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写真は、天使の恋の監督寒竹ゆりちゃんと、初日舞台挨拶にて。
面白いよ、天使の恋。

先日、マイケルジャクソン This is itを観てきました。
私にとっては名作でした。
あまりの素晴らしさに、どう生きていいか分からなくなってしまいました。
マイナスな意味じゃなくプラスの意味で。
マイケルもスタッフも素敵すぎ。
マイケルが、ある曲のイントロのテンポを「ベッドから這い出る感じ」と、ある曲のラストの余韻を「月光に浸る」とバンドメンバーに説明する、その表現がとても好きで、何て的確なんだろう、と思いました。
メンバーも「もっと具体的に」と説明を求めながらも、確実に応えていく姿がかっこ良かった。
書ききれない。
書ききれない。
この仕事をしていると、納得がいかないことをつい脚本やスタッフのせいにしてしまいがちですが、そんなの向き合って改善策を見つければいいのですよ、ほんとは。
でも、まだまだな私の立場では、それが許されない場合もある。
一生懸命がんばって上に登っていけば、マイケルのように素晴らしいスタッフとしか出会わなくなる、やも、しれぬ(ちょっと弱気)。
それがいいな。
迷うのはその時からがいい。
同じ方向を見ることができるメンバーと悩みたい。
でもそうなれるかどうかは自分次第。
精進します。
がんばろう。

あーーーーッ!!
マイケル凄いよ~!

関係ないけど「強いねー」とよく言われます。数年前までは私自ら「私は強いから平気よ~」とかましてましたが、ある時から全く言わなくなりました。
すごく心を傷めていた数年前。
私は手当たり次第救いを求めましたが、みんな口を揃えて「強いから大丈夫でしょ」と言いました。
結果、一年仕事を休みました。
復活した時、みんなが口を揃えて「そこまで追い詰められてると思わなかった。なにもできなかったねごめんね」と言いました。
この時「無駄に人を信じるのはやめよう」と思いました。
トラウマとかそんな立派なものではなく、あ~そうか~、という単なる気づき。
そして、同時に人間関係が築けていなかった自分の至らなさにも気づき、更に「強さは損」と自分に植え付けました。
傷にもならない冷めた解釈ができたことで、すごく楽になったんだよね。
でもそれはそれで良かったんだと思うんだ。
前も書いたけど、だからこそ、救ってくれるわずかな人達のパワーがとてつもない力になることを知れたから。
人に対する落胆以上に、救ってくれた時の力の大きさを知ることができたんです。

マイケル後、私が心を傷めていた時期にはまだ出会っていなかった友人から、ついに「強い人だよね」と言われました。
ドキつく私。
今の私にはこう返すのが正解だと「そう見えるでしょ?弱いんだよほんとは」と答えました(恥)。私の数年間の経験の中で得た、確かで生意気な処世術です。友人は「いやいや強いよ」と念を押しました。私は弱さアピールを執拗にしました。もれなく必死で。友人は言いました。
「いいじゃん、強くたって」。
ん?
普通「いいじゃん、弱くたって」でしょ?
弱くないと、フォローなんてしてもらえないんだよ?
強いなんて、損損損ッ!
いっぱい荷物がくるだけよ!
が、友人は続けました。

「強いから守らなくていいとは、思ってないから」。

私は「超良いこと言う~!」とハイテンションで答えただけでしたが、ひどく感動していました。
強いことが分かっても、守ることを放棄しない人がいるんだ、と。
帰宅してもまだその言葉が頭の中をループして、お風呂に入った途端、堪えきれずに泣けてしまいました。
嬉しかったんです。
たかだか29年しか生きていない私でも、それなりの経験を越えて頑張って生きてきました。
そう、頑張って。
撤回しないよ。
頑張って、生きてきました。
それを自分の中にギュウとしまって仕事で出す。
それくらいがちょうどいいと思ってましたし、それなりにこなせるようになった私には、そのスタイルが楽になっているくらいでした。
でも、どうやら私、詰め込みすぎてちょっと頭が固くなっていたようです。
友人が何気なく放ったたった一言で、頭や心や掌が同じ温度になりました。
強くてもいいんだぁ。
と、サラサラサラ~と何かが体いっぱいに流れ始めたような、溶かされていくようなそんな感覚。
単純に単純に。
あ、良い言葉だな~、単純って。
あ、それた。
改めて「私強いよ」と宣言するつもりはありません。
よくわかんないしね、強いだ弱いだアピールって。
そんなのはカリスマに任せとけばいい。
とかいいつつ、思いっきり書いちゃってるけどね。
非常に恥ずかしい人です、私。
このままだと「ほんとの私」とか「私らしく」とかいうタイトルの記事をあげてしまいそうだ。
ま、いっか。
ただ思うのは、やっぱり人は人を救えるということに間違いはなかったという確信と、たまには人を信じるのもアリかな、と思っている現状があるということ。
そして、生きてさえいれば、信じて疑わない自分で決めたガチガチな概念に潰されそうになっていても、ひょんなことでひっくり返ったりするんだな、って。
その場を切り抜けるためにガッチシな概念を頑なに貫くことも時には必要だけど。
マイケルジャクソンにはなれないもの。
私長生きしたいし。
背伸びしたり、背伸びした自分を追い越したり、素敵な言葉をくれる友人と出会ったりしながら、できればもっと単純に、曲がりくねったでこぼこな道をグングン進んでいけたらいいねと思う。
ただ、マイケルのように、具体的な才能が欲しかったりもする。
単純にね。
うん、単純に。
矛盾しながら芯を持って、
煮詰まりながら曖昧模糊に、
照れながら受け入れて、
苛立ちながら反発して、
だけど素直により素直に、
極力自分を否定せず、
しっかり生活や人と対峙していけたらいいですね。
たくさんの悩みをメッセージに頂いています。
自分はそんなに嫌なヤツじゃない。
そんな風に思ってくださったら、すごく嬉しいです。
だって少なくとも、あなたは私に元気をくれる。
そんな力を持ってるんだから。
ほんとだよ。
私たちは、みなさんに生かされているんです。
そうよね、マイケルジャクソンさん。

明日はクスクス笑えるよ。
きっとだいじょぶ。
ね。

ごきげんよう