松の内が明けたので正月飾りを片付けました。
とはいえ、私の「体感」はまだ年が明けていません
私の年明けは、立春(2023年は2月4日)だったりします。
夫が亡くなる前からなんとなくそんな「体感」はあったのですが、夫が亡くなってからはそれが確定的になりました。
自分が遺族になってはじめて、正月やクリスマスなど世の中が華やぐ空気をかなり厳しく感じる人たちがいることがよくわかりました。もちろん私もそうでした。
だから私は、努めてその時期は「通常通り」を心がけているのですが、そのうちに新年のお祝いを口にすることに、なんとなく違和感を覚えるようになってきています。
なぜなら、1年365日、毎日が誰かの命日だからです。
でも同時に、1年365日、毎日が誰かの特別嬉しい日でもあるでしょう。
歳を重ねて一人になり、悲しみにも喜びにもそのどちらにも偏らない、真ん中に立つことを自分に課していることを自覚します。
悲しみも喜びも、そのどちらもその人の大切なことだから、と。
感情に良し悪しの区別をつけたくないのかもしれません・・・。
悲しみから生まれるものもある・・・言い換えれば、深い悲しみを知るからこそ感じられる喜びもある、と思っているからですね。。