(①術後初の外来診察(結果発表))
2017年4月3日
2017年4月3日
(①術後初の外来診察(結果発表)の続きです。)
腫瘍の病理結果を聞き、ぐったり疲れを感じながら、朝から付き添ってくれた母とお昼を食べ、
「ああ、いつもの会社だ〜」
たった1か月の勤務だったけれど、好きな業界だったし、やりたいこともいろいろあったし、会社の雰囲気も好きで、去るのは辛い部分もありました。
けれど、いつ復帰できるか自信もなく、
雇用形態がしばらくは業務委託のままと言われ。。。
厚生年金も健康保険も雇用保険もない状態で、
正社員になれたらよかったのですが、病気してしまったからそれもかなわず。。。
それに何より、勤務時間が9時半〜20時で、長時間なのとどうしても夜が遅い仕事だったから、
復帰しても生活のリズムが不規則になることは避けられません。
この2週間、規則正しい生活をして、それまでの半年間高かった血圧が 元通りに戻っていたので、
その通常の血圧を維持したいと思っていました。
そうやって、この日から完全に久々の専業主婦として、心も体ものんびり療養生活に入ることができました。
腫瘍の病理結果を聞き、ぐったり疲れを感じながら、朝から付き添ってくれた母とお昼を食べ、
久しぶりに会社に向かいました。
本当はこの日、上司に結果報告と治療のスケジュールを伝えに行く予定でした。
ところが、手術直後から何度も何度も考え、週末に夫や親といろいろ話し合った結果、仕事を辞めてしばらくゆっくり過ごす道を選ぶことに。。
ところが、手術直後から何度も何度も考え、週末に夫や親といろいろ話し合った結果、仕事を辞めてしばらくゆっくり過ごす道を選ぶことに。。
そのことを伝えに行きました。
転職してから入院までの1ヶ月通った道が、
なかなか普通に歩けない。。。
1歩足を踏み出すごとに、左胸の傷痕にズキンズキン響く痛み
それを少しでも和らげようと、ゆっくりゆっくりしか歩けませんでした。
これは復帰なんて無理だったな。。
そう思わざるを得ないほど、いろんな意味で以前のように動けず、諦めもつきました。
ウィンドウショッピングをして待ってるよという母と別れ、会社に入ったら、
みんなが心配そうに、でも笑顔で迎えてくれました。
「ああ、いつもの会社だ〜」
とおだやかな気分。
社長や部長に気持ちを伝えたところ、事情が事情なだけに理解してもらえて、
とにかく体をしっかり回復させるようにと。
ちょうど社員の1人が誕生日で、みんなでケーキを食べるところだったので、私も呼ばれていただきました
とにかく体をしっかり回復させるようにと。
ちょうど社員の1人が誕生日で、みんなでケーキを食べるところだったので、私も呼ばれていただきました
明るくて笑顔がある、この会社の雰囲気が好きだったんだけどな。。。
なんとなくみんなとは違う世界にいるような気分になり、寂しくなりました。
そんな私の気持ちを察してくださったのか、
面接の時からたくさんパワーや刺激を下さった女性の上司が、帰り際にエレベーターホールで、私の手をしっかり握りしめて下さいました。。
思わず涙が出そうになりました
また、パワーをいただいちゃった。。。
たった1か月の勤務だったけれど、好きな業界だったし、やりたいこともいろいろあったし、会社の雰囲気も好きで、去るのは辛い部分もありました。
けれど、いつ復帰できるか自信もなく、
雇用形態がしばらくは業務委託のままと言われ。。。
厚生年金も健康保険も雇用保険もない状態で、
時給800円にもならない収入では、
ちょっと続けるのは無理でした。仕方がないです。
ちょっと続けるのは無理でした。仕方がないです。
正社員になれたらよかったのですが、病気してしまったからそれもかなわず。。。
それに何より、勤務時間が9時半〜20時で、長時間なのとどうしても夜が遅い仕事だったから、
復帰しても生活のリズムが不規則になることは避けられません。
この2週間、規則正しい生活をして、それまでの半年間高かった血圧が 元通りに戻っていたので、
その通常の血圧を維持したいと思っていました。
もう、生活リズムを乱したくはないと。
なので、しばらくは、主婦業をしながら体調を整えることに専念しようと決めました。
なので、しばらくは、主婦業をしながら体調を整えることに専念しようと決めました。
ただ、そう決められたのも、保険金をいただけることがわかっていたからです。
そうでなかったら、仕事をしない選択など絶対に我が家では無理でした。
毎月娘の仕送りに、私の給料の8割は飛んでいってたので
たまたま昨年自分の保障を手厚くしておこうと、それまで入っていたがん保険などに加えて、新たに保険に入ったこともラッキーでした。
私が倒れて働けなくなったら、娘が大学にも行けなくなるし、今の生活もできなくなると急に気付き、転職と同時に新たに保険に加入。
それが一番助かりました
そんなわけで、放射線治療が終わった夏ごろ、
体調がよくなってきたら、また仕事を始めようかなと思っていました。もう、扶養の範囲内でもいいかな(笑) なんてことも考えたり。
手術終えてからの方が、段々弱気になっていたのです
まだこの頃は痛みもわりとあったので、楽に過ごしたいなという思いもあって。。
そうやって、この日から完全に久々の専業主婦として、心も体ものんびり療養生活に入ることができました。
今思えば、もしかしたら、これまでの人生で1番ゆったりできた期間だったかもしれません。
夫と保険会社に感謝です(笑)
でも、この日、帰り道でも、歩くたびに痛む傷のことが、なんとなく引っかかっていました。
もう2週間経つのに、まだこんなに痛むのかなぁ。
退院してすぐ仕事している人たちって、この痛みを我慢しているのかな。。
私が弱すぎるのかな。。。
気になりつつも、順調に回復するものだと思い込んでいました。
(③傷口から出血)