酒井若菜オフィシャルブログ「ネオン堂」Powered by Ameba-100510_2232~01.jpg

酒井若菜オフィシャルブログ「ネオン堂」Powered by Ameba-100512_1606~01.jpg


今日家に帰ったら、お花が崩れていました。
二日前に我が家に来たばかりなのに…。
花びらの落ちた様がとても儚くて、それがまた美しくて、その「妙」にしばし見とれてしまいました。
そして変わらず、ブログのメッセージには悩み相談がたくさん。
皆さんからのメッセージ面白いですよ。
悩みがくることに関して
「私のも聞いてください」というかた。
「みんなの力になってあげて」というかた。
「悩み相談が多くて若菜ちゃんが疲れないか心配」というかた。
「悩み相談が多くて若菜ちゃんが疲れないか心配。でも私のも聞いてほしい」というかた。
疲れている前提でアドバイスをしてくださるかた。
ただひたすらに応援してくださるかた。
さまざまな人間性が出ていて面白いです。
私ね、疲れないよ。だいじょうぶだよ。
ありがとう。
ただ、全部の相談にのることができないのが本当に申し訳ないです。
あるかたからのメッセージで思い出したのですが、前にね、コメントを公開していた頃、その頃も悩み相談が多くて、それに対して読者の一人のかたが「若菜ちゃんの負担になるから、もう相談するのやめようよ」って書き込みをしてくださったんです。そうしたら、他のかたも徐々に「そうだね、やめよ」「うん、私ももうやめる」みたいな雰囲気になって、最終的にコメント欄に「○○さんへ」ってタイトルをつけて、読者のかたが悩んでいるかたの相談に答える、という図式が出来上がったことがあったんです。特に深い傷を持ったかたには何十人ものかたが一人へ向けて励ましの言葉を送ってくださいました。ほとんど私無視されてた(笑)。当時の読者のかたはご存知だと思うけれど、あの空気の変わり方、湧き上がり方、感動しましたよね。そうそう、このこと、ネットニュースにも取り上げられたんですよね。酒井若菜ブログのコメントの雰囲気が良すぎる、って。あれ嬉しかったなぁ。
今はコメント欄がないので、皆さんの言葉はメッセージという形で私とスタッフだけが見られるシステムなのですけれど、相談にはのれてこそないものの、メッセージは全て読ませていただいていますよ。
痛くなります、心。
でも、私に答えを求めるのではなくて「書いてすっきりした」っておっしゃるかたもとても多いの。下手したら7割くらいはそんな感じ。そう言っていただけると、本当に救われるんですよ。ありがとうございます。
人さまの悩みに慣れるなんてことは決してありません。ですから、皆さんの傷の100分の1くらいは理解をしているつもりです。なので皆さんも、書くという行為で少しでも楽になれるのであれば、私にくださって構いません。どこかで吐き出さなきゃさ、やってられね、って話よね。

そして、こんな悩みもいくつかありました。
心を閉ざした家族や友達に、どう対応したらいいのか分からない。勇気を持って外に出してほしいけれど、なんて声をかけたらいいのか。という、人を心配する想いが強いが故に生まれた悩み。
とかく「勇気」という言葉を目にします。
私はね、ほんとに私だけかもしれないけれどね、勇気という言葉は、とても難しいと思います。捉え方によっては「みんなができることを自分は勇気を出さないとできないのか」とか「心を開くことが立派なのか」とか「あけすけに言いたいことを言うことに勇気が必要なら、そんなものいらない」と受け取れてしまいます。自分の意思で閉ざしたかたもいると思うから。必要なのは、勇気じゃないことも時にはあるような気がします。
ごめんなさいね、「勇気を持って」は見下しているように聞こえてしまうんだ。もちろん、私も勇気という言葉はよく使いますけれど、基本的には自分にしか使いません。人に使うときは、そのかたが「勇気が必要」と示した瞬間だけです。
「勇気を持ってほしい」は「あなた勇気がないね」と言っているようなものじゃないかな、なんて。
いや、分からないけれど。
「勇気だして」って言ってほしい人もたくさんいると思うし。
あくまで私は、だから。私は休業していた一年、ずっと家にいたのですが「勇気だしな」と言われたときにすごく虚しい思いをしたことがありました。それから、誰かが悩んでいるとき「世の中にはもっと辛い人もいる」「お前だけが辛いんじゃないんだよ」「こっちが病気になりそうだよ」こんな言葉を使うのも、私は好きじゃない。ああしな、こうしな、とアドバイスをしすぎるのも、心が弱っているかたには命令にしか聞こえないと、私は思います。

武田信玄がね(出るよ、恒例の偉人名言)、

自分の学んだことをひけらかしたり
自慢する必要はないと考える人間が
わしの尊敬する真の知恵物である

って言ってた。
シェークスピアは、

愚者はおのれが賢いと考えるが
賢者はおのれが愚かなことを知る
って言ってた。

私は「分かってるよ」と頷かれアドバイスをされるよりも、分からないからこそ一生懸命になってくれる人に救われることが多かったです。
前者は、相当な信頼関係があれば成立するし、むしろ素晴らしいと思うけど、なかなか難しいのが実情だと思います。
とか言いつつ、結局私も、自分の経験からしか物が言えないのですから、仕様がありませんね。
私は経験も意見も偏っていますから、あまり役に立たないかもしれませんし、今回はちょっと否定的な文章に取れなくもない内容になってしまいましたが、私は基本的に、悩んだ誰かを心配する気持ちをお持ちになっているのは、とても優しいことだと思っています。
人それぞれ形は違えど、誰かが悩んでいることに悩めるその真摯な姿勢は、私も持っていたいとつくづく思いました。


明日も良き一日を

あ!
今日のマザー、凄く観てください。
ちょっとじゃなくて、凄く観てください。


明日も良き一日を


ごきげんよう