1月ももうまもなく終わります(はやいっ!)。
今月には、母の誕生日がありました。80歳。傘寿です。
しかし、この状況下、年末年始はおろか今現在も帰省することはできていません。傘寿のお祝いもろくにできませんでした。
なのですが、少しでも…と思い、誕生日に合わせて贈り物を送りました。
しかも、別の店から2つ。
時間差でプレゼントが届くことを画策してみたのです。
ちょっとしたサプライズのつもりでした
結果は、予想以上の大成功
母からは以下のようなLINEが送られてきました。
コロナでさみしいこの頃
思いがけずのプレゼント
ほんとに本当に嬉しかったです
早速広げてみていたらまたピンポンと
ドアを開けたらまた宅急便
間違いだろうと思ったら間違いではなかった
ダブルでお届けもの
嬉しさも倍 倍です
ありがとうございます
また、母のお稽古事の先生からもお祝いのメールが入ったとのこと。非常に喜んで報告がありました。
私よりずっと年若い先生の温かな心遣いに、娘としてもとても嬉しかった。心底ありがたかったです
人との接触が減り、脳への刺激も減って、さらに孤独感を強めた高齢者の今後には「新型コロナウイルスに感染しなかった」「新型コロナウイルスで死なずに済んだ」けれども……それ以外の悪影響のリスクが高まっていて心配です。
認知機能の衰えや、場合によってはうつ病などの精神疾患を発症してしまうかもしれません。
それに、高齢者はもちろんですが、若い人であっても、私にはどうしても生きてさえいればOKとは到底思えないのです……。
生きる=命がある……というだけの話にはしたくない。その人がどうしたいのか、何を感じるのか、何を思うのか、そちらの方が大切だと思うから。命を守るという大義名分の下、すべてが誰かの支配下に置かれてしまうことにはとても抵抗感があります。
その人の命は、その人のものだと固く信じているからですね。
でも、こうして母の周囲には80歳を祝ってくださる若い方もいる。母の人生もいろいろありますが、世代を超えたお付き合いがあること、とても幸せな人だなあと思います。
それにしても……。
↑のLINEは「今日は五目ちらしを作るつもりです」と締めくくられていました。
え、自分ひとりのために、ちらし寿司を作るのっ?とびっくり
寿司飯を作り、ちらし寿司の具を煮て……と、その手間を自分だけに向けられるすごさ!夫を亡くして以来、自分の食事はエサと化してしまった私には、到底足下にも及ばないことです
でも、これも高齢を生きる母から私が学ぶこと。
母はよく「自分を律していないと」と言います。つまり、気を抜くと年齢(による衰え)に負けてしまうってことですね。
だけど、だからと言って頑張りすぎてもいけない。頑張りすぎてダウンしてしまうのは、更年期よりもずっと高齢者の方が限度のハードルは低いはずです。言い換えれば、元気に動ける範囲が狭いと言えるわけで……。
それでも、常にそのぎりぎりを探り、自分を甘えさせないんだと、母は言っているんですね
厳しすぎ〜〜〜と、正直、思います
でも、これが生きるってことなんだとも思います。
しかし、人生100年だとしたら、これをあと50年近くも続けるということ
しかも、どんどん難易度が上がっていく!
年をとるって、マジでたいへんっ!と、傘寿の母から改めて思いました。。