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先日、六本木にゴッホ展を観に行きました。
とっても面白かったです。
ゴッホがいかにしてゴッホになったか、というようなことをテーマにした美術展。
ゴッホだけではなく、彼が影響を受けた画家達の名画もともに飾られているので、ゴッホの作品盛りだくさんな印象ではありませんでしたが、それでも有名な自画像やアルルの寝室などが観られた幸福感ったらそれはそれはなものでした。
そして「サン・レミの療養院の庭」を始めいくつかの作品は、直接観て初めて感じられるだろう衝撃があり、本当に観に行って良かったと感激しました。
ゴッホ以外には、ミレーやモネ、そしてゴーギャン、更には浮世絵まで展示されていて、その豪華さに私、軽くパニックになってしまいました。

日本人が最も好きな画家、と言ってまず間違いないであろうゴッホですが、以前も書いた通り、私は「ゴッホが好き」と言う人で、絵画に造詣が深い人をあまり見たことがありません。
なので「ゴーギャンと暮らしてたからね」と言われると「2ヶ月ね」と付け足したくなってしまうし、「生きているうちに1枚しか売れなかったんだよ」と言われると「10年しか画家やってないからね」と要らぬ知識を押し付けて相手を不快にさせてしまう。
なので、私はゴッホの話が出るとここ数年はだんまりを決め込んでいるのですが、そういう意味では私も「本当のゴッホは」と言いたい、にわかファンなのでしょう。
でも「なんとなくゴッホって言っちゃってる感」を相手や自分から受け取ってしまうことにどうしようもない虚しさを感じてしまうのです。
そしてゴッホ以外を知らないどなたかが当たり前のように「一番好き」と言う、とりあえずゴッホって言えば間違いないという感じがなんだか怖くすら感じるようになっていたのですが、今回痛感したことがありました。

「なんとなく」で愛されるってすごい!と。
元々私は、どのジャンルにおいてもマニアックなものにはほとんど興味がなく、大衆の支持を得るような王道さが好きなので、そうなると当然ゴッホが嫌いなわけがないのですが、どちらかといえば弟のテオのほうに興味がありました。
でもテオが好きだという気質が私にある以上、ゴッホのような天才性に憧れるのは必然なのかもしれません。
たぶん私、ゴッホ好き。
時々「若菜ちゃんって美術館とかよく行ってるけど、芸術とか分かるの?」という質問を頂くのですが、私はね、全く分かりません。
恥ずかしいくらい、全く。
「絵が上手で良いなぁ」とか「きれいな色だなぁ」とか、そんな程度です。
タッチとか、構図とか、技術的なことはさっぱり。
何だか全然理解できないけど、心臓がキューってする。
そんな感じが良い。
ひょっとすると一番理想的な鑑賞のしかたなのかも。
なんて自分を認めたら、途端にもう一方の自分が押し出されました。
みんなもきっとそう思ってるだけなのかもしれないのに、私はなんて意地の悪い考えをしていたんだと。

カリスマというのは「この人の凄さを本当に分かることができるのは自分だ」と万人に思わせることのできる人、と私は思うのですが、まさにゴッホというのはそんな存在なのではないかしら。
す、すごいぞゴッホ。
それなのに、私はゴッホファンのかたに対してなんて失礼な印象を持っていたのだ。
歪んでいる。
私のバカ(号泣)!

と、こんな話を友人にしたら、一言いただきました。

「で?」

泡を食ったが仰る通り。
とにかくね、
美術の知識があるかたにはもちろん、ないかたにもグッとこさせるって、すごいですよね。
理屈じゃない。
私の無知さもなかなかのものですが、時々ね、ゴッホじゃなくても、さっぱり理解できないはずの絵に泣かされることあるもの。
それができるってすごいんだよきっと、その絵描きさん。

もし「あなたが思う芸術って何ですか」と聞かれたら、私はこう答えようと思う。

さっぱり分からない。
だけど、時々グッと本能に効いちゃうもの。

と。
それくらいがいいよね。
芸術なんて、理解できちゃったら苦しそうだもの。

ゴッホ展の感想。

すごい絵が上手だったよ。

これが言いたかった。

続く。