「日々の記録」にこだわった理由は、まだあります。
夫の闘病と死に並走しながら感じていたこと、それは毎日毎日、一瞬一瞬がいかに貴重で大切なものだということを知っているからです。
ええ、そんなことは百も承知だという人も多いかもしれません。
耳にタコができるくらい聞かされている、という人もいるかもしれませんね。
このことは、それほどに賛同する人がいて、そして真実に近いのかもしれません。
でも同時に、あまりにも「当たり前」すぎて、意識しづらいものとも言えます。
私自身、死別の経験がなければ身に沁みて理解などできませんでした。
どれほどの貴重さであっても、あまりにも当たり前で、自然で、日常の中に溶け込んでいるもの……それが自分たちの幸せだったということを。
だから「日々の記録」を提案したかったのです。
幸せの記録を提案したいと思いました。