弁護士 若林 豪史

弁護士 若林 豪史

ITと、AIと、法律と、、、

昨今の生成AIの進化は目覚ましく、法曹界でもその活用方法が議論されています。

実際に日々の業務で活用してみると、その利便性に驚かされる一方で、弁護士という専門職ならではの「壁」も明らかになってきました。
以下に簡潔に述べたいと思います。

まず、実務における「道具」としての能力は極めて優秀です。

簡易的な契約書のリーガルチェックや内容証明郵便のドラフト作成、さらには複雑な集計を伴うエクセルシートの構築といった事務作業において、AIは驚異的なスピードで案を提示してくれます。
こうした定型的な業務や論理構成の整理において、AIは大いなる助けになることは間違いありません。

しかし、万能に見えるAIにも決定的な弱点があります。
それは「抽象論には強いが、具体論には弱い」という点です。

AIは法理論などの一般論を語らせれば流暢ですが、個別の事件における「事実の有無」を判断することはできません。
事件の本質である具体的な事実関係(例えばですが、〇月〇日午後5時頃、AさんがBさんの頬を平手打ちしたかどうか、という事実の争い)は、ネット上には情報が存在しないため、検索して判断することはできず、当然の結果と言えるでしょう。

さらに、実務家として最も警戒すべきは「ハルシネーション(幻覚)」の問題です。

AIは時として、実在しない判例や条文をさも真実であるかのように出力します。(最高裁昭和○年○月〇日判決などと判例を引用しているのですが、調べてみると、判例自体存在しないことがあります)。
裁判書面においてハルシネーションを見逃せば、場合によっては、意図せず裁判上の「自白」が成立してしまうリスクすら孕んでおり、単なるケアレスミスでは済まされない致命的な事態を招きかねません。

また、出力される書面の質は、いわば「司法修習生の起案」に近いレベルに留まります(これは自分がそうだったという自戒を込めての感想です)。

書面の体裁は整っているものの、やけに理屈が長い割に事実の評価が薄く、最終的には弁護士が全文を緻密にチェックし、肉付け、修正作業をしなければ使えません。

こうした現状からすると、AIは弁護士の仕事を完全に代替するものではなく、事務作業を担うパラリーガルの役割を補完、あるいは代替していく性質のものと言えます。

最後に、弁護士法第72条の「非弁活動の禁止」という高い壁も無視できません。
法的判断を伴うサービスを有料で提供することは弁護士の独占業務であり、AIによる回答をそのまま提供することは、現時点では本人訴訟支援の域を出ないという限界があります。

生成AIは、正しく使えば強力な武器になります。
しかし、その「嘘」を見抜き、最終的な業務の責任を負うのはあくまで人間である弁護士の仕事です。

AIを過信せず、その特性を理解した上でいかに使いこなすかが重要であると言えるでしょう。

映画「国宝」を観に行きました。評判に違わず、本当に素晴らしかったです。

私があえて一言だけ言わせていただくなら、「世襲の苦しさ」がありありと描かれているのが秀逸だと思いました。

「世襲」って、「実力がないのにずるい」とか「親の七光り」とか、子が労せずして結果だけを手にするようなイメージを持たれていますよね。一般的には、「うらやましい」と言われますね。

でも、世襲することになった子ども本人からすれば、世襲ほど苦しいことはないのだろうと思います。

例えば、歌舞伎役者の子に対して、「おまえはいいよな。将来歌舞伎役者になれるのだから。」と言ったとすると、歌舞伎役者の子は、逆に、「おまえはいいよな。将来何の職業にでもなれるのだから。」と言い返したいでしょう。

世襲というのは、親の職業に就くことを約束される一方で、逆に言うと、その職業に就くことを強制されるのであり、他の選択肢を奪われるということでもあります。

「僕は将来、医者になって人助けをしたいんだ」と言えば、普通は、「素晴らしいね。頑張りなさい」とほめられるのですが、歌舞伎役者の子が同じことを言えば、「あなた、自分が誰だと思っているの。勝手なことを言うのはよしなさい」と叱られるのです。

ちなみに、私自身の話をすると、私の両親は、弁護士ではありません。このことは、今思えば幸運だったと思います。

弁護士の世界も、医師の世界と似たような面があり、子を弁護士にして事務所を継がせるということも珍しくありません。

しかし、私自身の立場で考えると、例えば、司法試験や、実務に出てから苦しい思いをした場面において、もし仮に、親から「必ず弁護士になりなさい」と言われてその通りにしていたのであれば、どこかの時点で挫折していたのではないかと思うことがあります。

自分で弁護士になると決めたからこそ、どんなに苦しい思いをしても、「自分で決めた道なのだから」と思い返し、投げ出すことが無かったのではないかと思うことがあります。
(あくまでも私自身の話です。世襲だから投げ出すと言っているのではありません。逆に世襲の苦しさを乗り越えた方々に対しては尊敬の念を持ちます)。

「国宝」をきっかけにして、世襲の苦しい一面が世の中に知られると良いなあと感じたのでした。

交差点で停止中、前に停止している車が、前方の信号が青になったにもかかわらず、気が付かずに発進しない場合、後ろにいる車が、クラクションを鳴らして、信号が変わったことを知らせる行為は「違法だ」という意見を目にすることがあります。

しかし、多くの場合、その説は誤りである可能性があります。その理由を、弁護士として以下に述べたいと思います。

クラクションは、法律において「警音器」と呼ばれます。
そして、警音器の使用について定めた道路交通法の規定を根拠に、「違法だ」との主張がなされています。

具体的に条文を見ます。

道路交通法第54条第2項は、「車両等の運転者は、法令の規定により警音器を鳴らさなければならないこととされている場合を除き、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防止するためやむを得ないときは、この限りでない。」と定めます。

そして、これに違反した場合、第121条第1項第9号により、2万円以下の罰金又は科料に処することとされています。また、交通反則通告制度が適用される場合、警音器使用制限違反は、反則金額は3千円で、違反点数はありません。

条文によると、結局、クラクションを鳴らして、前の車に発進を促す行為が、「危険を防止するためやむを得ないとき」に該当するかどうかが問題となるのです。

この点に関して、対面信号が赤から青に変わったにもかかわらず、停止している車両の運転者が、スマホなどに気を取られて、信号に気が付かずに、車線の中央に停止し続ける行為は、非常に危険です(それ自体、違反行為です。第7条参照)。

特に、運転席が高い位置にある大型の後続車両の運転手などが、前方の信号が青色であるため、漫然と進行した結果、発進せずに停止したままの前方の車両に気が付かずに、追突事故を起こす可能性があります。

もう一度繰り返しますが、対面信号が青であり、且つ、交差点の先が渋滞で進行できないような例外的な状況でないにもかかわらず、進行せずに、車線の中央に自車を留まり続けさせる行為は、後続車両による追突事故を誘発する可能性が高いため、非常に危険です。

つまり、この危険な状況を解消するには、クラクションを鳴らすことで、前の運転者に、信号が変わっていることを知らせるほかありません。
運転席から降りて、前の車のガラスをコンコンと叩いて、信号が変わったことを知らせる方が、余程危険です。

つまりは、「危険を防止するためやむを得ないとき」に該当することは明らかですから、道路交通法第54条第2項但書の場合に当たるため、警音器の使用は違法ではないということになります。

逆に、違法と考えられるクラクションの使用は、次のようなケースが考えられます。
すなわち、前の車の運転者が、信号が変わったことに気が付き、既に発進を開始しているにもかかわらず、「ちんたらしてんじゃねえよ」という怒りの気持ちから、後続車両が執拗にクラクションを鳴らす場合。
また、前の車の運転者が、対面信号が黄色に変わったタイミングで、停止線で停止したことに、後続車両が腹を立て、「さっさと行けよ」という抗議の気持ちから、クラクションを鳴らす場合。

こうしたケースにおいては、前方車両による「危険」が存在しているとは言えませんから、クラクションの使用は、違法となる可能性があります。

なお、実際のケースですが、横断歩道を渡ろうとしている小学生が、歩行者用信号が赤であるにもかかわらず、横断を開始してしまい、青信号に従って進行している自動車にひかれそうになっているシーンを目にしたことがあります。
この時には、自動車の運転手が、クラクションを強く鳴らして、小学生に赤信号であることを知らせ、気が付いた小学生が慌てて歩道に戻って行きました。

クラクションの適切な使用は、このように人の命を守ることがあります。本当に危ない場合には、躊躇なく鳴らす必要があります。

ですから、クラクションの使用を安易に違法だと断定するのではなく、「危険を防止するためやむを得ないとき」に該当するかどうかという視点が常に重要だと思います。