私がショックで寝込んだわけ 後編 | アメリカ発 発達障害のお子様を持つご家族へ伝えたいこと

アメリカ発 発達障害のお子様を持つご家族へ伝えたいこと

子どもの気持ちに寄り添いながら
親も子どももハッピーになれる目からウロコの考え方や
発達障害特有の生きづらさを改善するためのシンプルなエクササイズ
お子さんが驚くほど変わる接し方や親の心の持ち方など
私が知る限りの情報をお伝えします

私がブログを通して、日本の皆様へ伝えたい!
と思ったきっかけとなった

目からウロコが落ちる
自閉症スペクトラムや発達に凸凹があるお子さんへの接し方について
説明している記事を

「子ともに寄り添う育て方」

「私の師匠」

「私の体験記」という

3テーマにまとめました。


私の根本はここですので、
ぜひ、このテーマの記事を読んでいただきたいです。
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今日はこの記事の続きです。↓

 

 

 

アメリカ政治のクラスの影響で、日本に帰って来ても、大学はロシア語学部に入りたいと思いました。高校2年の夏から1年の休学扱いだったので、クラスメイトは3年生になっていましたが、私はもう一度高校2年生をやり直しました。 だから時間は結構あって、いろいろと考えましたが、結局大学はロシア語ではなくて、比較文化を専攻し、セカンドメジャーを政治学にしました。

大学で第2外国語としてフランス語を取りました。特に意味があってフランス語にしたわけでもなかったんですが、難しくて、なかなか上達しませんでした。 アメリカに行った経験から、自分が現地に住むことで語学力が飛躍的に上がるタイプだということは分かっていたので、(逆に言えば現地にいかなかったらいつまでたってもできるようにならないタイプ。笑)クラスメイトが就職活動を始めようとしている中、半分就職活動から逃げたいという気持ちもあって フランスに語学留学しました。(ここで就職活動を1年先延ばしにしてしまったために、バブルが弾けて、同級生は売り手市場でガンガン大手企業に就職したのに、1年後に私が就職活動をしたときはなかなか就職先が決まらない、不景気1年目の就職になっちゃいました。でもそのおかげで夫と出会えたし、今の生活があるので結果オーライです。笑)

最初はトゥールという町に数か月、次にパリに、それから最後の半年はブザンソンに住みました。ちなみに、数年前に日本人留学生が行方不明になって、チリ人の元カレが怪しいのに捕まらなくて、未だに解決していないあの事件があった町です。私も同じ語学学校に通ってました。大学の一部になっている語学学校で、わりと歴史がある学校のようで、実は皇后さまも一時期この語学学校に通っていらしたらしいですよ。私も行方不明の彼女が住んでいた寮に一時期住んでました。今はどうか分かりませんが、当時は男女関係なく同じ棟の同じ階に住めて、シャワーとトイレは各階で共通だったので、シャワーもトイレも男女共有という、フランスらしいといえばフランスらしい状況でした。アメリカは開放的なイメージですが、実際はびっくりするくらい保守的なので、こんな状況はありえません。フランスは普通にテレビのコマーシャルで、モザイクも何もなく上半身裸の女性がシャワーを浴びているシーンとかガンガン出てきました。アメリカでそんなコマーシャルやったらボイコットとか起きちゃいます。 各階のシャワーはトイレの個室みたいになっていたので、個室に入ってから狭い中で服を脱いで、シャワーを浴びて、体を拭いて、服をちゃんと着て、個室を出るようにするしかありませんでしたし、隣の個室で男の子がシャワーを浴びてる、なーんてこともありました。トイレも共有だったから 最初はちょっと抵抗がありました。慣れましたけど。 希望すれば女子専用の棟もあったみたいです。でも多分留学生には選ぶ余地はなかったと思います。あんまり記憶にないんですが、確か敷地内は誰でも入ってこれたし、各棟もノーチェックで誰でも入れたはずだから、どんな人でもシャワー室まで入ってこようと思えば入ってこれたよなー。と今気づき、あっぶねーなー、と今更思いました。

ブザンソンにはアラブ諸国からの留学生が多くて、しかも横のつながりがわりと強かったので、イエメン人のクラスメイト一人と仲良くなったら芋づる式にあっという間にたっくさんアラブ人の友達ができました。イエメン、クウェート、モロッコ、アルジェリア、チュニジアなど、いろんな国の人達とすごく仲良くなって、食事にもたくさんお呼ばれして、アラビア語も教えてもらって、食事の作り方や、アラブの音楽や、文化や宗教など、私が興味を持っているのが分かったとたんに喜んでいろいろと教えてくれました。

当時(多分今でもだと思いますが)フランスではアルジェリア、モロッコ、チュニジアなどのフランスの元植民地だった北アフリカのアラブ諸国からの移民の問題が大きく取り上げられていました。そういう人たちは差別を受けることが多く、HLMと呼ばれる低所得者用の国営の団地に住み、犯罪をおかすようになる若者も増えていました。 

そういう社会的背景もあって、私はフランスで誤解され、受け入れられていないアラブの文化にとても興味を持ったのだと思います。

それが高じて、日本に帰国してやっと就職が決まった後に、半年間イエメンでホームステイもしましたし、就職して4年目かな?に仕事を辞めて1年間クウェート政府から奨学金をもらってクウェートに語学留学しました。

 

その時も なかなかできないおもしろい経験をたくさんしました。 それについてはまた機会があったら書こうかな。

今でもわりと世界的に誤解されがちなアラブ人ですが、私は基本的には大好きです。もちろんどんな民族でも嫌な人はいるし、ちょっといい加減だったりしますけど、そこも含めて 大好き。

といった感じで、私は結局 高校生の時から 私目線で「誤解されているのではないかと思われる文化」と判断した文化についてもっと深く知りたい。という欲求に突き動かされて動いてきたんだということを 「自閉スペクトラムは文化である」というお二人のインタビューを見た後に 今更気づいてしまって、しかも自分が野生の勘で、自閉スペクトラムを文化だときっちりと捉えていたにもかかわらず、それに全く気づかずにいたこと。やっと見つかった答えが あまりにもピッタリと自分が今までずっと理解できないで不思議に思っていたことにハマるものだったことに心底びっくりしました。

自分を突き動かしていたものが何なのかを30年以上も分からんかったもんで(名古屋弁です。)、それがいきなり理解できてしまったら、どうも頭と体がかなりのショックを受けたらしくて、寝込んでしまったというわけです。

 

なんだかおもしろい話でもないですが、自分の中ではとても重要な発見だったので、書いちゃいました。

 

読んでいただいてありがとうございます。

 

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