昨晩遅く、休んでほしい人とLINEでやりとりしました。

まだ若く、早く復帰しなければと焦る気持ちもよくわかります。

私もまた、そうした時期を何度も越えてきたし、何より夫が亡くなった直後もそのような焦りに駆られていました。

 

でも・・・思い出すのです、夫が闘病していた頃のことを。

 

文字通りの生き急いでいた人でした。

「普通の人の4倍のスピードで生きていた」と死後言われたこともあります。

 

歩く時はいつも早足・・・というか、ほぼ走っていました💦

荷物は重く、その荷物を抱えて、あちこち飛び回り、飛び回っている最中もあちこちに目をやり・・・とそんな日々でした。

 

でも病気が進むと、走ることはもちろん歩くこともままならなくなっていきました。

荷物を持つこともできません。

車道と歩道の数センチほどの段差ですら、自力で足を上げて歩道にあがることができないのです。

 

ゆっくりゆっくり歩きながら、でも彼はしみじみこう言いました。

 

「こうして稚と一緒に歩くのもいいもんだなあ。病気になってはじめて、ゆっくり歩くことの良さを知ったよ」

 

ものすごいスピードで進まなければ到達できない遠い遠い場所もあります。

でも、ゆっくりじっくり歩かなければ出会うことのできない景色もあります。

 

双方ともに人生で味わうことのできる大切な体験です。

 

若い人に「ゆっくり進め」というのは酷な話だと思います。

でも、若いからこその自分の目で見えるもの、自分の感覚で感じ取るものは、歳を重ねてからでは決して得られません。

 

二度と再現できない「今」を体験しているという意味では、すごいスピードで過ごそうが、ゆっくりじっくり味わおうが、変わらないのです。

 

だから、、焦らないでほしい、と伝えました。

 

でも・・・死に向かう夫と時間を過ごした経験からすると、「今」を味わう体験はゆっくりじっくり過ごした方がお得かな、と思います。

ほとんど体を動かせないにも関わらず、「1秒」にどれほどの物事が詰まっているのか、「1秒の厚さ」というものを夫と共有できたからです。

 

1秒でできることの多さも価値の1つなら、1秒で感じ取れることの多さも価値の1つ。

 

夫の闘病と死を経験しなければ、私は「1秒で感じ取れることの多さ」を知ることができなかったと思います。

そしてこのことは、私の人生を豊かにしてくれました。