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写真2枚目は、牡蛎の白ワイン蒸し。

大丈夫です。
遊園地には一人で行ったわけではありませんよ。
仕事が早く終わった日があったので、マネージャーテキ子に15分だけ寄ってもらったのです。
テキ子が電話や原稿チェックをしている間に、ササッと一人でジェットコースターに乗ってきた、という感じです。
休日に「今日は一人で遊園地だい」と張り切って行ったわけではありませんのでご安心ください。

さて。
最近、言葉遣いが悪くなってきて困っています。
それは、今私がマザーで演じている芽衣という役の影響であることは明らかなのですが、これが非常に苦しい。ブログを読んでくださっているかたはご存知かと思いますが、私は「言葉」に対して敏感な性質です。極力、冷たい言葉は避けているつもりですし、人の心を抉るような鋭い言葉も使いたくないと思っています。でも最近は、要らぬことを大げさに突き放すように言ったり、私が最も苦手な「ばっさり切る」言葉を放ってしまうことが多く、それがとても虚しいです。最近写真ばかりで長文ブログを書かなかったのも、こういう理由からです。
完全に、びびっています、私。
普段の目の動きもすごく嫌。例えば、控え室にある鏡。目が合った自分から、すっと逸らすその目線がイヤ。鏡越しに見た視線の残像がいつまでも離れない感があります。
よく、役を演じるということをアウトプットという表現に置き換えるかたがいます。私もそう思います。
でも今回は、インプットをしていく役なので、そういう普段毛嫌いをしている人格が、自分の中に侵略してきて、またそれをこもらせたままにしておかなければならないのは、なかなかのパワーを要します。
それだけ役が自分に入ってきてると思えばいい。
いつもの私ならそう肯定できるのですが、今回は「そうやって客観的に見れるのもどうだろう」とそれはそれでう~んとなってしまう。
もやもやします。
芽衣を演じていると、あるニ人のことを思い出します。
一人は今も私にとってとても大事な人ですが、私は昔、その人が嫌いでした。
本当に言いたいことは言わないくせに、不機嫌だということは分かっておいて欲しい、といったような勝手な性格で、私はいつも「なら、はっきり本心言いなよ。そこは言わないで、分かってもらえない、みたいな顔するなんて被害妄想だ」とか「一回吐き出してくれたらこっちも向き合えるのに、だらだら小出しにされたらこっちはどう対処していいか分からない。蓋をするならちゃんと閉じろ」などと苛立ちを覚えたものです。その人の嫉妬の対象だった私は、何年もの間彼女の勝手な苦しみに巻き込まれていたつもりでした。
しかし、今回芽衣を演じて気付いたのです。
こんなに、苦しかったのか。
と。完全に蓋が閉じれないのは、中身がギュウギュウに詰まってこぼれてしまっていただけ、また、蓋を完全に閉められるほどは、自分を殺せなかったんだ、と。
嫌な言葉を小出しにしてしまうのは、楽になろうとしてるんじゃなくて、むしろ小出しにすればするほど「本当はそんなこと言いたいんじゃない」と苦しくなっていたのだと。
次第に「どうせ」と自分を卑下し、周りのせいにし、だけど、それでも本心はまだ言えない。何故なら、これ以上自分を嫌いになりたくないから。
でも、そんな環境を作ったのは自分。
誰のせいでもない。
でも・・・。
と、そんな風に、ループから抜け出せなかったんですね。
これは非常にしんどいです。
そして思うのは、今やっと、彼女に心から謝りたいということ。なんにも分かってなかった。
そして、思い出すもう一人のこと。
それは、過去の自分。
すっかり忘れていました。
私自身がそうだった。
私が何年もかけて捨てた性格が、今私の中に「忘れないで」とばかりに侵略してくる。
ばっさり切っていた自分の言葉に今になって仇討ちされ。
鏡に映った見下すような目線は、今の自分に「嘘つき」と言っている過去の自分で。
困る。
過去の自分は、自分に自信がないから、人に否定される前に先に否定しておく。
自分に自信がないから、わざと強気に振舞う。
そんなことをしていると、余計に自分を追い込むと分かっていながら、止めることができない。
何故なら一秒前の過去の自分が積み重なって、今の自分がいると思っているから。どんなにイヤでも、そこを崩したらいよいよ自分が全部崩壊するのではと怖くて仕方ないから。
全ての根源は、自信のなさだったんですね。
でもね、私、変わりました。
変わらずこのブログに寄せられるみなさんからの「自分が嫌い」という悩み。
偉そうですが、変われますよ。
私はね、必死に頑張って変わりました。
鋭さなんていらないと思った。その代わりに豊かさが欲しいと思いました。
絶望をしているかた。どんな自分になりたいか、はもうちょっと先でもいいかもしれません。
もっと具体的なもの、例えば私で言う「豊かさ」など、具体的に欲しているものを見つけてみてはいかがでしょうか。
明日生まれ変わる、なんて難しいから、代わりに明日「ありがとう」って言ってみよう、とかそういう些細なことから始めれば、おのずと道は開けていくのではないかと思います。
同様に、自分の全てを卑下するのではなく、明日、睨むのはやめようとか(笑)、そういうことから始められたらいいですね。自分の全部を嫌いになろうとしても、絶対受け止めきれないから、だから、環境や人のせいにして補おうとするのよね。それは悪循環ですものね。
私のように、役を通して過去の自分が侵略してくることは、きっとないからさ。
みなさんには絶望してほしくないと願ってしまいます。
いやー、色々考えます。マザー。
芽衣は私自身。だから、芽衣のことは誰よりも分かっている。その自負が邪魔なのか、私は時々、これがドラマだということを忘れてしまいます。「違う。芽衣はそんな言い方はしない」とか「違う。芽衣はこんな動きはしない」とどんなに本能が訴えかけてきても、当たり前だけど、作品として映り方も考えていかなければいけません。
ある日、芽衣が「それ私じゃないよ」と私(酒井)の心臓をノックしてくるので、私が芽衣と折り合いをつけようと心の中で会議をしていると、察してくださったのか、カメラマンさんが「感情で演じていいよ。こっちが合わせるから」と言ってくださいました。泣くかと思った。そのおかげで安心して、作った芽衣ではなく、湧き上がってきた芽衣をこぼれさせることができたような気がしました。
思えば、ニュース速報は流れたのカメラマンさんも、おひとりさまのカメラマンさんもそうでした。
安心してこぼれさせてくれる。
「だいじょうぶ。どんなところにこぼれ落ちても、ちゃんとキャッチしちゃる」。
そんな空気がある世界に生きていることに感謝を。
そして、こういう時にあらためて、たくさんの人がいて初めて1つの作品が成立するのだと、また、演者は作り手の一部に過ぎないのだと実感させられるのです。ほいで、これだけ私の心をノックしてくるマザーの脚本力に、私は感激するのです。(ちなみに、自分でも驚きますが、まだ芽衣の重いシーンはそんなに出てきてません)。
自分が嫌いで、いつも一人ぼっちだったあの頃の私に、教えてあげよう。
あんた、この世界に入って正解だよ。人が人を演じ、それを人に委ね、更にそれを人に届ける仕事。悪くないよ。だから、存分に一人気分を味わいたいときは味わえばいいと。
そして、
かと言って、一人でジェットコースターに乗るという満喫の仕方はどうかと思うよ、と。

自分が経験した最も暗く哀しい時期をスタート地点に設定し、そこから「どうせ」と嘆いたり、「本当の自分」などと自分を括ろうとする必要はないと思います。
私は5年前にスタート地点を設定しました。
その前の自分は、あくまでその前の自分。
悩んでらっしゃる皆さんも、自分の都合の良いところにスタート地点を作れるといいですね。
私だって、3年後には「やっぱここから」と設定を変えるかもしれない。
それくらい単純になったって、自分に染み付いた過去は自分ではなかなか拭えないもの。
受け入れがたい記憶があるなら、洗濯くらいしたっていいと思います。
最後に笑うために、何度も流せばいい。
洗濯すれば、生地は傷みます。でも、それは味でしょ。
いつまでも出来た染みに嘆くより、バレバレでも「洗濯したんだ」って思われたほうがいい。
変われないのは「あ、洗濯したでしょ」って指摘されるのが恥ずかしいだけ。
そんな気がします。
私は何度だって洗濯しちゃる。

あれ?
なんの話だか分からなくなっちゃった。
ってか、結局悩んでないのね…私…どうやら。
ま、いっか。
大体私の性格上、現在形で悩んでたら、ブログに書かないしね。

明日も早いぞ。
がんばろう。

あ、龍馬伝、来週見てね。
今日、予告にちょっと映ったぁ!
わぁい!!
嬉しい!

我想う
初心忘れる
機会なし

久しぶりの酒井節炸裂なブログでした。口は悪くなかったでしょうか。多少心配ではありますが。

明日も良き一日を


ごきげんよう