お年頃のシーズンに入って、体に変化……というより不具合があちこち起こっています。
中でも格段に増えたのが、シモの不具合。
もともと膀胱炎にはなりやすい体質なのか、20代前半に酷くしてしまい、導尿(尿道からカテーテルを入れ、下腹部をグッと押してもらって出しました…)をしてもらったのが自分の中ではなかなか恥ずかしかった経験で、ともかく酷くしないように気をつけてきたつもりです。
そんなわけで注意してきたのですが、昨年春に「あ、ちょっとやばいかも」とは思ったものの時すでに遅し。泌尿器科の先生に診てもらうくらいまで酷くしてしまいました。
その時、先生から教わったことが目からうろこで。
まったく間違ったセルフケアをしていたことを知ったのでした。
「シャワートイレを使ってるでしょ?ダメだよ、使ったら」
へ?と思いました。
清潔にしたいから洗い流しているのに、使ったらだめって……。
「女の人の大事なところは、男性と違って出入り口までの距離が短いから、多少の雑菌くらいは出入り口近くでシャットアウトできるようになっているの。
でも、シャワートイレを使ったらどうなる?
温水の勢いで、雑菌を奥に押し込んでるのと同じだよ?」
な、なるほど!おっしゃる通りです。
洗っているつもりが、むしろ反対でした。
体に備えられている機能を知らず、自分で自分の足を引っ張っていたんだと驚きました
しかし一方で、更年期では、このような雑菌シャットアウト的機能もたぶん衰えていくってことなんですよね。
女性の体の構造も、そして何より女性ホルモンも、すべては「子どもを妊娠し出産する母体を守るため」にあるんだよなあ、と、更年期になって痛感しています。
体の各パーツが、「もう妊娠しないね?お疲れさま〜」とそれぞれに言い合って、省エネモードになっていっている感じがするのです😅
母体になる可能性がなくなったら、「もうそこまで頑張る必要ないよね?」という具合に……。
結局母体にはなれませんでしたが、次世代を妊娠出産する可能性があるからこそさまざま強固に守ってもらっていたことにあぐらをかいて、随分と体に対して乱暴なことをしてきたなあと今、反省しています。
もちろん、若いうちは特に、踏ん張らなくてはならない時っていうのもあります。
多少の無理はしないと突破できないとか、頑張らないとある目標まで行けないとか。
(経験したことがないのでおいそれとは言えませんが)子育てもそこに含まれるのではないでしょうか。
しかし更年期は、体自体が「もうそこまで頑張る必要ないよね?」フェーズに入っていっているので、若い時のイメージ通りにはいかない……。
やれた気分でいると、後からとんでもないしっぺ返し(寝込むとか……)があります。
野生動物は妊娠できなくなる→死ぬそうです。
生物学的に「生きる目的」を言えば、それは次世代に遺伝子情報を伝えること。
お役目終了と死がとても接近した形であるんだなあと思います。
翻って人間は……。
生物学的なお役目終了から死ぬまでがとても長い……。
加えて今は、文字通りの「人生100年時代」がどんどん本格化しています。
なかなか難しいなあと思います。
「お疲れ様〜!」と言い合っている体とどう向き合っていけばいいのかと、頭だけで考えていた時期はもう過ぎて、今は、自分に起こる体の不具合をごまかさず、1つ1つ丁寧に向き合って体の言い分を聞くことにしています
若い頃の乱暴への謝罪の気持ちもあります。
言い分を聞かず好き勝手してしまった体をいたわってあげたいと素直に思えます。
これも終活の1つですね。
夫の最期を思い出すと、体の言い分を聞けるって、かなり大事だなと改めて思います。