父方の祖母の印象が変わりました。
父が亡くなり、父の結婚前の戸籍を取り寄せた時に驚いたことがあります。
「長男」が2人いたのです。
父は物心つく前に生母と死に別れており、私たちの「おばあちゃん」とは血がつながっていません。
つまり祖母は、自分が産んだ子どもを「長男」として届け出ていた、ということがわかったのです(そんなことができるのかは知りませんが…)。
父と祖母との間のことは、断片的に聞いたり、あるいは感じたりしていたのですが、育ての親にこんなことをされていたのか…と、亡くなった父のことを思い、すでに故人となっていましたが祖母に対して酷い人だと思ってきました。
でも、母から祖母が結婚する前の話を聞いているうちに印象が変わりました。
祖母は、祖父(父が中学生の時に他界しています)と結婚する前にも一度結婚していたこと。
しかし、結婚してすぐに夫が病気で亡くなってしまい、実家に戻されたこと。
実家に戻っても年の近いお嫁さんがいることから、再婚して出て行かざるを得なかったこと。
連れ子(父)がいる人と再婚し、息子を3人授かったものの、再婚相手(祖父)は42歳で病死してしまったこと。
つまり、、祖母は2回も夫と死別し、その上で一人で息子4人を育ててきたことになります。
父方の祖母は師範学校?で学ばせてもらえたそうです。しかし、それを生かす機会には恵まれなかった・・・。
力仕事必須の実家の家業を戦時中は兄嫁と支え、二番目の夫と死別後は一人で商売し4人の子どもを育てました。
私が生まれた時、祖母は母にこう言ったそうです。
「稚子は私が育てます」
強烈に強い人。私の祖母の印象はこのひと言に尽きます。
でも・・・、祖母の人生を振り返ると、「女の子を教育したい」と思った祖母のまた別の顔が表れてきます。
多くの女性の思いの先に、今の私がある、と身に染みました。
今年のお墓参りの際には、祖母に話しかけてみようか。
「稚子、ちゃんとしなさい」と言われそうですが
道理で、実家のお墓参りをすると、いつもなんだかガミガミ言われているような気がしていたわけです