“ネクスト・トゥ・ノーマル” ちょっとずつ感想を。 | Vita felice パンとオタクの家

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大変ご無沙汰しております。
シアタークリエで初日を迎えた「ネクスト・トゥ・ノーマル」
昨日だいもん(望海風斗さん)がダイアナを演じるNチームの兵庫公演3公演が終了して、私のN2NもMy千秋楽を迎えました。

来週の愛知公演大千穐楽を待たずに、覚えている間に感想を書きたいと思い、久々更新しました。

しかし、感想を書こうと思ったものの何からかけば良いのやら。

こんなに言葉にして綴るのが難しいと感じた作品は無かった気がします。

そしてここからは閲覧注意、ネタバレしてますのでご注意を。



さてこの作品、今回は3回の観劇。

初見はだいもん演じるダイアナとその娘ナタリー(屋比久知奈ちゃん)目線で観てました。

(気が付けばそうなってた)

なぜなら、私にも障がいをもつ6歳違いの弟がいるから…ですかね。
弟3歳の頃に幼稚園の先生に指摘され医師の診断を受け、その頃私は9歳と言う事になります。
それからの両親は弟の事で病院通いやら成長過程で次々と勃発する問題に立ち向かい。
が…小学生の私はそんな両親の苦労は頭でわかっていても…ナタリーと似た部分があり、

実際親に姿は見えていても脳内で私の事は認識されていないんだなと、家の中での自分の存在の無さを感じていました。
あ…そんなに深刻ではないですよ(笑)
弟の生活が安定してきたら、俄然私に矛先が向いてきて…逆に昔に戻りたいぐらいうるさくなりましたから(笑)
両親も夫婦漫才みたいな感じでしたし、一時の事です。
(弟は、現在一般企業の障がい者枠で就労支援のもと働き、母と二人暮らし。離れて暮らす私は弟の存在があればこそ今の暮らしがあり、呑気に推し活に専念できるわけです。ありがたやww)

あ…話を戻して…

なので、ダイアナがナタリーを見ていなかったのでも無く、見えていなかったのでも無く、
ナタリーはダイアナにとって、いつもそばにいる空気のような存在なように見えた。
“Perfect Girl”、しっかりしていて何でも出来て安心して見ていられる娘…といった存在だったのでは。
でも、ナタリーにはそれが辛かった。

ダイアナの病なりの素行もそれなりに“狂っている(狂った母と表現されている)”わけで、後々自分もそうなるのではという不安をずっと抱えている。

でも、それよりも「普通」の母子関係であって欲しいと切望していたと感じます。

2幕後半でダイアナがナタリーの名前を叫びナタリーに助けを求める場面があり、私はこの時ナタリーが初めてダイアナに必要とされた瞬間であり、ナタリーもまた母からのラブコール(表現良くないですが)が嬉しかった一瞬だったのではと。

この場面、劇中で一番好きかもしれない。。。

1幕では、ナタリーとダイアナは絡んでいるようで、でもダイアナには息子ゲイブ(甲斐翔真さん)しか見えていないかのようで。
ナタリーは自分はダイアナにとって“Invisible Girl”、兄はヒーロー・恋人・プリンス…そこにナタリーは居ないと歌います。
そしてナタリーは母の薬を持ち出し乱用…。

でも、それでも母には危ういナタリーの姿は見えなかった。
ダイアナも、最低な母親だという認識は心に持っていたようだけれど。

そんなナタリーの言葉で印象的だったのが、
「ママなんて永遠に消えてしまえば良いと思っていたけれど、でもそれが現実になるのは怖かった…」という言葉。
いくら母には見えていないと思える自分でも、母と繋がっていたいと思うから家を出る事もなく家に住み続けてたのでしょうね。

最終、やっと等身大のナタリーを心の中で認識して(覚醒した感じなのかも?)ゲイブの事、自分の事を話した後、ダイアナはナタリーに…過去にとらわれず自分を解き放って自分の為に生きなさいと言います。

このダイアナとナタリーの母子関係が、重い複雑な物語において一番のオアシスだった感じがします。
ナタリーをそばで支えてくれるヘンリー(大久保祥太朗さん)との関係性もまた、ちょっとノーマルの隣感覚だったけど素敵。

遠く感じる「ノーマル」よりは「ノーマルの隣」ぐらいが丁度良い

ナタリーが劇中ダイアナに言った言葉。

これこそタイトルが語るテーマ「ノーマル」なのかなと。


ついついナタリーについて語ってしまってダイアナの事は殆ど触れられていないので、
次回はストーリーは前後しますが、ダイアナについて感じた事を書いて行こうと思います。

つづく

 

ホント…気まぐれなブログでスミマセンm(__)m