してまた傷つく。
そんなのもったいない。純粋で、個人的には嫌いじゃないけれど。
でも、人間不信と悩むのは、自分が相手を信じられないわけじゃないと思います。
相手が自分を信じているか、不安なんだ。
ペットに無償の愛を捧げることが怖くないのと一緒。ペットは自分を疑わないから「ペット不信」にはならないの。

人を信じられないと嘆くより、
大切なのは、
自分が相手を大事に思えているかどうか。

例え相手が、自分を忘れるくらい遠くにいってしまってもね。
幸せならそれでいい。
見返りを求めなければ、なぁんも怖くないよ。

話が、すんんんごい脱線したね。
スミマセン。

皆様どうぞ、一年間頑張った自分を褒めてさしあげてください。
もう、自分をけなさなくていいよ。
新たな気持ちで新年を迎えたれ。
来年は、絶対楽しいよ!

そして、本年もたくさんの応援、ありがとうございました。
私はとても幸せです。
来年も頑張りますので、引き続き応援のほどよろしくお願い申し上げます。

皆様にとって、来年が良き一年でありますように
ついでに私も

お疲れ様!

良いお年を


ごきげんよう