酒井若菜オフィシャルブログ「ネオン堂」Powered by Ameba-100614_0139~01.jpg


先日、龍馬伝は長次郎さんの回の台本が手元に届きました。
表紙に書かれたその回のタイトルを読んだ時点で号泣。
ページを捲っては号泣、号泣。
そして、マザーの最終回の台本も出来上がりました。
号泣、号泣、号泣。
これ以上泣けない、と思いながら先週の放送を観た私。
凄まじい展開に「わあーん!!」と声を出して泣きました。
泣いてばかりでぐったりですが、悪くないぐったり感です。二つの作品から解き放たれたとき、緊張の糸がほぐれて体調を崩したりせぬよう気をつけなければ。
両作品ともに終わりが見えてきました。
あと一息。
頑張ります。

ワールドカップ。
面白いですね。
昨夜も朝5時半まで見てしまいました。
昨日は、アイスの「白くま」を食べながら観ていました。
白くま。
そういえば私は4年前も、白くまを食べながらワールドカップを観ていました。
4年前といえば、私は療養中の身だったわけですから、私が一人、ある場所で休養していた頃の話です。
ある日。ある場所がどこなのかを唯一知っていた友達が「一緒にワールドカップ観よう」と言って、白くまを持ってきてくれました。
嬉しかったんだ。
一緒にアイス食べて「行け行けー」って応援して。
白くまの練乳の固まりを見つけてニンマリして。
普通の生活にある光景が、こんなに愛しく思えたことがあったかしら。
明日やあさって、来週来月来年と、先のことばかりを考えては不安になっていた当時の私が、「今」を楽しめた貴重な瞬間でした。
だから嬉しかった。
そして4年後の今、こうして元気いっぱいな毎日を過ごし、当たり前に白くまを食べながらワールドカップを観ているだなんて、当時の自分からはとてもじゃないけれど想像できませんでした。
今、嬉しい。
私、今が、嬉しいです。
4年前、白くまを持ってきてくれた友達は、私に色々なことを教えてくれました。
内容は主に、夢、希望、優しさについてでした。

それから数年後。ある先輩に悩み相談をしました。
その人は「現実をみろ」と言います。
現実を受け止めることからでしか、道は開けないと。
私は「この人は、現実を見られないんだな」と思いました。
だから「現実をみろ」とあらためて言うのだと。
直後、その人はあることで追い込まれました。
現実なんてみていませんでした。
一方白くまのお友達。
その友人もあることで追い込まれたことがありました。
現実を、捉えていました。
その上で、変わらず夢だ希望だを言葉にしました。
現実が見えているから、夢や希望を大切にできるのだと思いました。
「現実をみろ」という言葉は、場合によっては人を傷つけます。
そして「私は現実の痛みを知りません」と言っているように見えてしまうこともしばしば。
だけど皮肉なのは、裏を返せば、痛みを知るのは現実が見えてしまったとき、とも言えるのかしら、ということ。そう考えると、現実って・・・とも思えなくもありません。が、ある意味では、噂話や憶測が、いかに陳腐かと思い直せるいい機会です。

白くまの友達に、思い出を含めてこの話をしました。
友人は言いました。
「ところで。現実をみていなかった人が挫折したとき、あなたは『現実をみろ』ってよく言わなかったね」
「…うん」
心の中で、あの時私は言ったんです。
あなたこそ、現実をみろ、と。
友人は言いました。
「悔しかっただろうなぁ。でもそこで『現実をみろ』って言わず、よく耐えたねー」
「…でも心では思った。ざまをみろと思ってた…」
「だから後半は話を正当化させようとしてたのか。あっははは」
「私は成長してないのかな」
「その時『現実をみろ』と仕返ししなかったんでしょ?」
「うん」
「その日、成長したんじゃないかな。今も、ゆっくりしてるんだよ。すぐになんて無理だもの。先輩に感謝すりゃいい。成長させてくれてありがとうって」
「うん」
「若菜ちゃんは自分と同じ嫌な思いをさせなかった。心の中で何を思っていたとしても、言わなかった。それを誇りに思っておけばいい。言わなかったんだ。」
そして、言いました。

「それが大事」

予定調和な失敗などありません。
あっても自分を傷つけるだけだと思います。
私は「ほら失敗した」よりも「失敗した!でもまだまだ成長できるってことだ!」のほうが好き。
本音で語り合うことが全てじゃない。
自己満足や独善で終わることのほうが多い気がします。
言わない優しさ、ぶつけない強さ、こんな形があってもいい。
それが上っ面なら、上っ面のほうがいい。
綺麗事ならキレイ。
よく「心を開いて」と言われます。
そうね
いつかね
まだ私の本音は人を傷つけるから
人を傷つけないような心が持てたときまで本音はとっておきたいのよ
上っ面でも、何も考えてない上っ面ではない
心を込めた上っ面
本音で傷つけるよりはずっといい
ちょっとずつ上っ面が染み込んで、本音が優しくなるのを待っている時間は、なんだかワクワクするものです。
まぁ私には、本音で話せる友人が少なくとも二人はいるからこんなこと言えるのかもしれませんけれど。
それに私、当たり屋みたいなところがあるので「ブチッ」となったらまず止まらないんですけれど(汗)。

皆さんは、
傷つけない上っ面

傷つける本音
どちらが好きですか?

私は、傷つけない本音がいいです(ずるぃっ!)笑

ってか、現実=暗いと表現されるのが変だ。
暗いのは、現実じゃなくて気持ち。
空や海や言葉に救われたときも「これが現実だ」と言えたら、きっと良い。

明日も良き一日を


ごきげんよう